第3話 いくら丼
穏やかな朝――でも、あたしはまだ布団の中でぼんやりしている。
さっきまでなにやらとっても長くて大事な夢を見ていた気がするんだけど、思い出そうとしてもするすると逃げていく。
えぇと、あれ? セレーネが……あたしが……。
そんな風にモヤモヤしていたら、急に窓枠がガタンと軋んで、ひんやりとした金属の固まりが布団の上にぼとりと落ちてきた。なんなのよもう、と薄目を開けると、勝手に侵入してきた六角形のドローンが、やる気なさそうに赤いランプを点滅させている。放り投げるように渡された半透明のケースの中では、緑色のジェルがぐにょぐにょと不気味に揺れていた。
「おはようございます。本日もソイレントフーズをご利用いただきありがとうございます。今週のカートリッジをどうぞ。1週間分。8,000キロカロリーです」
機械音声が3畳間に響きわたる。あたしは寝癖が爆発した頭をぽりぽり掻きながら起き上がって、「節約こそ美徳」と書かれたピカピカの電子インク文字をぼーっと眺める。モットーは立派だけど、今あたしが欲しいのは寝る前の続きの夢……もしくはリアルなご飯だなあ。
ドローンはさらに、壁に青い光のスクリーンを投影した。どうやら「主要変更点11件のうち重要度上位2件のお知らせ」があるらしい。第一項の文字が赤く浮かび上がる。
「代謝抑制剤『リミッターX』の配合濃度を0.3%向上しました。基礎代謝のさらなる削減により、1回に1,000キロカロリー以上摂取すると昏睡状態に陥るリスクが87%に上昇。ご利用は計画的に」
スクリーン上では、まるで骸骨のようなシルエットが食事をするたびに、体内でドカンドカンと爆発するアニメ映像が流れている。気味悪いったらない。食べ過ぎに注意しろって言いたいんだろうけど、そんな危ないものを作るほうも作るほうでは?
「第二は新規ナノマシン『サバイバー7型』の追加。腸内細菌に代わってエネルギー分解・吸収効率を高める効果があります。排泄物量は72%削減されます」
ケースの中の緑ジェルがキュルンと小刻みに震え、あたしは思わず自分の胃のあたりを手で押さえる。部屋の様子を執拗にスキャンするドローンの青白い光が、ホコリまみれの布団のしわを浮き上がらせている。いったい何をチェックしてるんだか。
「食事を摂取されると、自動的に利用規約に同意したとみなされます」
ぎらぎらまぶしいスキャン光が目に刺さって痛い。あたしは反射的に枕をひょいと投げる。ドローンはものすごく不満そうなブザーを鳴らすと、やれやれって感じで窓から外へ退散していった。
「……あ、そうだ! 畑、畑!」
頭がようやく覚めたところで、急に大事なことを思い出した。ちいさな部屋の隅に設置しているミニミニ畑をチェックしなくちゃ。慌てて布団を跳ねのけて駆け寄る。
覆いをそっとはずすと、湿った熱気がふわりと頬に当たる。プラスチック容器の縁にかろうじてしがみつくようにして、小さな銀色の双葉がちょこんと顔を出していた。その葉先に宿った露が、きらきら宝石みたいに輝いているじゃない。
「わあ、見て見て! 芽が出てるよ、セレーネ!」
ゴミ捨て場から拾ってきたソーラーパネルが、超弱い出力ながら擬似太陽光を供給している。本物の太陽がどんなものかもまだ知らないのに、それでもこの子たちは一生懸命光に向かって背伸びしようとしている。たぶん、あたしが生まれてはじめて見る人間以外のいきもの。指先で軽く撫でると、ぷるんと震えて応えてくれた。かわいいなぁ。食べるなんて言葉、正直ちょっとかわいそうになっちゃう。
「ふふ……これは花。お年頃の女の子には必須のアイテム。髪飾りにすれば殿方の心臓を貫抜いて、言いなりにさせる呪いの効果つき。わたしは……ユーリにお花をあげたい……」
