11-3 弟の笑顔を盗みにいくのよ!
「……あれ? だれもいないね」
カーテンが閉め切られて真っ暗な部屋。洋服が絨毯の上やドレッサー、ソファーなど色んな所に投げ捨てられて散乱しているし、空気が埃っぽい気もする。
「静かに……あそこにいるよ」
メティスは小さな声で呟いて、ベッドを指さした。
しわくちゃになったベッドの中でスゥスゥと寝息をたてて眠っている黒髪の女の人がいる……ママだ。
ベッドの下には空になった酒瓶があちこちに落ちていて、ベッドサイドの上に置かれたグラスには飲みかけのお酒が注がれたままになっていた。
「酔って眠っているんだろう……簡単には起きないだろうけど、慎重にいこう」
「うん……」
メティスと一緒に足音を殺して部屋の奥へと進む。
奥に隣の部屋に繋がる扉を見つけたけど、背伸びしてドアノブを回してみても鍵が掛かっていて開かなかった。
「この奥が子ども部屋っぽいね……」
メティスは指先から魔法で丸い水泡を出して、それを鍵穴に投げ入れた。水泡は鍵穴の中でぐにぐにと動いてから、スッと鍵穴の奥へ流れ込んで消えていった。
「良かった、中の金具を回したら開くタイプの簡単な鍵みたいだ、水圧で中から無理矢理回しておいたよ」
もう一度メティスがドアノブを回すと、扉がゆっくりと内側に押して開いた。
「行こう」
こくんと頷いて二人で子ども部屋へと入って、念のためにと扉も閉めて部屋を見回した。
カーテンが開けられて心地よい日差しが差し込む明るい部屋、風がそよいで揺れる青いカーテンがとても気持ちがいい。部屋の棚にはベビー用品があれこれおかれているし、壁紙も雲や怪獣、騎士などの男の子が好きそうな絵柄が描かれている。姿見が置かれた棚の上にはブラシもあって、水色の髪の毛が薄らと絡まっていた。
そして、部屋の中央にはベビーベッドが置かれていて、すやすやと落ち着いた赤ちゃんの寝息が聞こえてくる。
清潔で暖かなこの部屋を見ただけでも分かる……私の弟は、ママにちゃんと愛されているという事が。
「よかった」
「ウィズ?」
「よかった……ウィズのおとーと、こわいおもい、してない」
私みたいに怒鳴られたり引きずり回されていたらどうしようって思ってたの。でも違うね、弟はママに愛されてる。大切にしてもらってる、だからきっと幸せ。
「よかったぁ……」
安心して、嬉しくなってちょっと目頭も熱くなっちゃって、笑顔で何度も頷いた。
メティスはそんな私をじっと見つめたけど何も言葉はかけずに部屋の隅から椅子を引き摺りながらベビーベッドの前まで持ってきた。
「ウィズ、弟君に会うなら急ごう、母君が起きたら面倒だから」
「あ、うんっ」
私の背よりも高い椅子に足をかけて、よじ登ろうとした所をメティスが腰を抱き上げてなんとか押し上げる事で椅子の上に乗せてくれた。
「ありがとうめちす!」
「僕の事は気にしないで、弟君に挨拶しておいで」
「うん!」
どきどき、わくわく、心臓が高鳴る。私の弟はどんな顔をしているのかな? お姉ちゃんと仲良くしてくれるかな?
そーっと、そーっと、つま先立ちになりながらベビーベッドの中を覗き込むと。
「わぁ……かわいいっ」
ぽしゃぽしゃな銀色の髪の男の子が寝息をたてて眠っていた。
目鼻立ちもハッキリしているし、身内贔屓を除いてもこれは将来すっごくかっこよく育つんだろうなぁ! 出来る事ならぎゅって抱きしめて頬ずりをしたい。毎日一緒に遊んで、色んなお話を聞かせてあげて、笑った顔を沢山みたい。
そんな幸せな未来を描きながら、にまにまと口元がにやけてしまう。
「お名前なんていうのかなぁ」
「確か、君の家のポジェライト家は代々当主が名前を引き継ぐらしいから、多分ヴォルフ……だと思うよ、同じ名前がいる家系だからミドルネームもあるだろうけど」
「ぼるふ?」
パパと同じ名前なのかな? ぐーっと手をベビーベッドの中に伸ばして、赤ちゃんの頭を撫でた。
「ぼるふぅ、おねえちゃんだよぉ」
ぼるふと、弟の名前を呼んでみたけど、不思議な事に何故かしっくりこない。パパと同じ名前だからかな? なんとなくだけど、この子には別の名前が似合う気がするよ。
その時、ふと弟の首にふんわりと巻かれた黒いチョーカーの存在に気がついた。チョーカーの先端には何やら緑色の石がくっついていてキラキラしていてとても綺麗だ。
それに、黒地のチョーカーに何か文字が縫われているように見えるんだけど、困ったね、私はまだこの世界の文字が読めないから何が書かれているか分からないや。
ん?この世界の文字って何?
「んあぅ」
「あ……」
弟の目がぱっちりと開いて宝石のように美しい、まんまるな赤い瞳と目があった。
私をじっと見上げて何度も瞬いて、私が笑顔を向けると釣られるように花開く笑顔を向けてくれた。
「く、ふぁああ~~っ、かわいいっ、ぼるふちゃん! おねーちゃんよっ」
伸ばされた私の指先を、私よりも小さな手が追い掛けてきて握りしめた。
暖かい手、幸せそうな笑顔。
嬉しい、嬉しい、貴方に会えてよかった。私の可愛い弟が、こんなにも元気で幸せそうでよかった。だから、私も幸せ。
「……ジア? 起きたの?」
隣の部屋から聞こえてきたママの柔らかな声に、緊張感が走る。
ママが起きてしまった…っ?!
