怒り
洞穴の近くまでたどり着くと、ミッヒは急いで馬が逃げないよう、背の低い木の枝に手綱を巻き付けた。
しかし、洞穴の前で、ミッヒは混乱した。
狼達が、少年に襲いかかろうとしている。
銀色の狼が前に進み出ると、黒い狼が少年の前に立ちはだかる。
辺りは激しく争ったのだろう。5人の男が雪の上で死んでいた。
死体は皆、首から多くの血を流していた。
雪の上を、引きずりまわされた後が、はっきりとわかり、剣ではなく、獣に襲われた死体だった。
「…何があった?」
狼達が、5人の見知らぬ男を殺したことより、狼達が、なぜ少年を狙っているのか。
ミッヒは困惑していた。
しかし、よく見ると狼達が狙っているのは、少年の後ろにいる者だった。
ミッヒは、ゆっくりと近づいた。
少年の後ろにいる者の顔が、見えた。
綺麗な薄い水色のフード付きのコートから、少しだけ見えた顔は、まだ、14、5歳の少女で雪のように白い肌に、美しい金色の髪が見えた。
コートの襟に小さな紋章があり、ミッヒは、怒りが頂点に達した。
大きな唸り声と共に、少女に向かったミッヒを少年が制する。
互いに、にらみ合いになった。
「やめるんだ!」
少年が怒鳴りつける。
「僕が知っている騎士達は、武器も持たない女子供に、襲いかかったりしない。」
少年の頬を涙が伝い落ちる。
「僕は知っている。貴方達が清い騎士だということを!」
膝をつき、両手が地面に落ちると白い雪を強い力で握りしめる。
「くそ!くそ!くそ!」
ミッヒが嗚咽と共に白い雪を殴りつける。
ミッヒは、怒りの矛先が違う事を知っていたが、つい先程の事に、やるせない気持ちでいっぱいだった。
ミッヒは弱々しく立ち上がると、背を向け、森の方へ歩きだした。
それと同時に、狼達も、引き下がり、どこか納得がいかないように、唸りつづけながら、ミッヒの後に着いていく。
「彼女を引き渡してくるよ。敵は、追って無さそうだったし、彼等にまだ追いつけるかもしれない。」
黒い狼に告げると、少年は、少女に向き直った。
顔面蒼白で、立っているのがやっとのようだった。
そっと少女に手を差し出すと、震えている華奢な手が乗せられた。
ゆっくりと少女を誘導し、ミッヒが連れてきた馬の元にくると、黒い狼がマントの裾を引っ張る。
「ダメだ。連れて行けない。大丈夫だから。」
少年は、黒い狼を優しく撫でた。
他国の少女が何故いたのか、少年には分からないが、戦うには兵数が少なすぎる彼等は、帰らざるを得ないだろうと少年は考えた。
少年は、馬に乗ると、少女を自分の前に引き上げた。
少女は不安になりながらも、少年を見つめ、少年を見送る狼に、視線を移した。
少女の名は、リリアーナ。
フレール王国の第二王女だ。
リリアーナは、先ほどの狼たちのことを考えていた。
まるで、人間の言葉が分かるような行動で、悲しげだったり、心配そうだったりと見え、リリアーナは不思議に思った。
「あの狼たちは、あなたが飼っているの?」
「飼う?違う!命の恩人たちだ!」
少年の強い返答に、リリアーナは驚いた。
少年の強い非難が、込められているように感じ困惑していた。
リリアーナは、意を決してもう一度少年に話しかけた。
「私はリリアーナと言います。あなたの名前を聞いても…」
語尾はだいぶ小さな声になった。
ただ、自分のために、亡くなった侍女を思いだし、彼も私を助けてくれている。
せめて名前を聞いて、国に帰ったら恩賞を与えて貰えるように父に話してみようとリリアーナは考えていた。
この時、リリアーナには、今の状況がまったく分かっていなかった。