「ちょっと何言ってるかわかんないけど、ありがとう……」
意味はよくわからなかったけど、胸がじんわりと暖かくなった。それより今のところは、あたしがいま一番知りたいのは――
「それでさ、これはどうやって食べるの?」
空腹のほうが先にやってきてしまって、少女のロマンより食欲優先。するとセレーネは、心底心配そうに声を落とす。
「……ああ、わたしはユーリが心配。14歳はもう成人。あなたは軍人になって前線に行くか、正規市民と結婚して戸籍を入れないと飢え死ぬ。前線での平均生存日数は11.3日。わたしはユーリに遺伝子を拡散してほしい」
なんとなくわかってきた。この花でメスとしての魅力を高める。そしてより良いオスを捕まえる。婚姻して生殖に励むとオスにカロリーを貢がせることができる。自分の遺伝子も残せる。つまり……この花が実を結ぶには長い時間がかかるってことか。
「それはそれとして……いま食べることはできるの?」
お腹空いたんだけど……。いや、いつも空いているけど……。
あたしの問いに合わせるように、セレーネがプツプツとノイズ混じりで応じる。
「……ガガ……なんの花か忘れた。でも大丈夫! 人間は雑食、毒さえなければだいたいイケる。それにユーリなら、きっとなんでも食べられる」
ふぅー。落ち着けあたし。大丈夫。まだ他にも生えてきてるものがある。
「じゃあ、こっちは? なんかシュッと細いけど」
するとセレーネは急に鼻息荒く、ちょっと早口になる。
「ガガ……こっちはコメ! 小麦を超える人口支持力! 王侯貴族にだけ許された究極にして至高の味わい!……そしてかつての日本の庶民の日常的でありがたみのない一般的な食べ物!」
「へええ……いつ食べられるの?」
興味津々にたずねると、セレーネはビビッと計算モードに入ったらしく、一瞬黙ったあとでしゃべりだした。
「最適条件下で27日後! 環境中の微量分子と少量の水のみで種籾から一気に大量の実を結ぶ。墜落跡地で地球環境へ急速に適応した微生物群と共生させれば、大規模な栽培も可能」
何かすごそうってことはわかる。でも、あたしが聞きたいのはもっと単純なこと。
「それで、どうやって食べるの?」
「まず脱穀。つぎに精米。そして火を加える! 高火力が理想。だいたい100度……あれ? 1,000度? そう1,000度から始めるのが普通! 水を入れてふにゃふにゃに煮る“ゼリー状”の調理法も人気。そして、いちばん大事なのは“おかず”! これがないと正直あんまり美味しくない。いくら丼は至高の宝」
ふーん。なかなかハードルは高いようね。色々勉強しなくちゃ。
「……ヒがいるのかぁ。ヒ、ヒねえ。それもプリントできるの?」
「ユーリは脳障害を負う前はとても賢かったのに、記憶もあいまいになってしまった……昔は『遺伝子工学を勉強したい』と張り切っていたのに、いまじゃ自分の遺伝子を残せるかどうかも怪しい。もしもご飯につられて前線に行ったら、飛んで火に入る夏の虫……」
セレーネがえらくしんみり言うので、あたしはちょっとあわてる。
「わ、火くらい知ってるよ。大昔に山火事ってのがあって、それが植物の絶滅を加速させたんだよね? 枯葉が積もって、日照りが続いて干ばつ? 、風で摩擦熱が発生して……とか先生が言ってた」
テストに出るやつ。植物の枯死から始まった生物の大絶滅。それに追い討ちをかけた災害。大量の枯死によって堆積した葉や枝。そこに異常気象で日照りが続いて、暴風が吹き荒れ摩擦熱で発火した火が世界を覆ったのだ。
ここ、アマゾンの大森林地帯では秒速100メートルを超える巨大な火災旋風が荒れ狂い、鉄筋すら溶かしてしまった。最後の植物が残っているということで、この地には各国の政府組織や超国家的対策機関のシェルターなどが集結していたが、その火災を逃れられたものは何もなかった。
