118-3 屁理屈の最後の一戦(メティス視点)
「僕に勝負を挑むとは?」
よりにもよってこんな日に何をふざけた事を言っているのかとラキシスを冷ややかな眼差しで睨む。口元だけに笑みを浮かべて返答次第ではどうしてやろうかと考えていると、ラキシスは素早くハイドレンジアの後ろに隠れた。
「メティスの脅しには屈しないぞ!」
「ハイドレンジアの後ろに隠れた時点で屈しているよね」
「レンレンと半年に一度戦ってやるって言い出したのはメティスだろ! 今日だって丁度半年目だ! まだチャンスは一度ある筈だろ!」
「ああ……」
その決闘の事を言っているのかと呆れ混じりに溜息をつく。
「それはもう終わったよね、ハイドレンジアは僕に攻撃を一度も当てる事が出来なかった。即ちあの賭けは僕の勝ちだよ」
弱い癖にウィズの大切な存在。そんなものが近くにいたら、ただでさえダルゴットやらに狙われているウィズの弱点になってしまう。だから事が片づくまで領地から出てくるなという話だ、大人しくしていろというだけなんだから十分に温情をかけたつもりだけどね。
「そういう話ならもういいかな、ウィズを迎える準備をしなくちゃいけないんだけど」
「待て」
ハイドレンジアの声が僕の足を止めた。その眼差しは今までのように我武者羅で切羽詰まったものではなく、これが本当に最後の一戦だという覚悟に満ちたものだった。
「これで本当に最後にする、負けたら大人しく領地へ戻って迷惑はかけない。だが、僕だって守られるだけのか弱い存在のままではいたくない、許されるなら姉さんを守る剣になりたい」
ウィズを彷彿させる強い眼差しで僕を見て声を張り上げた。
「その決意を証明したい、最後のチャンスをくれないか」
「……」
少々顔が歪む。別に彼に意地悪をして帰れだの言うつもりはない。半年前の期限の日に強さが期待値に及ばないから現実を突きつけただけだ。そして、今日は本当に時間が無い、というかまさかこんな日に再戦を願うだなんて誰が予想が出来た? ラキシスに馬鹿な事を吹き込まれなければ常識的に考えて無理だと分かるだろうに。
「悪いけど今日は君の為に割く時間はない──」
「夕暮れまであと十五分はある」
割り込んで来た声に驚いて振り返ると、城内の方向から兄上が近づいてきている姿が見えた。
「それ位の時間は与えてやったらどうだメティス」
「ですが」
ウィズが来る時間だけではなく、今着ている衣装は既に正装だ。本当ならウィズを屋敷まで迎えに行く予定だったのだから用意が済んでいるのだから。この衣装を着替える暇も無い、このままで戦えと兄上は言っている?
「結果によっては兄上を酷く恨みますが?」
「大丈夫だろう」
何が大丈夫なのか、成長して身の回りの状況が見えるようになってきた兄上のこの余裕そうな態度は父上を彷彿とさせる……適当そうに見えて先まで見据えているさまが憎らしいことだ。
「このダンスホールが最悪見るも無惨に破壊されますがそれでもいいんですか」
「天井はラキシスに破壊された事だし、これ以上酷くなっても全てラキシスがやったという事にしておこうか」
「エランドさーーんっ?!」
ラキシスの悲痛な叫びに兄上は冗談だと笑う。
「ほら、もう十三分しかないぞ」
「兄上っ」
兄上に無理矢理背を押し出されてしまった。もうここまで来たら勝負を受けるしかないだろう、ごねている時間の方が長くなってはそれこそ時間の無駄だ。
「……これが本当に最後だよ、ただし時間は十分だけだけど、いいね?」
「ああ」
力強く頷く。ハイドレンジアとウィズは見た目よりもこの心の芯の強さが似ていると思う。だからこそ歯向かわれると厄介だ、自分の信念を殺すのは自分以外は存在しないと常に前を見据える者達なのだから。
だからこそ、遙か昔からポジェライトの血筋を敵に回すのは面倒だと思っていたのだ。
「では、時間もない……始めようか」
地面を靴先で軽く二度ついて音を鳴らすと、僕を囲む様に水柱が出現した。それはゆらゆらと揺らめきながら狙いをハイドレンジアに定めた。
