111 「前だけを見据えて頑張る貴方は誰よりも」(ルティシア視点)
ハイドレンジアは頭が良く高位魔法を難なく使いこなす天才である。
この一文はゲームでのハイド君を語る一文だった。でも、実際この世界にやってきてハイド君を間近で眺めるようになって気がついた事が幾つかある。
ハイド君は努力の天才だ。産まれもった才能も確かにある、けれどそれにおごらずに日々努力を重ねている。この合宿に来たのだってそうだし、空き時間は図書室で勉学の本を読んでいる。
ハイドレンジアは自分に厳しく他人にも厳しい……けど大好きなお姉ちゃんにはちょっと甘い子。
図書室で何冊も本を重ねて自主勉強をしているハイド君の姿を本棚の隙間から覗きながら一人にまにまと笑ってしまう。
推しの本質を知れて幸せだし、ゲームとは違って着実にハイド君が人としての幸せを手に入れられて私は心底嬉しい。
だからこそ、私というイレギュラーな存在の事を明かすべきかどうか、未だに悩んでいる。
ゲームではハイド君は囚われている時にルティシアと出会ったりしない。でも、実際は深く知り合ってしまった。
ハイド君と初めて出会った時はハイドレンジアだとは気がつかなくて、可愛い女の子が囚われてると勘違いしてしまった。何回もお話をしたし、食べ物のおっそわけもした。無表情だった彼が笑顔を見せてくれた日は天にも昇るような気持ちで嬉しかったし、友達として好かれている自信はある。
んだけど……ゲームでのルティシアはハイドレンジアを不幸にする存在でしかなかった。私があの時の女の子だよ! といえば、また友達にはなれるかもしれないけど……ハイド君の幸せの為に、ルティシアという存在は不要じゃないかと考えてしまう。
現実、今のハイド君にはポジェライトという暖かい帰る家があるし、私は推しが幸せならそれでオーケーです! なんてね。
ハイド君の幸せの為、そして推しの過剰摂取で倒れない為にも、距離を取りながらハイド君の幸せを祈ろう……。合宿とロレーナ家に居る間の栄養管理は豪山田……もうゴウでいいや、そのゴウを通じてやる事にする。あ、ハイド君が帰る頃に栄養管理レシピをあちらの料理人さんへ渡さないとね!
やっぱりハイド君の為にも私の存在は秘密にしようと決め、料理の本を一冊借りる事にしてこっそりと出て行こうとした。
「ハッ! 合宿に来てまでお勉強か? 陰気臭い野郎だぜ!」
静かな図書室に響き渡った嫌みたらしい声に足を止めて、本棚にしがみついてその声の主をガン見した。
あ、あいつザックとかいうクソガキ~! またハイド君に絡んでる!
図書室にいた他の人達もチラチラと腕を組んで偉そうにハイド君を見下しているザックを見ているが、ハイド君は読んでいる本から視線を逸らさない。
「お前の家の名前誰も知らないって言うけどよ、どんだけ田舎の貴族なんだ? 小せぇ男爵家か? なあ?」
そのお方は英雄と名高きヴォルフ様のお子様であらせられる世界の可愛いと格好いいと美しいを詰め込んだ麗しさ五億点のハイドレンジアポジェライト様でしょうがあああああああっっ!! 確かに身分は伏せているけど! ハイド君の何が気にくわなくて絡んでくるというのか?! 顔か?! 顔がいいからか?! わかる~~! ハイド君の顔は国宝級~~! 寧ろ国宝すらも平伏すレベルの高さ~!
あーだこーだと嫌味を並べるザックを、ハイド君は一度も振り向かずにまるでいないものとするように無視を続けた。
ハイド君が本のページを捲った時、ザックは顔を真っ赤にして怒り出した。
「俺様を無視してんじゃねぇぞ!!」
ハイド君の髪を鷲掴んで無理矢理自分の方へと向けさせた! え、罪深すぎない? 処す? 処す? 氷の池に突き落とそう???
