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8.



 妹の婚約者カイル・ドナテロがペンネローズ伯爵家を訪ねてきたのはアーシュリアが伯爵家にやってきてから二か月ほどが過ぎてからだった。

 まだ大学に在籍中の彼は日頃は王都から少し離れた大学街の学生寮で生活している。今日は大学が休みだったので尋ねてきたのだろう。



「お久しぶりですね、伯爵」

「ああ、久しぶりだな、カイル。急にどうした? 生憎とシェリルなら外出しているぞ」

「どこに出掛けてるんですか?」

「神々の家だ。最近はシェリルもネリネもアーシュリア……レディ・シルクティアと一緒に少しずつ地域の奉仕活動に参加するようになってな」


 神々の家というのは大陸で広く信仰されている十神教の宗教施設だ。各神をまつった祭壇のある神殿と修道院、それから孤児院などが併設されている。上流階級は季節に合わせて神に祈りを捧げ寄進を行い、週末は奉仕活動に参加するのが昔からの習わしだ。

 しかしペンネローズ家は奉仕活動を率先して行うべき夫人が病に倒れてそれが叶わず、後妻のケイトもろくにそう言った行事に参加しなかったことで地域の神々の家とは親交が途絶えていた。

 アーシュリアが伯爵家に来てからそれらの活動を再開させたのだ。


「シルクティア家の家庭教師ですけど、オレは辞めさせた方がいいと思いますね」

「どうしてだ?」

「だって伯爵だって彼女の評判はご存じでしょう? 王太子から婚約を破棄された問題のある女性ですよ」

「それはでも、そもそも王太子が男爵令嬢を好きになったからだろう? レディ・アーシュリアに非がある話じゃないんじゃないか?」


 ようするに十年前、王太子フェルナンドは婚約者のある身でありながら下級貴族の娘に入れあげたのだ。

 問題ある行動を取ったのに女性の方に瑕疵があるとされるのは理不尽ではある。


「どうでしょうかねえ? アーシュリア嬢に何の問題もなければ婚約破棄なんてされないと思いますけど……大丈夫なんですか、伯爵家は?」

「なにに問題があると言うんだ?」

「レディ・シルクティアはシェリルやネリネに関わるものについてある程度予算の扱いを任されているんでしょう? そのお金をこっそり懐に入れて自分の贅沢に使ってるんじゃないですか?」

「なんだって!?」


 カイルの言葉にセオドリックは瞠目した。


「そんなことはあり得ない」

「どうしてです? 新しい宝飾やドレスの仕立代なんか、けっこうな金額だと思いますよ」

「彼女は侯爵令嬢だぞ。ドレスも宝石も立派なものを持っている。横領する理由がない」

「つっても未婚のオールドミスで労働者ですよ。金に困ってないなら働く理由なんかないじゃないか」

「それは……だが……」


 セオドリックは口ごもった。

 確かに、上流の女性が自分自身で働く理由の大半はお金に困っているからだ。家庭教師は寡婦がなる仕事とされているが、つまり稼ぎ頭である夫が亡くなったから夫人が働くしかない状況なわけである。

 アーシュリアはなぜ家庭教師をしているのだろうか。金には困ってないと言っていたはずだが。

 カイルがふう、と息を吐き出した。


「本当に予算をシェリルのために使っているなら、シェリルは新しい華やかなドレスを着たり大粒の宝石を身につけてるんじゃありませんか? どうです?」

「それは……そういう姿は見ていないな」

「でしょうね……俺もミリアに報告を受けて知ってるんです。レディ・アーシュリアはむかーしのドレスを引っ張り出してきてメイドに染め直させたり、シェリルやネリネ自身に手直しさせたりしてるそうじゃありませんか。最近買ったアクセサリーもあなたの紹介のやすっぽ……失礼、小さなチャームのブレスレットだけだとか。これで二人のためにお金を使っていると言えますかね?」

「それは……」


 確かにあのチャームのブレスレットはものはいいが派手さや華やかさには欠けるアイテムだ。

 贅沢品と言えるかは微妙だろう。。


「だが彼女が横領する理由はやはりないだろう?」

「どうですかね……シルクティア家は安泰とは言えませんから」

「なに?」

「婚約破棄の一件に、それに最近国内の絹織物は安い東洋産に押されてきてるんですよ。シルクティア領の収入のほとんどは最高級のセレナシルクですから、あの領地はそのうち減収するんじゃないですかね」

