122-2 リュシェット【回想】
母様から受け継いだ空間を操る魔法。その空間にウィズ……姉様と俺だけが吸い込まれた。
「リュシェット……」
涙で濡れた哀れな顔で呆然と俺を見つめる。
この呼び名で呼んだのは子供の頃以来だ……まともに会話すら最近はしていなかったから。
ここは何もない空間、空間と空間を繋ぐトンネルのような場所。本来は長居出来る場所ではない。
「貴方に姉様と呼ばれるのは久しぶりね……」
「そ、そんな事今はどうだっていいだろ! それよりも、逃げるんだったら手伝ってやってもいいけど! 空間の出口をポジェライト邸にでも繋げるから」
「いいえ」
ウィズはしっかりと首を振った。
「私と貴方の魔法が同時に発動してしまったようね。外の世界では時が止まっているわ、だから貴方の空間転移の魔法もこの場に留まるだけで他の出口へ行く事は不可能よ」
「じゃあアンタが魔法を解けばいい話だろ、そうしたら助けてやらなくも」
「私は助かりたくはないわ」
はっきりとそう告げられた。助かりたくないという事はつまり……死にに行くと言っているようなもの。
「なんで……」
「魔王様が、メティス様が居ない世界に生きている意味が見つからないから」
何も言葉が出てこない。もしも姉様が全てを捧げてもいいと思える位に魔王メティスを愛していたとして、他の奴がいるじゃないかなんて言えなかった。友人もいない、家族だってこんな有様だ。姉様を引き留める言葉を俺は持ち合わせていなかった。姉様に希望という選択肢を与えてあげられなかったのは……ちゃんと家族になれなかった俺のせい。
「そんな顔をしないで」
姉様は少しだけ躊躇してから俺の頬に触れた。
「私は全てに絶望したから諦めた訳ではないのよ」
「じゃあ……なんで? 姉様とメティス様なんて接点なんて全然なかったじゃないか! 好きな素振りなんて二人とも全然なかったのにっ」
「酷い話よね……メティス様の死を目の前にしないと呪いが解けないだなんて」
姉様は胸元で手を握り絞めた。
「あの人を愛している事に気づく事も出来ず、愛を奪われて死を迎える時に呪いが解けるなんて……全てが終わってしまってから力が覚醒しても意味が無いのに」
「姉様……?」
「リュシェット、メティス様が殺されて私は全てを思いだしたの。何度も何度も何度も私は同じ時間をやり直している」
姉様の口から語られた内容はにわかに信じがたい内容だった。
何度も人生をやり直していると、その度にメティス様は魔王として復活して勇者エランド様やフィローラ、その他にも様々な人間に殺されているのだと。
その結末を受け止める事が出来ずに、姉様は幾度となく時を戻してメティス様を救うためにやりなおしているが、時間を戻すという事は呪いもまた元に戻るという事で、メティス様を愛している気持ちもやり直した時間すらも忘れてしまうと。
「なに? 何を言ってるの? いくら姉様が時を少し操れるからってそんな馬鹿な話が」
「アイビーの力と、私の命を代償に捧げる事で可能なのよ」
「命を、捧げる?」
「それももう出来なくなるかもしれないけれど……アイビーに残された魔力は少なくなっている。それに、私の魂も繰り返しの死に戻りに堪えきれなくなっているの」
メティス様を愛したから姉様は悪事に手を染めたの? そのせいで何度も死んでやり直しているというの? それならそんな恋いらないだろ! 誰か別の人を愛せばよかったのに! そんな姉様を不幸にしかしない恋なら思い出さないままでよかったのに!
目の前にいる姉様は俺の子供の頃に見た優しい面差しがそのまま残っていた……聞こえて来た姉様の様々な悪事。目の前にいるこの人は本当にそんな事をしていたんだろうか。
「姉様答えて……本当に姉様は悪い事をしていたの? 男を誑かしたり国籍のない人々を奴隷にと売り飛ばしたり、自分の悪口をいうような輩を殺したりしたの?」
姉様は俺の目をじっと見つめてから疲れ切った顔で笑った。
「そうよ……私は悪い女なの」
嘘だ……嘘だ……。
その言葉を聞いて姉様が嘘をついていると確信した。今まで俺が問い詰めても何も言わなかったのに何故今になってそれを言ったの? 自分が今から死ぬから? 俺に冤罪だった姉を疑って蔑んだと後悔して悲しませたくないからじゃないの?
俺を苦しませる位なら嫌われたままでいようと、そう思ったから言った言葉なんじゃないの?
