155-1 FAST まだ死ねない
アルヴィンは顔を覆っていた手を退けた。
流した涙を拭わないまま、金色の瞳は力なく危うい光を放つ。諦めにも似たような、もう自分にはそれしかないというように……メティスを見つめた。
その目つきがとても危うく、思わずゾワリと鳥肌がたった。
「ウィズ……前世で君にはよく話したじゃないか。君達人間が人間の国の平和の為にと祈る精霊も、神も、平等ではないと。結局は自分が気に入った相手にしか祝福を与えない……いくら祈っても見捨てられる命はごまんといる」
「アル、ヴィン?」
「ウィズ、ウィズ、よかったね。君は選ばれた側の人間だ……そう、レグルスはただ、選ばれない側の人間だっただけ」
遠くで何かが崩れる音が聞こえる……その音が段々と近づいてくる。
「君ともう一度教会で祈り、花舞う街で踊れたらと願っていたけど……諦めてもいい」
地面が揺れ始めた、この異常な事態に私だけでなく当然メティスと王様も気がついて何事かと周囲を見回す。
「ここで魔王を殺す……手段は選ばない」
ドカンという耳を劈くような爆発音。驚いて上を見上げると天井が、いや違う。空間がキューブのように切り取られてそれが岩のような重量を帯びて降り落ちてきた。
「きゃあっ?!」
「ウィズ!」
「光の大精霊が作った異空間が崩れるぞ!」
メティスに腰を抱き寄せられてなんとか降り落ちたそれをかわした。けれど、落ちた地面にヒビが入り、その地面もまたガラガラと崩れ落ちた。地面の下は七色の光が渦巻いていて底が見えない不気味な空間。そこに落ちてしまったら二度と戻ってこられない気がした。
「アルヴィン! どうしてこんな!」
「ウィズ、君が前世で俺に人に優しくするようにと言ったから俺なりに人を大切にしようとしていたんだ。弟は大切だと言っていたから真似てみたのに」
崩れゆく空間で、アルヴィンは自分の胸を強く握り締めて、瞳孔が完全に開いてしまった状態で首を傾げた。
「こんな痛みを感じるくらいなら、最初から大切になんてしなきゃよかった……!」
「アルヴィン!!」
「もう人間に優しくなんてする理由が見つからない。ファンボス、お前はここで終わりだ」
壁が岩のように大きくキューブ状に幾多に切り取られ、それが王様目掛けて襲い掛かる。
「くそ!」
王様は剣で斬りつけようとしたけど、何故か剣は擦り抜け王様の体にだけ的確にそれは命中した。
「グア!」
「王様!」
「父上!」
吹き飛んだ王様の体から鈍い音が聞こえた。絶対に骨が何本か折れている、血を吐き出したから目には見えない所が大怪我をした筈。
王様に駆け寄ろうとしたメティス。しかし、それを待っていたというようにアルヴィンは手をかざした。
「ファンボス、魔王を殺せ」
王様の腕が本人の意思を無視して素早く剣を振り上げた。剣の切っ先はメティスの首元目掛けて斬りつけられた。
「ぐっ?!」
「メティスーーっ!!」
パッとメティスの血が宙に舞う。咄嗟に王様の剣を薙ぎ払いそれが遠くの地面に突き刺さった事を確認してからメティスに駆け寄った。
「め、メティス血が! 首がっ」
「大丈夫だよ……深くはない」
「でも凄い血が溢れてっ」
自分の首を押さえているメティスの手、その隙間からドクドクと血が溢れだしている。メティスの水魔法で回復をっ、ああっでも自分の体への治癒魔法はあまり効果がないのに!
「もう少しで魔王を殺せたのに」
アルヴィンは複雑な動きで腕を振り、また空間を切り取り操りはじめた。
突如、私とメティスの間の空間が切り取られ、まるで崖が崩れるように私だけその場に残り、メティスと王様は遙か下の浮いている切り取られた地面に落とされた。
「メティス!! 王様!!」
すぐに飛び降りようとしたのに、透明な壁が邪魔をして二人の元へ行く事が出来ない!
