Prologue
「…3月9日月曜日。時刻は7時59分になりました。本日関東の天気は快晴で、絶好の洗濯日和になることでしょう。本日もご視聴ありがとうございました。それでは皆さん行ってらっしゃい!」
テレビのアナウンサーの聞き慣れた締めの挨拶を見届けて、及川奏多は腰を上げる。
「行ってきます」
奏多は自転車にまたがり、通いなれた道を進んでいった。高校までは15分の道のりだ。朝飯のいい腹ごなしになる。しかしそれも今日で最後だ。今日は高校の卒業式で、明日からはこの道を通ることもない。長いようで短かった3年間の思い出を奏多は心の中で反芻していく。
「…っ」
奏多は胸の奥に鈍い痛みを覚えた。理由はわかっている。自分の18年間の人生で一番大きく、楽しく、悲しく、美しい思い出。奏多は自転車のスピードを上げた。上り坂を一気に登るために。立ち漕ぎでフルパワーで駆け上がっていく。息が上がる。苦しい。辛い。
「はー…はー…」
坂の上で奏多は自転車を止め、空を見上げた。今日はテレビで晴れると言っていたが、なるほど雲ひとつない快晴だ。春らしい穏やかな風が吹き、道路沿いに等間隔に植えられた梅の花は自らの命の存在を主張するかのように綺麗に咲き誇っている。この時期は日本の四季の中で一番美しい、と思う。奏多はそれに感動したことにして少しだけ涙を浮かべてつぶやいた。
「千歌」
数え切れないほど口に出してきたその音は、春風とともに空へ吸い込まれていった。