僕の魔力媒体となる武器はここでは使わない、これは本当の決闘ではなくハイドレンジアの力量測定。基準を計る為なのだから本気は出さない。
「限られた時間の中でどこまでやれるのか、見せてもらおうか」
僕が手を払うと、揺らめいていた水柱は一瞬にして形を崩して激流となりハイドレンジアに襲い掛かった。
ハイドレンジアは地面を飛び退いて壁を蹴り上空へ避けた。シャンデリアの上に逃げたか。
地上に居るラキシスは洪水に呑まれかけたけれど、兄上が立ちふさがり炎の盾でそれを防いだ。
ラキシスが凄く煌めいた目で兄上を見ている。兄上に憧れるだけじゃなくて、奴自身も成長してもらいたいものだね。
ハイドレンジアが魔法の詠唱をはじめる。氷のつぶてが浮き上がるが……三秒数えて「遅い」と判断した。三秒あれば隙を突かれて攫われるには十分な時間だ。
「これじゃあいつもと同じだね」
煽れば殺気が飛んでくる、気だけ強くても僕には勝てないよ。
指を弾けば、水飛沫をあげて地上から吹き上がった水柱がハイドレンジアを呑み込んだ。
「っ!!」
「まだ僕はここから一歩も動いていないよ?」
ハイドレンジアとの戦いで今まで一度も動いた事はない。そしてそれは今日も変わらない。僕の攻撃を受けて弾け飛ばされたハイドレンジアがただ無我夢中になって向かってくるだけ。
こんな大切な日に向かってくるのだから少しは成長でもしたのかと思ったけど、がっかりだよ。
そして、僕が魔法を操りハイドレンジアを翻弄するといういつものパターンが繰り広げられた。水球に閉じ込められても、水の刃で打たれても、諦めずに向かってくる。けれどそれだけだ、全く僕の間合いには入れない。
しかし、不思議な事にこの日はハイドレンジアが何度か繰り返した不思議な行動があった。
「っ!」
地面に散らばった硝子片を手に取っては僕に投げつける動作を取る。
そんなものは勿論魔法ですぐに叩き落としているから僕には届かないが、数回繰り返してハイドレンジアは分析するように目を細めた。
「肩、腹、足……指先、耳、目」
「うん?」
「狙いは、合っていた」
そうぼそりと呟いた。
確かに狙いは良かった、それを僕が防いだだけで、前から思ってはいたけど彼は命中率が高い。つまり狙った攻撃を細部に当てる事が出来る命中率を誇る。
まあ、攻撃が発動出来ればの話になるけれど。
「あと三分だ」
兄上からコールが掛かる、終わりの時間は近い。そうなればハイドレンジアは最後の一撃にかけるだろう。彼は詠唱時間が長いから、少しずつ詠唱を溜めてなけなしの一回を打ち込んでくる筈。
「決めてやる」
案の定ハイドレンジアは完成させた魔方陣の元、杖を振りかざして攻撃態勢に入った。
どんな攻撃が飛んで来るのか、どんなものでも正面から打ち込めば全て僕に塞がれるというのに。
「フローズンミスト!」
一瞬にして細かな氷の粒子が吹き上がり、肌を貫くような冷たい霧が周囲を包囲した。この状況で水魔法でも使おうものなら直ぐさま凍り付くだろう、かといって高位魔法を使えば手加減は出来ないが。
「目くらましくらいじゃ意味がないけどね」
この霧の中でどこから攻撃をしてこようが意味はない、また詠唱をしようものならその魔力の出力に僕が気づいて先に攻撃出来るし、ナイフなどの武器を振るってこようが水の盾で防ぐことが出来る。この目くらましなら背後から攻めて来るのが普通だろうか。
しかし、ハイドレンジアは霧を割いて僕の目の前に飛び込んできた。
不意をついたと見せかけて真っ向から挑むとは、君はやっぱりポジェライトの人間だよ。もっと、卑怯になってよかったのに。
「終わりだねハイドレンジア」
「そうだ、終わりだ」
視界の悪い中、ハイドレンジアの両手から何かが弾けた音がした。それは僕の足下に飛び散り、地面から鋭い氷が突き出た。
魔法詠唱の気配なんてしなかったのに。
「これで本当に終わりだ!」
そう叫び、ハイドレンジアは僕のこめかみに【何か】を向けて、それを放った。




