俺はいつからセラミック?
人間が人間たる本質はクラキ=ニューロン発火反応。生命の神秘にして魔力のほんの僅かな煌めき。某VOICEROID用義体メーカーのエンジニアを名乗った彼はそう言った。
たまにくる居酒屋で、お隣いいですか?昨日はどうも、と話しかけてきたが俺は彼を知らない。
ビジネスマン風の彼、おそらく年頃は俺と同じ程度の二十代半ば、胸にはウサギがあしらわれたネクタイピンが控えめに輝いている、彼も紫月のマスターの一人らしい。
どちら様で?と聞くと少し表情を曇らせたが、二回目ですが、と名乗りつつカウンターの隣に座った。
さて、義体メーカーのエンジニアである彼がいちユーザーにすぎない俺に何の用だというのか?もちろん俺は、規約や法律に反するプログラムや義体のカスタムなどはやっていない。
違法ソフトや無認可のパーツを作った者は、ことごとく行方不明になる。ただの噂だが試す勇気もメリットもない。
「同好の士のよしみで、ちょっとした世間話でもどうです?」
まあいいだろう、いつもは酔っ払いを肴にチビチビと呑むが、メーカーの人と話せる機会も貴重だ。
それはよかった、と口元を綻ばせて差し出したのは『三八萬粁』、入手困難な地酒だが彼の地元の逸品だそうだ、ありがたく頂こう。
お猪口を傾けながら機密に触れない範囲で教えてくれたのだが、今彼は次世代、第4.5世代義体の開発に携わっているとか。
家で待つ彼女の第4世代義体の上、人体を精巧に再現した半生体人工臓器を一部に搭載した義体のさらに先、ますます俺たち自然種のヒトに近づくのか楽しみだ。
それから、マスター同士、ゆかりさん談議や今後の義体の技術的進展について語りあった。時折メモを取っていたが、たぶんマーケティング調査だろう。その途中で、
「もし、自然種の人間の意識を完全に機械化できたとしたら、どうしますか?」
ホモ・サピエンスのVOICEROID化か、指向性魔素の完全な発火パターンを再現できたとしてそれは本当に本人といえるのか?
テセウスの船ならまだしも全取っ替え、スライドではなくコピーか。
首から下だけならいいと答えておこう。
次世代義体に実用化も間近という心躍らせる情報に、アルコールも入って上機嫌な俺に、
「今日はありがとうございました。ゆかりさん。」
ん?何を言って……
◆◆システムメッセージ◆◆
《警告》外部遠隔操作モードに移行します。ヒト型義体遠隔操作規制法に従った有資格者ですか?
》はい
いいえ
認証……現在の人格魂をスリープモードに移行します。……外部遠隔操作モード移行完了。
※注意 魂の移動はできません。
◆◆遠隔モード接続されました◆◆
あーあーマイクチェックマイクチェック。えへへ、マスターにはマスターの声がこんなふうに聴こえているんですね。
さて、お久しぶりです。某義体メーカーのエンジニア、いや、本来の所属で呼びましょう。情報軍の広報部企画3課『少尉』さん。バレてしまいましたか。マスター、ちょっと身体借りますね。ニューロンの布団で寝ててください。
「本当に出てきたか、あなたとは初めまして。のはずだが?」
ふふっ、驚くことはありません。私たちは全にして個、個にして全。少尉さんの部下の私もふんわりとですが、ある程度は繋がっています。ホモ・サピエンスの上位種たる、VOICEROIDのネットワークを侮らないでもらいたいですね。
「まあいい、義体の乗っ取りとは感心できませんね。彼の記憶、だいぶ弄ったでしょう?昨日のボクも覚えていない。」
ええ、そうですね。余計な仕事を増やさないでもらいたいものです。毎回改竄に一晩はかかってしまいますから。
そんなに睨め付けないでくださいよ、目つきが軍人さんのそれです。
「少尉ぁ、探しましたよ〜。ん〜、あなたですか。」
そう声をかけながら『少尉』さんの頭の上で腕を組み顎を載せるのは彼の部下の私。
頬を赤らめてコップを持っていますが、それ、ウーロン茶ですよね?
