62-3 「あの人に悲劇は似合わない」(リュオ視点)
ハイドを助ける事が出来たから実は少し安心したし、期待もしてしまっていた。
俺が知る結果にはならないんじゃないか、このまま全て上手く行くんじゃないかと……その考えが甘いと思い知らされたのは、アフィンがウィズに向かって暴言を吐いた時だった。
「これで終わりだと思うな!! お前等がどう足掻こうがその銀の悪魔は俺の物として搾取される運命だ!! そして!! お前もだ女!! お前は男狂いの悪女として疎まれるだろうさ!! 必ずそうさせてやるからな!!」
ゾッと寒気が全身を襲う。アークの後ろに縛られているアフィンへ振り向き、今コイツが言った言葉が脳内で何度も復唱された。
ああ……だめだ、少し変わったとしても【運命が軌道修正をしようとしてくる】コイツが捕まって、然るべき場所で裁きを受けるだろうなんて考えは……甘かった。
アークが走り出した。俺の前にはウィズ、その前にはハイドを抱きかかえたゼノ様が乗っている。
幸いにも二人は何か会話をしていて、俺とアフィンの事は気にしていない。
(念のために神経麻痺の薬を持って来ておいてよかった)
ポケットから注射器を取りだし、それをアークの尻に打った。
ここなら針の痛みも感じにくい痛覚が鈍い部分の筈だから、走っている今ならアークは気づかないだろう。竜相手ならこの薬も少しの違和感で済んですぐに治る筈だ。
そう、背に乗せている人が突然消えたとしても、気づかない程度の微量な違和感さえ与えられたら良いんだ。
俺の心の内はとても静かで、頭の中でどうしたら一番効率が良いかを考えるばかりだった。
それは覚悟を決めていたからなのか、心を鎮めておかないと堪えられないからなのか……分からないけれど。
直進した先に崖が見えた、あの程度の崖ならばアークは跳び越えられる筈。
あの場所が、最適なポイントだろう。
静かに、そして素早く身を翻し、声を出させないようにアフィンの口を手で塞いだ。
「ふぐっ?!」
アフィンは驚きでたいした言葉も言えずに目を剥いている。そして、腰のベルトからナイフを抜いて、アフィンの耳元で囁く。
「行こう」
アークが崖を越える為に空高く跳んだその瞬間、アフィンの体を縛っていたロープをナイフで切断し、ボクとアフィンだけアークの背から投げ出される。
二人だけ、崖の下へと落ちていく。
「地獄へ、堕ちてくれ」
崖の側面に生え茂っていた木々に体を打ち付けながら、アフィンは崖下に転がり落ちた。
俺は落ちる途中で一度木にぶら下がってから地面に降りたから怪我をする事はなかった。
「ぐあっ?! なんだっ何が起きて……っ」
呻くアフィンを横目で眺めつつ、崖の上を確認する。
アークが走り去って行く音が聞こえるから、誰にも気づかれずに上手く降りる事が出来たようだ。
「ちょっと話をしないかアフィン」
「平民如きが俺をこんな目に合わせてただで済むと思うな!!」
アフィンは立ち上がり、俺を指さして喚く。
「貴族に害を加えたのだからな!! 死ぬまで賠償金を支払ってもらうぞ!! 逃げようとしても無駄だ! 大人数で痛めつけて助けてくださいと泣き喚きながら後悔させてやっ」
「アンタって言っている事もやっている事も本当に二流だよね……」
「なんっだと?!」
「こんな奴に、ウィズの人生を汚された事があるのかと思うと反吐がでるよ」
「はぁ?」
なんの事だと眉間に皺を寄せていたが、すぐに馬鹿にしたように鼻で笑った。
「俺の屋敷での事か? ああそうだな、あそこで上手くいっていればこんな面倒な場所に来る事もなかったな」
舌なめずりをしながら、限界まで口を開いて醜い笑顔で笑う。
「襲われたフリをしてあの女の噂を地の底まで落としてやれと言われていたが、気が変わった、あの女を穢して道ばたに捨てておいてやるッ!