「魔王が魔王として覚醒してからだと殺すにも厄介だ、人間の皮をかぶっている今殺さないと」
「アルヴィンやめて!! こんな酷い事させないで!!」
「人間の言葉で今日はじめて納得した言葉があるよ」
アルヴィンは宙を飛び、逆さになって私の顔を間近で覗き込んだ。
「復讐は復讐を生むって。昔はよく分からなかったけど、今ならとてもよく分かるよ……どちらかが手を出した時点で連鎖は続き、もう元に戻る事は出来なくなるんだね」
「で、でも、王様がレグルスを殺した訳じゃっ」
そう、王様じゃない。どうやら王様の私兵と共にレグルスは行動していて、その兵達が退いたのにレグルスだけはお城の先に進んだ……そこで誰かに殺された。
その胸に、ポジェライト家の兵士が使う剣が突き刺さった状態で。
レグルスを殺したのは……ポジェライト家の人間? でも、なんで? レグルスとポジェライト家はなんの繋がりもない筈なのに。それにここは隣国であり、私に付いて来たポジェライト兵の数はほんの僅かだ。その全員が私とハイドの警護にあたっている。もしも個人行動なんてしたらすぐにバレてしまうのにそんな事をするだろうか? もしも自由に行動できるとしたら私達と一緒に来ていない誰かの可能性が高い……。
ふと、城下町で偶然再会したフレッツの顔が過ぎった。
ち、がうよね? フレッツじゃないよね? 私とハイドを守ってくれるって騎士として剣に誓ってくれたのに、ポジェライト家が暗殺したのだと陥れるようにわざと証拠を残すようにレグルスを殺したなんてそんな真似をする筈ない!!
「レグルスを殺した人は別にいるよ!! だからっ、早くお城に戻って犯人を見つけて捕まえようアルヴィン!!」
「勿論だよ」
アルヴィンはくるりと空中で回転して、まるで玉座に座るように足を組んで浮いた。
「魔王を殺してからいくらでも」
「アルヴィン!!」
今までは人間らしくあろうと努力していたのだろう。けど、その人間の仮面が壊れてしまったアルヴィンにはもう人としての道理を通した説得など届かない。
切り取られた狭い床の上で首を負傷したメティスは傷口を押さえたまま苦しそうに呼吸をする。そして、王様もまた怪我をしてしまったせいで自力での抵抗が難しくなっているようで、足を引きずりながらジリジリとメティスに近づく。
王様の手から大きな火柱があがり、悲鳴のような叫び声が出てしまった。
「やめて!! やめて王様!!」
透明な壁を何度も何度も叩いて、壊れてくれない壁を心底恨む。私は聖女の生まれ変わりなんでしょう?! じゃあ光の大精霊のアルヴィンの結界くらい壊してよ!! なんで壊れてくれないの!!
「さあファンボス! 魔王を殺せ!! 殺せ!!」
「嫌だやめてーーっ!!」
アルヴィンと私の叫びが混じり合い、その下で王様は苦い顔をした。
「俺をっ、攻撃してもいいんだぞメティスっ」
「……生憎と、貴方に斬りつけられたせいでそんな力は今ないので」
「ははは……ッ、俺も過信しすぎたようだ、まさかお前の弱点になってしまっているとは、なっ」
赤々と燃える火柱が立ち上り、王様は両手を振り上げた。
「俺の息子に産まれてくれてありがとうメティス」
「父上……?」
「お前が魔王でもっ、人間でも、何者でも構わなかったんだっ。孤独と怒りに苛まれた俺の心を晴れ渡らせてくれたのは息子達だったから」
メティスを見つめながら優しく微笑んだ。
「世界を敵に回してでも生き残れ、メティス」
「父上!」
メティスが狼狽しながら王様へ手を伸ばすも遅く、王様は火の魔法を自分の足下に放った。体を炎に包まれながら吹き飛び、異空間の穴の底へ落下していった。
底がない異空間、きっと私達が暮らす世界とは違うどこか。そこに、王様が落ちていった。
「父上! 父上!!」
メティスは地面の端まで駆け寄って、膝をついて王様が落ちていった空間を呆然と見つめていた。
「父上……?」
返事はもう返ってこない。姿も見えない。目の前からいなくなってしまった彼の人を思い、メティスは徐々に体を震わせていった。
そして……赤く光る瞳でアルヴィンを睨み付けた。
「そんなに破壊したいのならこの空間だけでなく……世界諸共滅ぼしてやるぞ!!」
メティスから赤黒い魔力が暴風を巻き起こしながら溢れ出した。
アルヴィンは顔を歪ませながら光の壁を作ろうとして、メティスの魔力に反発されて簡単に破壊されてしまっていた。精霊王の成れの果ての魔王には、光の大精霊の力は全て無効になるという話は本当だった。
メティスが魔王として覚醒してしまう……!