でも正直なところなんで覚えているかっていうと、先生が枯葉で焼いて食べる焼き芋が美味しいと言っていたからだ。あの先生はテストに出るやつは必ず昔の美味しい食べ物とセットで話すのだ。そう、面白いと同時にお腹が空くという恐ろしい授業なの。
「虫だって知ってるよ。栄養たっぷりのおいしい伝説の食べ物だったのに、乱獲ですぐに絶滅したんでしょ?」
そう言いながら、ふとひらめいて身を乗り出す。
「ねえねえセレーネ、このプリンタってなんでも出せるんだよね? だったら虫をプリントするっていうのはどう?」
セレーネの声が冷たく響く。
「それは不可能。虫の生体構造は複雑。月面開拓船の化学プラントが必要」
「無理言ってごめん。じゃあ代わりに何かおすすめご飯をプリントしてよ。ソイレントグミ以外のやつ、ね?」
そう頼んでみると、しーんと数秒の沈黙の後、突然セレーネの声が明るく弾んだ。
「土壌生成と種生成への完全な最適化!……だから他のものは出せないの……ガガ……これはまさに革命的技術!」
「ええええっ!? これからあたし、ご飯どうすればいいの!?」
思わず声が上ずると、セレーネの語尾も暗く沈んだ。
「……そういえば考えてなかった……ガガ……これで飢え死には確定?」
「でも、ちょっと待つ。今朝、ユーリと夢で繋がってから新しいことができるようになった。新感覚。バーチャルご飯。こうすればご飯を食べたも同然!」
すると突然、イメージが降ってきた。
ピカピカのごはんつぶ。甘くてふっくらして、プチプチとした赤い宝石みたいなものがのっかってて……噛み締めると……ああ! よだれが、この味、でも食べているのに食べていない! 襲いくる凄まじい空腹感。ああ、もう頭がどうにかなっちゃいそう。体の中の命という命が、栄養が足りない、生き延びたいと叫んでいる!
「あぁぁー! もう耐えられない! そうだ、今日はカロリー授業の日だった!」
時計を見て飛びあがった。今日は特別授業がある日。政府派遣の講師がおこなう講義を受けると、受講者にはカロリーが配給されるっていう人気イベントなのだ。
あたしは着替えもしないまま外に飛びだして、でも、途端に駆け戻る。
ミカに芽を見せてあげたい。芽吹いた双葉ちゃんと土をガラクタの小物入れに植えて、授業ぶくろに入れる。
ああ、早く行かないと授業待ちの列が長くなっちゃう。
慌てて足の小指をフードプリンタにぶつけてしまう。
痛たた。そしてうなりをあげて土と種を吐き出し始めるプリンタ。
あわわ、止まらない。まあ、いいや。帰ってからなんとかしよう!
道すがら、セレーネはちょっと焦ったようにペラペラしゃべりつづける。
「……ガガ……大丈夫。海洋都市にはきっといくらがあるはず。そういえば……海洋都市ではわたしはVIP! 神のように崇め奉られる存在! 住民は歓喜し、きっといくらを無料でくれるはず」
そんなうまい話あるかい、とあたしは思うけれど、聞いているとなんだかお腹がもっと空いてくる。そこへ、超低空飛行している宣伝ドローンが「徴兵大募集!」のホログラム広告を大音量で流していった。
「思い起こせば大陸に落ちてしまったのは一生の不覚。海洋都市に落ちてればこんなことになってなかった。わたしはユーリに本物のいくら丼を食べさせてあげたい。そして住民からちやほやされたい!」
「あれに応募する。徴兵されればただでご飯をくれる上に海洋都市まで運んでくれる。虎穴に入らずんば虎子を得ず。まさに飛んで火に入る夏の虫」
空っぽのお腹を抱え、あたしは走る。いつかいくら丼を食べられたらいいね、なんて、夢みたいなことを考えながら。