「ウィズ…!」
メティスは両手を広げて椅子から降りてと促し、私はそれに従って椅子から飛び降りた。メティスに抱き留められる私の身体。
「……ポセイドン」
メティスが呟いたのとほぼ同時に、ママの部屋にノックの音が聞こえた。
「……しっかりしなきゃ、しっかり……わたしが、わたしが」
ママは独り言を呟きながら部屋の奥へと進み、どうやらノックの相手を迎える為に扉を開けたようだった。
「ポセイドンが時間を稼いでいる間に部屋を出よう」
「え、でもどこからっ」
「ウィズは滑り台は好きかい? 庶民の遊び道具だから知らないかな?」
メティスは窓に向かって手を翳すと、大量の水が溢れだし、それは窓から地上に向かってグルグルと回転して伸びていき、あっという間に水で出来た滑り台を作ってしまった。
「これで逃げるよウィズ!」
「ひゃあっ?!」
メティスに手を引かれるがまま、窓から滑り台へと飛び移った。螺旋状に斜めに傾いたそれに吸い込まれるようにグルグルと身体が滑り落ちて、あっという間に地面へと到着した。
「ウィズ、こっち!」
メティスが指を弾けば水の滑り台はただの水に戻って消えてしまい、私はメティスに引っ張られながら逃げるようにママの部屋を後にした。
最後に振り返った三階の子ども部屋では、変わらずに気持ちよさそうな風が部屋のカーテンを揺らしていた。
◇◇◇
誰もいない玄関前の石の階段にメティスと座りながら息切れをなんとか落ち着かせていた。
「ごめんね……また服が汚れてしまった」
「ううん! たのしかったよ!」
高い場所からの滑り台のなんと刺激的で楽しい事か! くしゃっと濡れてしまった服なんて全然気にならないよ!
それに、メティスが居てくれたから、こうして安全に弟にも会えたのだ。沢山感謝しなくちゃいけない。
「めちす、ありがとー」
「あはは、くすぐったい」
私のお願いに巻き込んでしまって、一緒にずぶ濡れになってしまったメティスを少しでも拭いてあげようと思って手でメティスのほっぺを擦ったけど、私も濡れてしまっているから意味が無い。
でも感謝の意を表明したいんだけどなぁ、どうすればいいのかな。
「あ!」
「なに?」
「ありがとーめちす! おれいっ」
メティスの肩に手を乗せて、真っ白なほっぺに唇をちゅっと押し当てた。
この前ソフィアに呼んでもらった本で、お姫様が王子様にありがとう! ってする時に頬にキスするのを見ていたからね! 私はお姫様じゃないけど、メティスは王子様だから、お礼にはこれが一番いいのだ。
「え……えっ」
メティスは自分の頬に手を添えて何が起きたのか分からないと目をぱちくりとさせていたけど、何故か段々と顔が真っ赤に染まっていく。
「君はっ、なにをしてっ」
「ありがとーのちゅーだよ!」
「っこれはそんな簡単にしちゃ駄目なんだよ!」
「ええー?」
ぼぼぼぼっとメティスの顔がもうどんどん赤くなっていく。濡れちゃったからなぁ、風邪ひかないといいけど。
「メティス様、こちらの方はなんとか……って、顔が赤いですがどうされました?!」
玄関扉から私達の居る階段まで降りてきたポセイドンは、メティスの顔を見て慌てている。対してメティスはなんでもないと顔を背けた。
「なんなの、もう……落ち着かない」
胸の辺りをぎゅっと握りしめたまま、メティスはなんとか気持ちを落ち着かせているようだった。
「ぽせーどさんも、ありがとうごじゃいました」
「メティス様の指示に従っただけです、母君は私を怒鳴り散らしてから部屋に閉じこもったようですから、お二人が部屋に侵入した事には気がついていないでしょう」
「よかったぁ」
ほっと胸を撫で下ろす、バレちゃったらあとで怒られるかもしれないもんね……。
「それにしても、おかしな所だらけの部屋だったね」
「え? どこが?」
メティスは顔に手で風を送りながら話を続けた。
「まず、女主人の部屋の前に護衛がいない。嫌がって付けない人もいるけど、跡継ぎの赤子がいるというのに不思議。それに、夫人の部屋が汚すぎる、普通メイドが掃除するものなのに」
「そうなの?」
「君はまだ幼くて色々と分からないかもしれないけどね」
メティスと私は一歳しか違わない筈なのにおかしいな?
腑に落ちないなぁ、と思いながらもメティスの話を頷きながら聞いた。
「乳母の姿も見えなかったし……子ども部屋だけは綺麗だったりとか、言い出したら切りが無い、おかしな違和感だらけだったよ」
「そっかぁー……」
「まあ、彼らの事は興味ないからいいけど、そういえば君の乳母はどうしたの?」
「わたしのうばー?」
「ソフィアと言ったかな? いつも一緒なのに最近姿を見ないよね?」
あ、そうだね! メティスに説明がまだでした。手を打って大きく頷く。
「そふぃあは、しばらくおでかけです! およびだしちゅう!」
「お呼び出し中? ああ、もしかしてあの事についてかな?」
「ふえ?」
なんの事か分からず首を傾げる私に向かって、メティスは微笑んだ。
「僕がいい知らせがあるって言っていたのを覚えている? その件でソフィアは出掛けているんだよ」
「いいしらせー?」
メティスは私の頭を撫でながら頷く。
「よかったねウィズ、ポジェライト家の当主ヴォルフ、君の父君が帰ってくるよ」
◇◇◇◇◇
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