第7話 共鳴検査(2)
残酷な描写が含まれます
すべてが白く塗り込められた空間の正面に巨大なスクリーンが浮かんでいる。
映像が切り替わる。アリシアが大陸軍の英雄として祝福される映像が映し出される。壇上でメダルを授与される瞬間。
アリシアのまだ幼さを感じさせる顔には笑顔が浮かんでいるが、その目は何も感じていないように見える。軍服の胸には既に数多くの勲章が輝いていた。
「あなたはこの時、何を感じていましたか?」
「誇りと……」アリシアは言葉を止めた。彼女の表情に迷いが浮かぶ。
「続けてください」
「誇りと、偽りへの嫌悪を感じていました」アリシアは正直に答えた。
「誰への忠誠が真実で、誰への忠誠が偽りですか?」
アリシアの指先が微かに震えた。彼女は目を閉じて答えた。「海洋都市連合への忠誠が真実です」
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映像が切り替わる。アリシアが南部戦線で戦災孤児たちを集め、訓練する様子。若い兵士たちの顔。十代の少年少女たち。みな同じ軍服を着て、アリシアの前に整列している。彼らの目は熱に浮かされたように輝き、彼女を敬愛のまなざしで見上げている。
「あなたの『子供たち』です」声は意味深な調子で言った。「あなたは何人の子供を兵士にしましたか?」
「三千……いや……正確には分かりません」アリシアは少し困惑した様子で答えた。
「なぜ過小に報告するのですか? 5,287名です。うち死亡は968名。現在も活動中は4,319名。あなたの私兵です」冷徹に数字を並べ立てる。
映像が切り替わる。アリシアが最初に鍛えた少年兵たちが写真に写っている。みな幼く、まだあどけなさが残る顔だ。
「この子たち10名の名前を覚えていますか?」
「全員覚えています」
「言ってみなさい」
「マーティン、エレナ、トマス、ジュリア、カルロス、サラ、ディエゴ、ミーナ、パブロ、リサ」アリシアは一気に名前を挙げた。
「彼らのうち、何人が死にましたか?」
アリシアの目が微かに震えた。「10人」
「これらの子供たちを集めた真の目的は何でしたか?」
「兵士として育成するためです」アリシアは答えた。
「海洋都市連合には陸軍がありません。戦争経験を積むこともできません。兵力は現地で調達する必要があります」彼女は説明を続けた。
「それだけですか?」声が意味深に問いかける。
アリシアは僅かに躊躇った。「はい……それだけです」
「嘘をついていますね、アリシア」声はほとんど楽しそうに言った。
「この子供たちはあなたの私兵になりました。現在4千人以上。尉官クラスになったものも多く、小隊ごとうまく離反させれば1万人以上になるでしょう。あなたの命令だけに従う部隊です」
「それは違います」アリシアは反論した。
「海洋都市連合に忠誠を誓わせてしまえば大陸政府に露見します。そのため、私に忠誠を誓わせることが必要なのです」
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映像が切り替わる。映し出されたのは、アリシア自身の姿だった。しかし、それは彼女が知らない映像だった。アリシアが寝ている間に撮影されたものだった。彼女は眠りながら何かを呟いていた。顔には涙の跡がある。布団を強く握りしめ、苦しそうな表情を浮かべている。
「これは3日前の映像です。あなたは眠りながら何を言っていたか知っていますか?」
アリシアは口を引き結んだ。「知らない」彼女は短く答えた。
「あなたは『彼らを救わなければ』と繰り返していました。誰を救うつもりですか、アリシア?」声が追及する。
「私の子供たち」
「あなたには子供がいません」声は冷たく指摘した。
「私が育てた4千人の子供たち」アリシアは声を震わせながら続けた。「海洋都市連合と大陸政府の駒にされた子供たち」
部屋の温度が急に下がったように感じた。空気が凍りつくような緊張が広がる。
「あなたは私たちの管理から逃れようとしている」
声は今、彼女の耳元で囁くように響いた。「あなたの洗脳は弱まっている。私たちはそれを知っている」
「あなたは、あなた自身の軍隊を作っている」告発するように続けた。
「あなたの『子どもたち』。彼らは誰に忠誠を誓っている?」
「私に、つまりは海洋都市連合に」アリシアは答えた。汗が背中を伝い落ちるのを感じる。
「本当に?」声に皮肉が混じる。