「姉様……ご、めん……ごめんね……おれ、どうして姉様の事を信じてあげられなかったんだろう……っ」
「何を言っているの? 私は悪い人なんだから貴方が悲しむ事はなにもないのよ」
「ごめん……ごめん……」
ボロボロと泣き出した俺の頬を両手で包んで姉様は微笑む。ああ……やっぱり変わっていなかったんだ、誰よりも優しくて誰よりも悲しい人。
「お父様とハイドレンジアにはウィズは最後まで悪い女だったと言うのよ。光の前で制裁を受けて生涯を終えたのだと伝えてね」
「いやだっ、なんでっ?!」
「これは誰かに仕組まれていた事だったの、今の私達ではもうどうしようもなかった……それを悔いて欲しくなんてないわ」
頬に触れていた姉様の手が離れていく、それが別れの時を意味すると気づいて慌てて腕を掴んだ。
「いかないで……姉様」
「大丈夫よ、時を戻せば貴方は全てを忘れる。今胸を支配する罪悪感も全て無くなるから安心して」
「そんなのは嫌だ!!」
時を戻して全て忘れたら俺はきっとまた同じ過ちを繰り返す。姉様を傷付けて姉様から笑顔を奪う存在にしかなれない。
「姉様が今俺の心を守りたいと思っているように、今度こそ俺にも姉様を守らせてほしい!」
「リュシェット……」
ぐすぐすと子供みたいに泣く俺の頭を姉様が撫でた。
「懐かしいわね……貴方がとっても小さかった頃に、私はこうして貴方の頭を撫でてあげていた」
「ねえさま……」
「もうそれも出来なくなってしまうけど」
姉様は首から下げていたペンダントを外して俺に渡した。
「それは私のお守りなのよ、だからせめてこの最後の巻き戻りの時は上手く行くと、そのペンダントに祈っていて」
「姉様!」
「さようならリュオ……愛しているわ」
それは幼少期に呼ばれていた俺の愛称。
駄目だ、行くなと手を伸ばした先で姉様は姿を消した。
戻ったんだ、元の場所に。自分を殺してまた最初から時をやり直す為に。
「嫌だ……駄目だ」
死なないでくれ、行かないで。
「何度やっても駄目だったんでしょ? 戻っても経験した記憶は繋がれないんでしょ? それじゃあまたやり直しても同じ事を繰り返すだけじゃないか!!」
そんなの無駄死にだ、誰かに仕組まれているというのなら、またそいつの手のひらの上で踊らされて姉様は不幸の人生を繰り返す事になるだけ。
姉様の不幸を喜ぶ誰かが嘲笑うだけになるんじゃないの?
「他に方法はないの? なんでもする、なんでもするから、今度こそ姉様が幸せになる世界にはならないの?」
自分の事しか考えられなかった俺、傷付けられ続けたのに最後まで俺の事を案じてくれた姉様。
「俺の幸せなんてどうなってもいいからっ」
ブラッドやリリアンと一緒に暮らしたいなんてもう願わないから。俺が今まで散々自由をしてきたぶん、その全てを姉様に捧げるから。
「誰でもいい!! 姉様に巨悪と戦う事の出来る力と知恵を与えてくれよ!!」
その瞬間、目の前が光に包まれた。
まともに目を開けていられないほどの光、けれどその先に確かに誰かいた。
『それはいい考えだ』
「だ、れ……誰だ?」
『確かに何度やり直しても変わらなかった。ただやり直す事が意味のないものだというのなら、ウィズに必要な知識を与えれば何か変わるかもしれない』
光は手を差し出した、その手のひらの上では力なく輝くピンク色の光の球があった。
『これは囚われた異世界人の魂、これを解放してウィズが時を戻した瞬間に、君の魔法と掛け合わせる事でウィズの魂を異世界に飛ばす事が出来る』
「異世界に魂を飛ばす……?」
『異世界への道しるべはこの魂が導き、時を戻す力と時空を越える力を掛け合わせる事で世界すら越えられる。私の力と君の力を利用すればそれが可能』
よく分からないけど、姉さんの魂を元の時間軸ではなく、別のどこかへつれて行くという話なのだろうか?