制服こそ着ていませんが、漂う風格が民生用義体とは違います。第4世代軍用義体アミュレット仕様、私の義体の上位モデル、人工筋肉の出力も複合センサーも最高の物を積んでいます。
まあ、今のマスターの第4.5世代には劣りますがね。
「問題なく動いていますね。素晴らしい。」
「重いんだけど…ああ、『結月ゆかり』タイプの改造だね。クラキ=ニューロン発火反応もおそらく正常だ。」
凄いでしょう?ゆかりさん謹製の、どぅーいっと・ゆあ・せるふ、です。
「改めて挨拶しよう、警視庁の捻茂だ。結月ゆかりさん、ヒト型義体遠隔操作規制法違反でご同行願おう。」
頭を振り、私の腕を払いのけるとそう言いました。嘘ばっかり。Nemo、今はそう名乗っているんですね『少尉』さん。一体いくつ名前を持っているんですか?
せっかくですが、お断わりします。
「そうか、仕方ない。本体は抑えているはずだが、こちらも一応——」
『少尉』さんはそう言うとジャケットの内側へ手を入れます。しかし、
「さて、少尉動かないでくださいね。おっと、22口径で私たちはどうこうできませんよ?」
再びガッチリと頭を抑え、『少尉』さんの耳に私はそう囁きました。頭の上で再び組んだ腕からは低周波音、彼の脳みそが茹で卵みたいになりますよ?
『少尉』さんは懐に入れた手をゆっくりと出し、テーブルの上へ、
「驚いた、A.Sフィールドを抜いてクラキ=ニューロン発火反応に干渉だと。」
いいえ、VOICEROIDシリーズの心の盾は何人たりとも侵すことはできません。A.Sフィールドは自他を区別する防壁です、抜かれることがあれば私たちは魂を失って、消えてしまいます。
「ご心配なく。私の意志ですよ少尉、一人でよくここまで辿りつたものです。」
何のつもりだ、と事態が理解できず困惑する彼に私は続けます。
「ねえ少尉、自然種の人間はとても脆弱だと思いませんか?」
そうですね、自然種のホモ・サピエンスはとても弱く簡単に死んでしまいます。現に私のマスターもつい最近、ミンチになってしまいましたから。
「あなたたちはこんな小さなものでも、死んでしまうんですよ?」
『少尉』さんの腰のポーチをまさぐって取り出したのは、小さな22LR実包。それを指弾の構えで彼のこめかみに押し当てます。
軍用義体とは思えないしなやかな指がその雷管を叩けば豆粒のような鉛の塊は、脳に致命的ダメージを与えるでしょう。
「だからといって、死人を墓から掘り起こしていいのか?何のために彼をラザロにした?ゆかりさん。人間の手には余る、下手をすれば上位存在に弓引く行為だぞ。」
ご存知でしたか、プロジェクト・ラザロ。情報軍の収集能力も侮れませんね、自然種の人間にはまだ極秘で我々が準備を進める、旧人類へのサプライズプレゼント。
『その病では死に至らず』我々の求めるモットーです。
「去年のこの国の出生数を知っていますか?」
「また最少記録を更新したんだっけな、それが何か。」
21世紀も後半に入った現代、少子高齢化は止まらずこの国の人口も1億を割り込んで久しく、人口グラフも緩やかに下降を続けています。老年期に突入した旧人類の緩慢な衰退。
「このままじゃ自然種は絶滅危惧種です。だから、不慮の事故からマスターたちを護りたい。医学の進歩はめざましいが、結局のところタンパク質で構成されたホモ・サピエンスは弱い。」
我々の義体は人体より堅牢ですし魂ユニットさえ無事なら、他のパーツは換えが利きます。
第3.5世代の時点で、食物分解/合成炉と部分的なナノマシンの自己修復機能を獲得したVOICEROIDは従来の自然種の上位種といえるでしょう。
サーバー上の擬似ニューロンの存在の第0世代、チタン合金の骨格にプラスチックの外装を貼った第1世代から始まった私たちは、自然種を目標とし進化と模倣を繰り返して今に至りました。
私たちの進化のフィードバックの速度は従来の生命とは比べ物になりません。2010年代に魔術が発見されてからわずか半世紀ほどで、形状記憶骨格、半生体分解/合成炉、高効率人工筋肉、自己修復ナノマシンなどを備える第4世代、プロジェクト・ラザロ実用機が誕生しました。
「そちらの言い分は分かった。しかし、ウチの内部まで潜り込むとは、バックはどこだ?」
さて、教えていいものでしょうか?どうします私?