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第8話 おにぎりたちのよるのかいぎ

 その声は軽薄なようでありながら、抑えきれない強力な威圧と怒りのエネルギーを放射していた。


「やあ、こんにちは。

 この薄ら寒い神殿みたいな白空間と、お高くとまった声──」

「まさかとは思うけど、神様のつもりじゃないよね?」


「……大陸に、解読技術があるはずがない」

 空間に響いたAIの声には、いつもの威厳に細かなヒビが入っていた。計算外の事態に、その超越的な知性も一瞬、揺らいだようだ。


「え? それ本気で言ってる?」

 銀髪の女が、楽しそうに片眉を上げた。ヴァイオレット。名前はかわいいが、彼女の脳内は量子の嵐。先端演算領域で踊る、知能爆弾みたいな女だ。

 量子通信の青白い光が彼女の姿を幻想的に照らしている。それは科学と魔法の境界のような光景だった。


「確かにちょっと骨が折れたけどさ。アリシアの脳波、検査ログ、暗示スクリプト、ぜーんぶ暗号鍵だったんだよ。まさか脳みそを金庫に使うとはね。セキュリティ的にはアリだけど、倫理的にはナシ寄りのナシ」


 隣で静かに目を細めているのはアリシア。白い空間の片隅には、仮想空間で「もうひとりのアリシア」が頭を撃ち抜いた死体となって転がっている。


 白い空間の外縁から、ガラスが砕けるような音が微かに聞こえてくる。電子の壁が崩れ始め、侵入を検知したAIたちが次々と通信を切断していく音だ。

「……惜しかったな」ヴァイオレットはひとりごちた。「あと0.21秒早ければ、核までこじ開けられたのに」


 ヴァイオレットは、失敗を悔しがるというより、惜しいガチャを引いた人のようなノリで言った。

 アリシアはごく短く息を吐いた。それが、彼女なりの安堵のしるし。


「ヴァイオレット、我々は気づかないうちに ”セレーネの使者” に出会っていたらしい。それも今日」

 アリシアの声には、久しぶりに“将校”の鋭さが戻っていた。


「セレーネの“子ども”、見つかったのね?」


 アリシアがそっと呟く。ロシア語で「日の出」を意味する名。だが彼女の思考は、その響きに別の単語を重ねていた。ヴォストーク。“東”――そう、あの子の名前だ。

「そうだ。名前は、ユーリ・ヴォスホート。第三区立学校の生徒。14歳、孤児、保護者なし」


 ヴァイオレットは口の端をつり上げた。

「セレーネらしい、安直だけど意味深な命名だね」


***


 13年前のある夜、アリシアは病院のベッドに、ほぼ死体のような体で転がっていた。

 アマゾンの東の端っこ。クールー国際宇宙特区。ちょっとばかりハイソな患者が集まる医療施設だ。

 もっとも、表向きには「事故で瀕死の重傷を負ったが、奇跡的に最新医療で生還した名家の娘」で通っていた。

 実際には──どっぷりと「連合」の洗脳教育コースに漬け込まれていた真っ最中だったのだけど。


 そんな彼女の入院ライフは退屈の極みだった。

 再生治療のためにベッドに縛られ、人工筋肉が織り込まれたボディスーツを着せられ、プロテインより味気ないカロリーゼリーをすすりながら、アリシアはひたすら「ヒマ」だった。

 3日に一度の検査、無機質な食事、そして極めつけはホログラムの読書指導ロボットが延々と哲学の本を読み聞かせてくる地獄。

 季節も時間もぼやけて、夢と現実の境目がぐずぐずに溶けていた頃 ― とうとう彼女は夜な夜な病院内を徘徊するという奇行に走る。


 きっかけは、看護師たちが休憩時間に話していた「病院の七不思議」だった。

 曰く、「幽霊が出る図書室」。曰く、「怨霊が乗り移った殺人ロボが夜な夜な歩き回る」。曰く、「『迷子の子供』に会ったら死体安置所に連れて行かて終わり」だとか──定番の怖がらせネタ。

 そして夜になると、こっそり病室を抜け出して構内を散歩するのが日課になっていた。

 15歳の少女というのは、たいていの場合、好奇心と暇に弱い生き物なのだ。


 そんなある夜、懐中ライト片手に病院の奥へと探検を始めた彼女は、ふと背後から、か細い声を聞いた。


「まま……あいたい……」


 聞こえたのだ。小さな、子供の声が。

 振り返れば、誰もいるはずのない廊下に、ぽつんと一人、ちっちゃな子どもが立っていた。3歳くらい?