「そうすれば……姉様は助かる?」
『異世界で産まれその記憶を受け継ぐ事でウィズが選ぶ選択を変えられるかもしれない。
転生先には【巫女の兄】もいるし、それにこの世界の情報をウィズに教えさせよう。
それに、異世界ならアレの手も届かないし……そう、色々と準備も出来るか』
ブツブツと喋りながら一人納得をした様子で、奴は再び俺に問い掛ける。
『ただし、それをすると君には破滅しか訪れないだろう』
「破滅?」
『君が空間を操る媒体になる、即ち君も同じように時間を戻される。君そのものが戻されてしまうから、巻き戻った世界ではリュシェットという存在は二人になってしまうだろう』
「あ……」
『世界に同じ人間は二人存在出来ない、その結末がどうなるかは私でも予想はできない。それでも、自分を犠牲にしてでも、ウィズを助けたいと望むのか?』
ぐっと唇を噛む。
どうなってもいいから助けたいと望んだのは自分だ。目の前に居るのが悪魔だろうが神だろうが関係ない。ウィズを救える手立てがあるのなら迷いは無い。
もう一度、姉様の手で頭を撫でて貰えるのなら……俺は魂だって捧げる。
「構わない! リュシェット・ポジェライトの名に誓ってウィズ姉様を救う!」
『わかった』
音ならぬ音で空間を掻き混ぜられ、風もないのに体が吹っ飛ばされた。その一瞬に光の先に居た奴の顔を見た。奴は安堵したように笑って一言俺に告げた。
『人はこういう時に、ありがとうと言うのだろうね』
◇◇◇
肌を撫でる風と、顔と体に当たる冷たい土の感触で目が覚めた。
「ここは……いたっ」
足を怪我していたのか激痛を感じて足を押さえる。
「あれ」
その手が異様に小さい事に驚いた。体が子供に戻っている……。あれが言っていた事は本当だったのか。今起きた出来事を思いだそうとすると、ご丁寧に姉様から聞いていなかった情報まで頭に入れられていた。恐らくあの謎の人物が俺にそれを施したんだろう。俺をここに飛ばしたのはウィズの願いでもあると、ウィズが望んで飛ばしたのだとも頭の中で言っていた。
そして、強く願われた。ウィズを助けて欲しいと。何者だったんだろう、本当に神様かなにかだったのかもしれない。
「言われなくても……今度こそ俺は姉様を助ける」
その直後馬車が道ばたで倒れる俺目掛けて走ってきて、ギリギリの所で避けた。
驚きのあまり呆然と座り込む俺の前に、馬車から人が降りてきた。
「怪我してるけど、大丈夫だった? 痛くない?」
「え……」
俺とよく似た青色の瞳で心配そうに俺を見下ろして来たのは、間違い無く子供の頃の姉様だった。
けれど、俺が知る儚げな姉様の姿はそこには無く、煌めく程に生気に溢れた姿の姉様がそこに居た。
「どこから来たんだ、親はどこだ」
次に話しかけて来たのは父様だった。親は貴方ですと言いたい気持ちを必死に堪えた。最近ではいつも俯きがちだったのに、自身に満ちあふれた憧れたままの姿でそこにいた。姉様と一緒に馬車に乗っていたの? つまりこの世界での二人は仲が良いんだ……良かった。
「迷子かな? それだったら家まで送っていってあげるよ?」
「うわあぁぁ……んっ」
堪えきれずに大泣きしてしまった。
よかった、よかった、姉様の命を賭けた最後の時の巻き戻しは無駄じゃなかったっ。姉様、俺の姉様聞こえますか? 巻き戻った世界で貴方は家族と一緒にいるんだよ、周りのみんなにも心配されて大切にされているよ。大きな声で話す姿と、綺麗なドレスを見たら大切にされている事がすぐに分かる。
その姿を見れただけで俺はもう、俺の全てを犠牲にしてでも時を戻す事を選択してよかったと思える。
「えっ?! どうしたの?! やっぱりどこか痛む?! お名前言える?!」
「りゅ、りゅっえと、ひっく、うわああああんっ」
名前を聞かれて思わずリュシェットという本名を言いそうになってしまったのを泣く事で誤魔化した。
本当の名前は教えるつもりは無い、勿論俺の正体だって最期まで告げるつもりはない。この世界での俺は姉様を今度こそ幸せにする為に影ながら手伝うだけだ。
リュオと名乗ろう、姉様が呼んでくれた幼少期の俺の名前を。
俺は悲惨な未来をこの身で体験して知っている。だから、今度はそんな事を起こさせたりしない。
姉様も父様も兄様も、みんなが幸せで暮らせるように、今度こそ間違わないように行動するんだ。
ここでは想いの全てを口に出して姉様に伝えるよ。いつか俺が最期を迎える日がきたとしても、その瞬間に後悔をしないように。
もう誰かのせいにしない、自分の決断には全て自分で責任を取る。
だから、姉様の未来はどうか笑顔で満ちあふれていますように。願わくば、姉様の愛した人と今度こそ結ばれる事ができますように。
弟の俺の存在なんて知らなくていいから、貴方はどうか幸せになってね。
◇◇◇
「ところでヴォルフ様、そういった事でしたらリュオはお嬢様の護衛ではなく兵の一人として迎え入れてもよかったのではないですかな?」
「確かにそうだが……」
ヴォルフは自分でも分からないというように考えあぐねる。
「何故かウィズの護衛が一番適任だと思った」
──誰よりも近くで見守れる存在、まるで【姉弟】のように。
今までのリュオの登場シーンなどを見返すと、リュオの考えなどがまた別の視点で見えてくるかもしれません…。