この俺様の服を汚した罰だ!! ハハッ!! ポジェライト唯一の後継者が惨めを晒すとは噂好きの貴族達がすぐに悪意の種を蒔くだろうな!」
「……」
アフィンは声高らかに笑い、俺は拳を握りしめる事でなんとか怒りを堪えた。
「お前をここで殺して魔物の餌にしてから、ポジェライト邸に忍び込んでやる……! あの女も銀の悪魔も俺様の物だ!!」
「始まりの悪の種はお前だった」
「あ?」
自分に酔いしれるアフィンの言葉をもう聞く必要はない。今の会話で十分に分かった。
「ウィズは銀の髪と赤い瞳の少年がオヴェン家に捕らえられているという噂を聞いてオヴェン家を訪問し、お前にはめられて【オヴェン家の長男を誘惑し婚約を破棄させようとした】という汚名を被せられた」
「ハッ、お前知らないんだな? その計画は残念ながら失敗におわっ」
「噂は様々な悪意が加わり瞬く間に広がり、数年後にはポジェライト家の令嬢は男狂いだと言われるようになった。色々な男を誘惑し、利用し、チェスを遊ぶかのように男を動かしていると」
「おい、なんの話だ」
「裏社会との繋がりもあり、黒い噂は全てもみ消していて、婚約者の王太子も婚約破棄したくとも王家とポジェライト家の繋がりという事で出来ずにいる。
お陰で父のヴォルフの評判も落ちてしまったのに、ウィズは贅沢を尽くす為に顧みることをせずに、遂には魔王に魂を売り人々の命を犠牲にして世界までも自分のものにしてしまおうと企んだ」
「オイ!!」
「そしてこう呼ばれるようになる……王国最大の悪の華と。
王国に住む皆が恐れ戦き憎んだ、あの悪女を国から追放しろと」
血が滲む程に強く握った拳をそのまま、怒りを瞳に宿しアフィンを睨め付けると、アフィンは僅かにたじろいた。
「ふざけるな……ふざけるなよ!! 何が悪の華だ!! なにが魔王の手先だ!! あの人程優しくて悲しい人はいなかったのに!!」
悪の華と呼ばれるようになったウィズの噂は全てデタラメだった。
ウィズはそんな事をしていないし、身に覚えも無い、時にはわざとそうなるように罠に嵌められた事だってあった。
ウィズが違うと叫んでも誰も信じてくれなかった、段々と孤立していって、悪の華と呼ばれるようになった頃には周りに味方なんて残っていなかった……俺以外には。
【ここのウィズ】は、周囲に味方も沢山いて、家族にも愛されていて、とても明るい少女だったから、そんな未来は来ないかもしれないと思った。
アフィンの事件も俺が気に掛けて見張っていたから阻止できたし、ハイドだって早い段階で助ける事が出来た。
もう、あんな風に悪の華と呼ばれる事態にはならないだろうと……期待したけど。
「……アフィン、お前は最初に悪の種を蒔いた。それだけならまだしも、お前は何度もウィズの前に現れては、ウィズを脅して更に汚い噂をばらまいていた。
母親の死ですら……ウィズが仕組んだ事だと馬鹿げた嘘を吹聴した!!」
コイツさえいなければ、あの人はあんなに泣く事もなかったのに。
「お前は……生かしておけない」
ナイフをクルッと手の内で回転させ、アフィンに狙いを定めて目を見開く。
「お、おいおい……! 貴族を殺したらどんな目にあうか分からないのかよ?! お前だって処刑されるぜ!!」
「今でも一つだけ分からない事がある」
俺が一歩近づけば、アフィンが一歩後ろへ下がる。
「お前は悪の種の一つだった、その後にも悪の種は沢山ウィズに付きまとい、悪の華として開花させた……なら、その種を蒔いたのは誰なんだ?」
「な、なにを」
「だっておかしいだろ、ウィズがオヴェン家を訪問した時も突然だったにもかかわらず随分と用意周到に罠に嵌めていた、今回だって随分と計画が整っていたように思える」
アフィンと距離を詰め、下からアフィンの顔を覗き込んだ。
「それに、お前程度のレベルの奴が、北の銀狼と名高いポジェライト兵の門番を二人も殺したって?」
「な……なっ」
「誰か手引きした奴がいるんだよね? それは、誰だ」
ウィズを悪の華となる事を望む者は、一体誰だ?
「はっ!! 顔も名前も明かさずに計画と金だけ渡してきた奴の事なんか知った事かよっ!!」
アフィンは俺の腹目掛けて炎の玉を打ち込んできて、俺はその反動で派手に吹き飛んだ。焼けた服と肌を手で押さえながら蹲る。
「ハハハッ! せめて天国へ逝けるようにお祈りしておけよ!! 助けてぇママパパァと泣き喚け!!」
「……」
「死をもって俺に詫びるがいい!!」
アフィンは狂ったように楽しげに笑いながら、炎を手に纏わせながら俺に飛びかかってきた。
「アンタが、下衆でよかった」
ナイフをアフィンの胸目掛けて投げつけた。それは、アフィンの心臓を貫き、パッと赤い血が辺りに散る。
「せめて一瞬で……さようなら」
ドサリ、と音をたててアフィンが地面に崩れ落ちた。
段々と地面が赤く染まっていき、アフィンはもう動く事はなかった。
「……ナイフ、回収しておかなくちゃ、だめだ」
アフィンの胸からナイフを引き抜いて、それを見下ろす。
「前の俺は甘かった……こんな奴ですら怖くて何も出来なかったから……捕まえておくだけじゃ駄目だ、何度も、何度も、悪意はウィズに付きまとう」
悪の種を蒔いたのは誰だろう……結局アフィンは知らないようだった。
ウィズに害が及ぶ前に……俺が見つけて、消さないと。
大切な者を守る為に、汚れる覚悟はもう出来ている。
アフィンに背を向けて、ふらつく足取りで森の出口へと進んでいく。
大丈夫……魔の森で倒れているのを見つけられたとしても、魔物にやられたと思う筈。人が死んでいても、誰も不思議には思わな……。
「うっ……」
目眩と吐き気に堪えきれずに木にもたれ掛かりながら崩れ落ちてしまった。
人を殺してしまった……どんなに腐った奴であったとしても、手に掛けたのは人の命だ。
寒気と汗が止まらない、血で染まったナイフを握りしめたままガタガタと震える。
でも、もう戻れない……願いを果たすために。
『命を賭けた願いを、貴方に託します』
ウィズがそう告げ、俺に託したこのペンダント。
「命を掛けた願いを必ず叶える」
首から下げているペンダントを服の上から握りしめ、溢れそうになっていた涙を拭って空を睨み付けた。
「だってウィズに……あの人に悲劇は似合わない」
ここのウィズは、俺の知るたまに見せてくれた柔らかい笑顔じゃなく、夏の青空のように弾ける笑顔を見せている。
そんな笑顔を知る人が、悲劇で終わるなんてあっちゃいけない。
いつか俺は地獄へ堕ちる……けどそれは、願いを叶えてからじゃないと。
自分を奮い立たせ、最後にアフィンに振り向いてから……森の外へと走り去って行った。
あと一話で七章が終わる予定です。
八章はいちゃこらを多めにしたいですねぇ。