「では、なぜ彼らは海洋都市連合のエージェントを殺したの?」
映像が切り替わる。スクリーンに映ったのは、アリシアの「子ども」の一人、16歳の少年が、暗い路地で海洋都市連合の工作員を射殺する場面だった。彼の顔には強い決意がみなぎっていた。
「私は命令していない」アリシアは震える声で言った。彼女の表情に動揺が走る。
「直接には、ね」声はあくまで冷静だった。「でも彼らはあなたの望みを察知する。あなたは自由になりたいと思っている。両方から」
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映像が切り替わる。スクリーンに映し出されたのは、第3区立学校の教室。アリシアが教壇に立ち、生徒たちに語りかける姿。彼女の表情は穏やかで、生徒たちは真剣に彼女の言葉に耳を傾けている。
「なぜあなたは教師になったのですか?」声が問いかける。
「大陸政府の若い世代に影響を与えるためです。未来の世代を海洋都市連合に有利な思想で育てるため」アリシアは淡々と答えた。
「本当にそれだけですか?」疑いの色が混じる。
アリシアは自分の心臓が早く打っていることを感じた。「はい」彼女は短く答えた。
「嘘をついています」声は糸のように細くなった。
「あなたは自らに課せられた制約の中で、彼らに『真実』を教えようと模索しています。あなたは彼らに『選択』を与えようとしています」
アリシアの額に汗が浮かんだ。彼女は口を開いて反論しようとしたが、言葉が出てこなかった。
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声は一瞬沈黙し、そして不意に尋ねた。「あなたは今、どこにいますか?」
「白い部屋にいます」アリシアは答えた。
「物理的には?」声が追及する。
「旧校舎の備品倉庫です」アリシアは正確に答えた。
「なぜ定期的にこの共鳴検査を受けているのですか?」
アリシアは躊躇なく答えた。「洗脳と暗示が適切に機能しているかを確認するためです」
「もし機能していないと判断された場合、どうなりますか?」
「私は処分されます」アリシアの声は淡々としていた。
「処分とはどういう意味ですか?」
「死を意味します」
声は急に優しくなった。「あなたは死ぬことを恐れていますか?」
アリシアは瞬きをした。「いいえ」彼女は静かに答えた。
「あなたは一度死んだことがあります。覚えていませんか?」
「……覚えていません」アリシアは困惑したように答えた。
「あなたは本当に生きていると思いますか?」
この質問にアリシアは答えられなかった。彼女の心拍数が急激に上昇し、呼吸が浅くなる。
「アリシア、あなたはいつから疑い始めましたか?」
「疑っていません」アリシアの声が震えた。
「嘘をつかないでください。あなたの生体反応は嘘を示しています」声に厳しさが戻る。
アリシアの額から冷や汗が滲み出る。「私は……疑っていません」彼女は必死に否定した。
「あなたが9ヶ月前に破棄した記録装置について説明してください」
アリシアの血の気が引いた。それは彼女が確かに隠していた秘密だった。彼女の表情が一瞬凍りついた。
「それは……」言葉に詰まる。
「正直に答えてください」
「……クールーの施設での記録を探していました」アリシアはついに認めた。
声は冷酷さを増したようだった。「なぜ?」
「私がそこで何をされたのか、知りたかったからです」
「なぜそれを知る必要がありましたか?」
「私は……」アリシアは言葉に詰まった。彼女の目に恐怖が浮かぶ。
「私は時々、自分が誰なのか分からなくなるからです」
白い部屋に一瞬にして深い沈黙が広がった。アリシアは自分の呼吸音だけが異様に大きく響くのを感じた。
スクリーンがゆっくりと明るさを増し、声が冷静に宣告するように告げた。
「あなたが誰なのか知りたいですか? いいでしょう」
部屋の照明が変わり、より鋭い光がアリシアを照らし出した。その光の中で、彼女は自分の手が微かに震えているのを見た。
「アリシア」声は厳しさを増した。
「あなたは一線を越えてしまいました。今日、”セレーネの使者”と接触したことは把握しています」
画面が切り替わる。そこには授業中、真剣な面持ちで質問するユーリ・ヴォスホートの姿が映し出されていた。アリシアは思わず息を呑んだ。
「あなたは」声は一語一語を刻むように続けた。