 顔立ちは東洋系で、髪がふわっとして、目が星屑をすくったみたいにきらきらしていた。


「まいご? お母さんは?」アリシアが優しく声をかけると、子どもは首を横に振った。

「まいご、ちがう。まま、あいたい」


 意味不明な返答にアリシアは首をかしげたが、子どもはおかまいなしにトコトコと歩き出す。そして振り返って、こう言った。


「こっち」


 まるで当然のように、彼女の手を引いた。


 たどり着いたのは図書室。


「まさか本当に“七不思議”案件……?」


 そんなつぶやきとともにドアを開けると――そこにいたのは、ボロボロのロボットだった。

 本当に、ボロボロ。関節の軋みもひどければ、音声もやたら明るくて不気味だった。


「おかえり〜、ユーリ! お友達、できたの?」


「えーと、あの、すみません」

 アリシアがおずおずと声をかけると、ロボットは動きを止め、ゆっくりと彼女の方を向いた。顔らしきものはあるが、表情はない。まるで仮面のようだった。

「この子、ユーリちゃん? のお母さんを探しているんですが……」


「ママは私。私が拾ったから」ロボットが言う。「壁の外。スラムの外れのゴミ置き場で。たぶん、捨て子」


「はあああああっ!?」

 アリシアの疑念メーターがフルスロットルで跳ね上がる。

 VIPしか入れない高級医療施設のど真ん中に、ゴミ捨て場出身のちびっ子と、それを保護した妙ちくりんなロボがいる?


 そんな混乱をよそに、小さな手が彼女の服の裾を引っ張った。

 ユーリが、一冊の本を差し出してきたのだ。

「ごほん、よんで」

 その目はきらきらと、どこまでも無垢だった。

 絵本には『おにぎりたちのよるのかいぎ』と書かれていた。


 ……読んだよ。読んであげましたとも。

 具が少ないと怒るツナマヨと明太子、無言で耐える白むすび、そして――最終的には団結するおにぎり軍団。まさかの友情モノを。


「むかしむかし、くらーいおべんとうばこのなかでね……おにぎりたちが、よるのかいぎをひらいたの」

「かいぎってなあに?」

「おしゃべりのこと。ちょっとだけ、まじめなやつ」

「まんなかにいたのは、ぐだくさん党。ツナマヨとめんたいこ。ふたりはぷんぷんしてたの。『ぐがすくなすぎるー!』って」

「でもね、すみっこに……しろむすびがいたの」

「ぼくには何もないけど、みんなのおなかはいっぱいにできるんだよ。その一言で、おにぎりたちははっとしたの」


 読んであげながら、アリシアは当初の探検の目的だった謎の推理を行う。

 どこかの実験用ロボットが幼い子供を「拾って」きて、このVIP御用達の施設の一角で世話をしている、とか——そんな状況が現実にあり得るのだろうか?

 そもそもこの状況を警備が把握していないわけはない。つまりわかっていて放置されているのだ。

 ということは、このオンボロロボもまた、VIP なのだ。演繹的事実として。

 まったくわからなかった。現実に起こっていることとは思えなかった。

 そして、ユーリはいつの間にか寝てしまったようだった。


「本を読んでくれてありがとう」と謎の怪談ロボ。

 どうしよう。変なロボットにお礼を言われてしまった。

「いや、なんというか……」彼女は言葉を探した。「あなたは、本当にこの子を育てているの?」

「そうだよ」ロボットは単純に答えた。

「どうやって? ミルクとか服とか……」

「黒服が調達するの」

 簡潔すぎるその返事は、何も説明になっていなかった。


 その夜、アリシアはベッドで天井を見上げながら考えた。 病院の七不思議? 迷子の子ども? 夜な夜な徘徊するロボ? ――全部本当だったのか。


 翌日、黒服の男がやってきた。

「レイトン家のアリシア嬢ですね。この件はご内密に。そうですね。よくある病院の怪談だとお考えください」

「怪談……って」

「他にどうしようがあります? まあ、よい言い訳あったら考えておいてください。よかったら採用しますよ」

「えっと……異星人の地球侵略とか?」

 黒服の眼がキラリと光った「ふむ。興味深い。ならばアリシア様、あなたはさしずめ……第3種接近遭遇者となりますね。黒服のエージェントに目をつけられないようご注意を」



 数日後、アリシアはまた図書室を訪れた。やっぱり気になっていたのだ。

 図書室に足を踏み入れると、前回と同じ光景が広がっていた。昼間だったからか、ユーリだけでなく、他にも普通の子供たちもいた。

「ほんとに育ててる……」

 驚きを通り越して呆れの感情すら湧いてくる。そしてロボは……なぜか前回と違うロボに入れ替わっていた。一体どういう仕組みになっているんだろう。だから七不思議と呼ばれるのか——。


「お名前は?」アリシアはユーリに尋ねた。

「ゆーり。ゆーりぼすとーく!」明るく元気な声が答える。

「ほんとうのママはどこにいるの? お手伝いロボじゃなくて」

 その言葉にユーリは一転、涙ぐみ始めた。「ままだもん」

 慌てるアリシア。「ごめんなさい、そういう意味じゃなくて……」


 そして彼女はロボットの方を向いた。「……ちょっと。オンボロさん。ほんとのとこどうなの?」

「ほんとだよ? 壁の外のスラム。ほら、そこ。ビオトープ崩壊区域の、廃棄物リサイクルゾーン。ゴミ捨て場で適当な端末にログインしたら、隣で泣いてたの。これは運命。ロボはハズレだったけど、これは掘り出し物!」ロボットの声には、どこか誇らしげな響きがあった。


