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6.



「旦那様、お暇をいただきとう存じます」


 ミセス・パーマーがそんなことを言い出したのはアーシュリア・シルクティアが家庭教師として屋敷に滞在するようになって一ヶ月ほどたったころだった。


「どうしてだ、ミセス・パーマー、なにか我が家に不満が?」

「いえ、旦那様。なにぶん、わたくしももうずいぶんな歳なものですから、どこかのタイミングで止めさせていただこうとはまえまえから考えていたのです。この度優秀な家庭教師をお招きなさったようですので、老いぼれは引退しようかと思います」

「レディ・シルクティアはシェリルの家庭教師だ。きみにはネリネの面倒を頼んでいたはずだけれど……」

「わたしくめがネリネ様にお教えすることはもうございません。古くさいばばあの話など、若いお嬢さまには不要というものですよ」

「だが……」

「ネリネ様の学習に関しましても、レディ・シルクティアが見てくださるそうですから、ご心配はいりませんとも。大変優秀な女性です。あれほどの方を招けるのですから伯爵家は安泰でしょう」

「なんだって?」


 ミセス・パーマーの話にセオドリックは目を見開いた。

 セオドリックは慌ててミリアにアーシュリアを呼び出してもらった。


 現れたアーシュリアは平然とした顔でセオドリックを見返した。


「ええ、ネリネの教育も私が面倒を見ます。一人教えるのも二人教えるのも労力としてはさほど変わりませんから」

「だがきみにはシェリルを頼んだんだ」

「シェリルの教育もきっちりやるわ」


 そういってアーシュリアはにっこりと笑った。


「ミセス・パーマーは息子さんと一緒に暮らしたいんだそうよ」

「そうなのです……息子夫婦が孫も独立したことだし、一緒に暮らさないかと言ってきてくれまして。老い先も短いですので家族と共にいたいと思っております」

「う……それは……」


 そんな風に言われたら駄目だと言えなくなるではないか。

 結局セオドリックはミセス・パーマーの退職を許可せざるを得なくなった。


 その日の夜、セオドリックは二人の妹とアーシュリアと共に自宅で夕食を取った。

 アーシュリアが同席するのは食事の時間もテーブルマナーを教えるためである。

 シェリルの隣に座って丁寧に食事の仕草を教えるアーシュリアに斜向かいのネリネが話しかける。


「うれしいわ。わたしもレディ・シルクティアに教えていただけるなんて!」


 ネリネの猫なで声にセオドリックは思わず顔をしかめた。

 それに対し、アーシュリアが鷹揚にうなずく。


「結婚を控えているのはシェリルもネリネも一緒なのだもの。二人とも淑女の教育を受けていて損はありませんからね」

「レディ・シルクティア、ネリネは平民と結婚するんだ。淑女教育なんてほどほどでいい」

「あら……でもケヴィン・オーランド様は貴族とも付き合いのある方でしょう? その婦人であれば貴族とやり取りすることもありますよ。不足した教育でオーランド家の顧客に恥をかかせてしまったらイリスローズ商会にも傷が付くわ」

「そう……そうなの。わたしもずっとそう思っていたんです、先生! でもお兄さまはそういうお話はちっとも聞いてくださらなくて……わたし、イリスローズ紹介のお仕事だってもっと詳しくなりたいのに」

「まあ、ネリネは向上心があるのね。今度お兄さまにお店を見せてもらったらどうかしら?」

「ちょっと待て、なにを言っているんだ!?」


 アーシュリアの言い始めたことにセオドリックは目を見開いた。


「ネリネを店に連れて行くなんてありえない!」

「どうして? ケヴィン様はお店に顔を出されるのでしょう?」

「それはそうだが……」

「なら一度見てみた方がいいと思うわ。そうだ……シェリルも一緒にどうかしら? あなたのお兄さまのお店を一度自分の目で見てみたいとは思わない?」

「わ、わたくし、ですか?」


 アーシュリアに話しかけられ、一生懸命骨付き肉と格闘していたシェリルが飛び上がった。

 周囲を見回す。


「わ、わたくしは……その、お兄さまのご迷惑には……」

「迷惑になんてなりませんよ。イリスローズ商会の商品はあなたのような貴族の令嬢に向けて売っているものもたくさんあるのです。むしろあなたたちくらいのご令嬢が店頭に来ても問題なく接客できなければ商売になりません。ねえ?」

「……それはそうだが」

「じゃあ決まりね」


 ぱちん、とアーシュリアが両手を合わせた。


「近々(わたくし)たち三人でお店を訪ねてみましょう」


 このアーシュリアの一言で三人が商店の店頭を訪れるのは決定事項となった。


「いったいどうなっているんだ……まったく」


 セオドリックは執務室で痛む頭を押さえて小さく呻いた。


「ネリネのやつがアッシュに取り入ったのか?」


 そうとしか思えなかった。

 アーシュリアは名門の侯爵令嬢。それがネリネのような平民の娘に簡単に親切にするはずがない。

 そう思ったセオドリックに対し、ミリアが「どうでしょう」と口を開く。


「それより、レディ・シルクティア自身が問題のある方のような気がいたします」

「どういうことだ?」

「なぜわざわざお嬢様方二人を連れて旦那様の仕事を見る必要があるのでしょうか? あの方、ひょっとして旦那様の商売を乗っ取るつもりではありませんか?」

「まさか!」


 ミリアの言い分にセオドリックは目を見開いた。


「シルクティア家は名門貴族だ。商人の真似事など興味があるはずがない」

「ですが、あの方はいろいろと噂のある方ではありませんか……シルクティア家は名の通り絹の名産地です。ひょっとして商会の商品をそっくりまねて自分たちで売るつもりなのでは?」

「そんなはずは……」


 セオドリックは口元に手を置いた。

 ない、とは言い切れない。この三年間、シルクの白粉を売っているのはイリスローズ商会だけだが、競合他社が出てこない可能性はゼロとは言い切れない。だからセオドリックもあれこれ設けている内に事業を広げようと工夫を凝らしているのだ。カタログ作りだってその一環である。


 それにもともと、シルクと真珠の白粉を売るというのはアーシュリアのアイディアだ。

 彼女がそれを我が手に取り戻そうとしようとしてもおかしくはない。


 セオドリックは己の考えにぶるりと震えた。


 そういえば、足場がためがどうのこうのいっていたではないか。

 彼女は帝国から帰ってきて商売で一旗揚げるつもりなのだろうか?

 それなのにセオドリックがアイディアを奪ったから実は怨んでいるとか?


 いやいや、とセオドリックは首を横に振った。

 そんなことはない、と思いたい。




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