「メティス! メティス! しっかりして! 魔王になっちゃ駄目メティス!!」
透明な壁を手が痛くなるぐらいに叩いて呼んでも声が届かない。どんどん黒い煙にメティスの体が呑まれていく。
「いや……いやだ、まって……まって!」
どこで間違えたの? あの時にレグルスの異変に気がついてあげていればよかった?
王様の尾行に気がついていれば王様は助かった?
メティスを光の大精霊に会わせてしまったのがそもそもの原因?
私一人じゃなくてっ、信頼出来る人を頼れば他の道が見つかったの?!
「悔しい!! どうして私はなにも出来なかったの!! 何故誰も救えなかったの!!」
何度も、何度も、何度も、透明な壁を殴りつける。
「大切な人を守る為に強くなろうとしたのにこれじゃあっ!!」
『ウィズ様……』
ぐんっと、体の内側を引っ張られる感覚。
意識が一瞬で途絶え、気がつけば真っ白な霧がかった空間に降り立っていた。
「ここ……は」
足が水に浸かっている……何もないひんやりとしたその空間には見覚えがあった。
「落ち着いてくださいませ」
目の前にふわりと現れた人物に両手を包み込まれた。
「そんなに壁を叩いては血が出てしまいますわ」
「あ……アイビー……」
そうだ、ここはアイビーがいる空間だ。驚いて声を失っている私にアイビーは優しく笑いかけてきた。
「あまりに悲痛な声で泣いているものですから、驚いて起きてしまいましたわ」
「あ、アイビーーっ!!」
泣きながら抱きついた私を抱きしめて、アイビーはよしよしと頭を撫でてくれた。
「ど、どうして今まで出てきてくれなかったの! 何回も呼んだのに!」
「申し訳ございません、力を蓄える為に眠っておりましたの。精霊の少しの休息は人と時間の差がかなりある事を失念していましたわ……それに」
「それにっ?」
「メティス様が……ちょっと。もうずっとウィズ様にぴったりと一緒にいるものですからちょっと……」
「あう……」
メティスに対してアイビーが酷く慌てふためいていた事は覚えている。メティスに詰め寄られて「無理」と言って姿を消してから全然姿を見せてくれなくなっていたのだ。今思えば、精霊王の生まれ変わりのメティスだから闇の大精霊であるアイビーはいっぱいいっぱいだったのかもしれない?
「アイビーが姿を見せてくれない間にいろんな事があったんだよっ」
「眠っていてもウィズ様を通じて存じておりますわ。魔王様……の真実を知ったのですわね?」
「うんっ、それに光の大精霊がアルヴィンでっ! メティスを殺そうとしてくるし」
「やはり現れましたわね……」
アイビーは何も無い空間を鋭く睨み付けている。アルヴィンの事を考えているのだろうか。
「アイビーとアルヴィンは……知り合いなの?」
「そう、ですわね……もうここまで知ってしまったのなら、わたくしからもウィズ様にお話できる事がありますわ」
「お話出来ること……?」
「ええ、貴方が初代聖女の生まれ変わりである事はもう知りましたわね?」
アイビーに頬を両手で包まれて、うんと頷いた。
「前世の事を少しだけ垣間見えたのですわね?」
「うん……ラフィちゃんっていう子の力で少しだけ」
「ならもう知っている筈ですわ、初代聖女である貴方の前世は命石を手に握って生まれてきましたわ」
「そう、らしいね」
「その命石は貴女と共に生まれ、貴女と共に育ち貴方を守ってきたのです。そして貴女はその生まれた命に名前を付けてくれましたわ」
垣間見えた前世でエランド兄様が早く家に帰ってやれと、家族が待っているといっていた。その時、前世の私は笑顔でその名前を口にしていた。
「アイビー……?」
「はい、わたくしですわね」
アイビーは笑って私の頭を撫でて、次の言葉を続けて言おうとした私の唇に指を当てて話すのを止めさせた。
「ですが、この話は全てが終わってからゆっくりと語りましょう。今は貴女の願いを叶えなくてはいけませんでしょう?」
「願いを……叶える?」
「ええ」
アイビーは私の両手を握りしめた。
「悪意をもって乱された時間を戻したいと思いませんか?」