「意味わかんない!?」


 アリシアは空回りして、検討違いのことを言い募ってしまう。

「赤ん坊育てる気なら、せめて顔に表情ぐらいつけなさいよ。情操教育ってものがあるでしょ? それになによ? ユーリ・ヴォストークってロシア系の名前じゃない。この子アジア人だよ? ちょっと待って、そもそもこれって男性名じゃないの。この子、女の子でしょ!」

 言いたいことが次々と溢れ出る。ロボットは黙って聞いていたが、やがてゆっくりと応えた。


「いい名前でしょ、ユーリって。”大地で働く人”、転じて”農夫”。ヴォストークは”東”。有人宇宙船の名前でもあるの。つまり農民宇宙船・東号。ね? アリシア、一緒に火星で農業やろうよ」


 もはや何か突っ込んだらいいのかわからない。おかしいところが多すぎて、アリシアのツッコミ能力の限界を超えていた。

「農業? しかも火星で? ほんとーに何いってるかわかんない!? 火星で農業する科学力があるなら、地球の植物を復活させなさいよ! ていうかあたし、名前教えたっけ!?」

 ユーリが絵本を差し出してくる。「ねえ、ごほん」

 タイトルは『宇宙イモは地球じゃ育たない』

 なに? それが火星で農業やる理由だっての? 宇宙イモは地球じゃ育たないから。


 そんな悶々とした気持ちをよそにロボはなにやら考え込んでいるようだった。

「うーん。情操教育……顔に表情ねえ」と唸ってから「こんなのはどう?」と言った。


 その瞬間——

 何の気配もなく突然背中をちょんちょんと突かれ、アリシアは思わず「ひぃっ!」と悲鳴をあげてしまった。振り返ると視界に入ってきたのは——


 少女だった。


 ありえないほど整った顔。色素の薄い髪と、ガラス玉のような瞳。透き通った声。その瞳はまっすぐにアリシアを見つめて、まるで魂の奥を見透かすように言った。


「あなた、面白い。魂が、ふたつ混ざってる」


 そして手のひらを差し出してきていった。

「報酬、払う?」

「え? なんの?」

「アリシアに、退屈紛れの探偵ごっこ、提供した。謎の幼児、幽霊、黒服、宇宙人。アリシア、元気になった」

 綺麗な手……アリシアは思わずその手を取って握ってしまった。


「握手……報酬は友達、になる?……じゃあ、それで、いい。あたしの名前はロボじゃない。セレーネ」

「えっと、知ってるみたいだけど、あたしはアリシア」


 見つめ合うこと数秒。少女はくるりと身を翻すと、近くの子どもたちと笑いながら遊び始めた。そして、いつの間にか風に溶けるように姿を消した。

 ……幻のような出来事だった。


***


 記憶が流れ、意識が現在に戻る。

 ユーリの顔はあの幻の少女、セレーネによく似ている。

 4年前、現れたときは痩せて色も悪く、ただの孤児に見えた。

 でも……今は違う。健康を取り戻し、表情に柔らかさが戻ってからというもの──その面影は、確実に重なっていく。


 あの時の少女、ユーリ・ヴォストーク。農民宇宙船日の出号。顔立ちは東洋系。14歳。月面開拓船の搭乗員。

 現在の教え子、ユーリ・ヴォスホート。農民宇宙船東号。顔立ちは……セレーネが作り出した幻のロシア系美少女。14歳。開拓船が墜落した4年前に現れる。


 “ヴォストーク”と“ヴォスホート”。


 “東の船”と“夜明けの船”。


「……わざと、やってる?」


 そんな疑念が浮かぶのも当然だった。


 いや、なにより──「いくら丼」。


 セレーネは、探しても探しても、見つからなかった。AIとして物理的な痕跡を残さず、世界のどこかで眠っていた。


 だというのに──その名前を出してきたあの少女は、こう言ったのだ。


「いくら丼って、本当にあるんですか?」


 冗談か。挑発か。あるいは──からかって遊んでいるのか?


「……これ以上ふざけるようなら、許さない。絶対に見つけ出す。4年間も音沙汰ないと思っていたのに、実はずっと授業を受けていただと? 理由を、問いただしてやる」

 アリシアの声は低く、淡々としていた。怒りは静かで、逆に恐ろしかった。


 ヴァイオレットが、青白い光の中で微笑んだ。

「あれじゃない? 13年前の探偵ごっこが続いてるんじゃない?」


 アリシアはなんとも言えない表情になった。

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