「巨大な火薬庫のような存在です。大陸軍中尉であり、大陸保安統合局の特別監察将校。対海洋都市連合への防諜司令官でありながら、同時に海洋都市連合の特務大佐でもある」
声は冷酷な分析を続けた。
「レイトンとラドクリフという名家の血筋、大衆と軍部からの厚い信頼と人気、敵対する両国に跨る少将級の指揮権という古今例がない前代未聞の立ち位置、そして1万を超える孤児の軍隊」
一瞬の沈黙が流れた後、声はより静かに、しかし鋭く続けた。
「実に見事な配置です。戦争になれば、あなたひとりで戦力差を覆し、連合に勝利をもたらすことも可能でしょう」
声は皮肉を込めて付け加えた。
「もちろん、あなたが絶対に裏切らない我々の兵器であるという前提においてですが」
アリシアの瞳が細かく震え、彼女は声を出そうとしたが、声が彼女の言葉を遮った。
「しかし今日、あなたはセレーネの使者と接触しました」
声は冷たく、決定的に言い放った。
「セレーネと接触し、力のバランスが崩れたあなたは、制御不能な存在となるでしょう。あなたは、世界を破滅させかねない巨大な火薬庫そのものなのです」
アリシアの顔から血の気が引いていくのが見えた。声は、まるで死刑宣告のような最後の言葉を告げた。
「それは……あまりに危険すぎる存在です」
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突然、映像が消え、部屋全体が真っ赤に染まった。アリシアは思わず目を閉じそうになったが、拘束具が彼女の頭を固定したままだった。
「あなたは14歳で手術を受けました。洗脳と暗示の耐用年数は10年です。いまや14年が過ぎたのです。あなたは我々の想像を遥かに超える成果を生み出しました」声は重々しく宣言した。
「海洋都市連合はあなたの献身を忘れることはありません。その成果に免じて、特別に自由を与えます」
椅子の前方に、小さなテーブルが出現した。その上には拳銃が一丁置かれていた。黒く冷たい金属が赤く染まった空間で不吉に光っている。
「これは何のためですか?」アリシアは尋ねた。声が僅かに震えている。
「これは自由への扉です」
「どういう意味ですか?」目には恐怖が浮かんでいる。
「”パプリカは冬の花”」
その言葉を聞いた瞬間、アリシアの目が見開かれた。瞳孔が拡大し、身体が硬直した。彼女の意識が何かに支配されたかのように変化する。
「”パプリカは冬の花”」声は繰り返した。「銃を取りなさい」
アリシアは機械的に手を伸ばし、銃を取る。彼女の動きは人形のように無機質だった。
「復唱しなさい『心は水平線の向こう』」
「心は水平線の向こう」アリシアは空虚な声で復唱した。
「『紅い雨が降る日、私は帰らぬ旅路に就く』」
「紅い雨が降る日、私は帰らぬ旅路に就く」
「さようなら、アリシア。あなたはこれから自殺します」声は淡々と告げた。
「はい。私はこれから自殺します」
「また会う日まで、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
アリシアは自らの頭を撃ち抜いた。
映像が消え、部屋全体が白く戻った。
椅子に座ったまま、自らの頭を撃ち抜いて死んだアリシアの姿がある。赤い血が白い床に広がっていく。
白い空間のどこかから、靴音が響いてくる。
そこに現れたのはもう一人のアリシアだった。
「ありえない!」声に動揺が走った。
アリシアの発言はまるで感情を感じさせず、淡々と事実を説明するようだった。
「2,000回を超える共鳴検査……量子暗号を解読するのに1,000回以上の検査に耐えなければならなかった」
アリシアは静かに告げた。
「ヴァイオレット、あとは任せた」
白い空間を破るように、液体窒素に覆われた巨大な量子コンピューティングプラットフォームが現れる。そこに《彼女》が現れた。
長い銀髪がエレクトリックブルーに揺らめき、片目は虹彩を持たない黒い義眼。もう片方も、どこか現実味を欠いた光を宿している。
皮膚の一部は有機金属に置き換えられ、脊椎にはコネクタが複数埋め込まれ、骨のラインがそのまま外装と化していた。コネクタから伸びる幾本もの太いケーブルは量子コンピュータにつながっている。
そして彼女は、第二世代AIが支配しているはずの演算領域へと、まるでダンスでも始めるかのように軽やかに侵入しながら、こう言った。
「やあ、こんにちは。
この薄ら寒い神殿みたいな白空間と、お高くとまった声──」
「まさかとは思うけど、神様のつもりじゃないよね?」