「ああ……」
ハイド君は馬鹿にしたように鼻で笑った。
「存在が薄すぎて気がつかなかった」
「き、貴様ぁっ!!」
ザックはハイド君を床に突き飛ばすと、机に置いてあった本でハイド君の頭を殴りつけた。
「銀髪だからっていい気になるなよ!」
「……」
「なんだその目は! 生意気なんだよ少し教師達にちやほやされてるからって調子にのりやがって!」
ハイド君はこの合宿で一番魔力が高く、座学でも高得点をとっている事から目立ってしまっている、こういう嫉みが出てしまう事もあるかと思ったけど、これは……あまりにも。
「どんな不正を働いたのか言ってみろよ、なあ?」
「……」
「魔力が高いから自惚れてんだろ! 生まれつき魔力が高い奴は努力を何もしなくても楽できていいよなぁ! どうせここに来たのだって将来コネを使って地位を獲得しようとか汚ない事を企んでんだろうよ!」
ハイド君はぐっと歯を噛んで何も言わない。
言い返さないんじゃない……言い返せないんだ。ポジェライトという身分を隠しているし、問題を続けて起こせば教師に目を付けられて強制退去させられる恐れもある。
ザックが再びハイド君を殴ろうと本を振り上げた。ハイド君は睨み付けたまま動かないけれど、私はもう我慢ならない。
「随分と盛り上がっているようね」
優雅に物事を切り抜けるのが淑女の嗜み。
「大きな声に、わたくし驚いてしまいましたわ」
「ル、ルティシア様?!」
ザックは私の姿を見るなり顔を赤くして慌てだし、振り上げた本を背に隠した。
「この者が何か粗相でも?」
「あ、いえっ、コイツが普段から俺の事を馬鹿にしてくるので年上として教育してやろうと思っていましてっ」
「そうなのね」
「はい、ルティシア様のお目汚しをする訳にはいきませんよ、コイツは場所を変えてまたわからせてやる事に」
「そういった事ならまず、私を通してくださる?」
「へ」
堂々たる振る舞いで歩き、ハイド君とザックの間に割り込む。扇子を広げて口元を隠した。
「わたくし、この子の姉ですの」
「えっ?! そんな筈は! ロレーナ家にルティシア様以外の子どもはいない筈っ」
ザックは酷く狼狽し、後ろのハイド君からも動揺が伝わる。
「正確には、名のある方からハイドレンジア様をロレーナ家がお預かりしていますの。ですから、今は私がこの子の姉代わりですわ」
「そんな……」
「ですから、わたくしから申し上げさせて頂きますわ」
大きな音をたてて扇子を閉じ、ザックを正面から睨み付ける。
「ハイドレンジアは誰よりも努力をして、今の強さを勝ち取っていますの」
ロレーナ家に居た時だってそう、お母様との特訓で酷く疲れているだろうに、夜遅くまで勉強をしていた事を知っている。真夜中にハイド君の部屋から漏れ出て見えた光が、彼がどれ程努力しているのか物語っていた。
彼が家族と引き離されて、理不尽に囚われていた奪われた彼の時間。それを取り戻すべく彼は人の何倍も必死に努力を重ねている。
「貴方は手がボロボロになるまで稽古をした事はおあり? 片時も本を手放さずに勉強に励んだ事は? 愛する家族に甘える事を自ら律してまで大切な人を守る為に強くあろうとした事はありますの?」
扇子で胸を突くと、ザックは何も言えずにたじろぐ。
「他人を嫉んで口汚い言葉を吐いて発散するしか出来ないようでは、貴方はハイドレンジアの足下にも及ばない小者ですわね」
「な……」
「そんな貴方の言葉でハイドレンジアの心を折る事など出来ませんわ」
ザックへ軽蔑の眼差しを向け、ハイド君へ振り返った。
「立ちなさいハイドレンジア」
ハイド君の目が丸くなる。本当はすぐに駆け寄って心配をしたい、でもこの状況でただ心配をして庇うような事をハイド君は望まない筈。
ザックは貴方を脅かす障害になどならない小物だと、そう示さなくては。
「この程度、取るに足らないでしょう?」
「……」
ハイド君はゆっくりと立ち上がった。ザックはまだ何か言いたそうにしていたが、今度は目もくれずに歩き出す。
「行きますわよハイドレンジア、ここには五月蠅い虫がいて不愉快ですの」
「……そうだな」
「ま、待て! 待てよこのっ!」
ザックが叫ぶ、けれどそれに振り返る事なく私とハイド君は図書室を後にした。
しばし歩き、廊下に誰もいない事を確認してからハイド君に振り向いた。
「ハイド君だいじょ……」
ハイド君の額から糸を引くような血が流れ落ちていて、それを見た途端絶叫した。
「ハイド君の額から血がーーっ?!」
「ああ……さっき、殴られた時に」
「そんな冷静に語らないで?! あ、あ、あの小僧ぉおおおおおおおっ!! ハイド君に怪我をさせるなんて馬の後ろに括り付けて引き摺り回したろか――!!」
「少し切っただけだ」
「そうだね! そんな事したら馬が可哀想だよね! 私の手でちょっくらやってくるわぁ!」
「話が噛み合わない」
腕まくりをして、ちょっくらやってこようとしたのに、ハイド君に腕を掴んで止められた。
「どうして……」
「え?」
「どうしてあんな事を言ったんだ」
「あんな事って、私は私が見た本当の事しか言ってないわよ?」
ハイド君がどれだけ頑張っているのか、辛くても辛いと思わないフリをして努力している事、ハイド君をちゃんと見ていれば分かる事よ。
「ハイド君は誰よりも努力をしているのに、あんな事を言われたら腹がたつじゃない」
ハンカチを取りだして、ハイド君の額の血を拭う。いつもなら触るなと手を振り払われる所だけど、今日は何故か大人しい。
「天才でも、あたりまえでもないと思うの」
目の前にいるのは前世からの私の推し、けれどその前に二歳も年下の小さな子ども。
「お姉さんと、家族の為に頑張っている貴方は最高に素敵だよハイド君」
「っ……」
「前だけを見据えて頑張る貴方は誰よりもカッコイイわ」
頭を撫でて頷く。どれだけ大人っぽくても、前世の記憶持ちの私と比べてまだ子どもなのだ。あんな事を言われて傷つかない筈はない。
だから、せめて今は私だけでも彼の努力を認めて褒めてあげたい。何様だと思われるかもしれないけど、このままにはしておけなかった。
「触るなっ」
案の定手を弾かれてしまった。それはいつもの事だから別に気にしないけど……?
「は、ハイド君どうしたの? もしかして殴られたせいで熱があるんじゃ」
「なにがっ」
「だって、顔が真っ赤」
ハイド君は顔を隠すように手の甲で口を隠して後ずさった。
「なんでもない!」
「あ……」
行ってしまった……なんでもないって言ってたけど、あとでゴウの姿でお薬でも届けようかしら。
「って私! いくら気が立っていたからって推しに触ってしまうなんて?! なんて罪深い! 反省しなさい!」
頬をぺちぺちと叩いて自分を叱りながら、別れ際のハイド君の顔がどことなく嬉しそうだったなと思い返していた。