「む……」


 それは一理ある。

 イリスローズ商会が国産の最上級シルクを新産業のために比較的安価に仕入れられているのも、東洋産絹織物の輸入が活発になってシルクの値段が下がってきたからだ。


「そのうち帝国に高飛びするために金を蓄えてるんじゃありませんか、あの女は?」

「そんなはずは……」


 ない、とは断言しきれない。

 もともと彼女はもう帝国に十年暮らしていたのだ。

 あることないこと言われるセレナ王国の暮らしを捨てて帝国に定住するためにお金を貯めていると言われたら、そういうことあるかもしれないと思えてくる。


「お兄さま、ただいま戻りましたわ……カイルさま」


 ノックの音が響いて、部屋にシェリルが入ってきた。シェリルはカイルが応接室にいるのを見て、顔を強ばらせる。

 すぐさま後ろにいたネリネがシェリルとかいるの間に割って入った。


「まあ、カイルさま! ご訪問の予定が合ったなんて知りませんでしたわ」

「大学が休みだったので君たちの顔を見に来たんだよ」

「あら、どうも」


 つん、とネリネが顎先を上げてカイルに微笑む。


「事前に伝えていただけましたらお出迎えの用意が出来ましたのよ」

「ちょっと様子を伺いに来ただけだけなんだよ。きみもシェリルも元気そうだな」

「ええ、とっても。シェリル、お兄さまにあれを渡さなくては」

「う、うん……あの、お兄さま、これを」

「なんだ?」


 おずおずというようにシェリルが差し出したのは女神の刺繍が施された刺繍飾りだった。


「司祭様に授けていただいたのです。水の女神様のお守りですわ。商売繁盛になると聞きましたの」

「ありがたいが、どうやって授かったんだ?」


 これは手の混んだ刺繍飾りでただのお守りではなかった。一定以上の寄付をしたと認められたものにだけ授与されるものだ。


「シェリル様が神々のお姿を描いた姿絵を奉納されたのです。たいそう出来がよくて司祭様が気に入ってくださり、明日から神々の家に飾ってくださるそうですわ。それで特別にお守りの刺繍飾りを一つ授与してくださるというので、シェリル様が伯爵のために選ばれたのですよ」


 そう説明したのは遅れて入ってきたアーシュリアだった。

 カイルがその美貌にぽかんと口を開ける。


「初めまして。アーシュリア・シルクティアと申します。そちらの方はドナテロ伯爵家のカイルさまでよろしかったかしら」

「え、ええ……」


 ガクガクとかいるがうなずく。

 セオドリックはそれを無視してアーシュリアに話しかけた。


「シェリルが絵を奉納したというのは?」

「そのままの意味です。シェリル様には絵画の才能がおありだわ。スケッチブックいっぱいに色んな絵を描いてらっしゃるの。ご覧になったことはない?」

「ないな」

「ならシェリル様、あとでお兄さまに見せて差し上げるといいでしょう。お仕事の参考になりますよ」

「そ、そんな……」


 かしこまるシェリルの肩をネリネが叩く。


「いいじゃない。司祭様もあんなに褒めてくださったんだもの。シェリルの才能は本物よ!」

「ええ」

「どうして絵を奉納したんだ?」

「この近くにある神々の家の神々の御姿はずいぶん昔に書かれたもので、古ぼけて掠れていたのです。ですが新しい御姿絵を奉納してくださる方がおらず、そのままにしていたのですって。ですから先生がシェリルに描いてみたらどうかとお薦めになられたの」

「先生にすごくいい絵具とカンバスを用意して貰って、描いたのです。それを今日納めてきたのですわ。司祭様には気に入っていただけたみたいだけど」

「一ヶ月余りでよくあれだけのものが描けたと思いますよ。シェリル、芸術は上流の嗜みです。胸を張りなさいな」

「……はい」


 アーシュリアに背を叩かれ、シェリルがしっかりとうなずいた。


「あの、お兄さま。どうかこれを受け取ってくださいな」

「……ああ、ありがとう」


 今までになくしっかりとした口調と視線で妹に見つめられ、セオドリックは驚いた。

 妹たちはいい方向に変化しているように見える。

 やはりアーシュリアは優秀な家庭教師だ。

 カイルの疑念は杞憂のように思われた。




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