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5.



「え、本当にアッシュなのか?」

「ええ。騙しているつもりはなかったのだけれど……仕事の依頼が来たときまさかとは思ったけれど、やっぱりここがセオの実家だったのね」


 目の前の美貌の女性はセオドリックの執務室をぐるりと眺め、小さく口元を緩めた。

 その見目格好はどう見ても立派な淑女そのものだったが、顔立ちは記憶にある友人のものそっくりだった。

 強いて言えば唇と頬に女性らしく軽く色味がのっているように見える程度の際だろうか。


 たしかにセオドリックの友人アッシュと名乗っていた少年は中性的な容貌で男にしては小柄だった。

 だからといってこんなことがあるだろうか?


「待て待て待て、訳がわからないぞ!」

「そうよね……ちょっと落ち着いて話をしましょう」


 家主であるのに客人に椅子を勧められるという失態に気づく余裕はない。

 セオドリックは応接スペースのソファにどかりと腰を落とした。


「頼む……説明してくれ」

「そうね……騙しているつもりはなかったのだけれど、帝国大学で講義を受けるにはあの格好の方が都合がよかったのよ」


 アーシュリアはそう口を開いた。


「私がどうして帝国にいたのかは説明した方が良いかしら。有名な話だからあなたも既に把握していると思うのだけれど」

「ああ、うん……いちおう、知っている。その……」

「ええ、フェルナンド王太子殿下との婚約が破棄になってしまって、外聞が悪くなったから帝国の修道院に一時身を寄せたの……そこでしばらく過ごしている内に大学に興味が出てきてね……帝国大学は女性でも講義の聴講が出来るでしょう?」

「ああ、希望を申請すれば聴講生として話が聞けるんだったな」


 セオドリックが知る限りソレイユ帝国大学は現在世界で唯一女性の聴講を認めている大学だ。

 もともとソレイユ帝国は皇帝と皇后がほぼ同権を保持し共同で統治している大国で、皇后候補の皇族の姫君は皆幼少の内から大学の教授を家庭教師にするのだという。そういった習慣が大学の制度に反映されて、女性であっても大半の講義を聴講することが出来た。

 とはいえ話を聞けるだけだ。学生として在籍することは認められないし、法学や経済学の講義を聴講することは外聞が悪いとされている。

 だがこの友人はかなり幅広く講義を受講していたはずだ。


「最初はふつうにドレスを着て講義を受けていたの。だけどじろじろ見られるし話しかけられるのが面倒になってね、男の格好をすることにしたのよ。名前もアーシュリアだと女だとばれてしまうから、アッシュと名乗っていたわけね」

「えーと……俺の記憶だと、その、アッシュというのはきみ、いや……あなたの」

「いままでと同じしゃべり方でけっこうよ。ええ、燃え尽きた女(レディ・アッシュ)……蔑称ね。でもちょうど男の名前だから都合がよかったのよ」

「は、はぁ……」


 なんというか、想像とだいぶん違う。

 留学時代の友人だったことももちろん驚いたが、婚約破棄された女という後ろ暗い印象を一切感じない。


「えっと……じゃあ仕事というのは、令嬢の家庭教師だったのだな。その、フォーリア伯爵家の?」

「最初に行ったのは違う家よ。フォーリア伯爵家のベラルシア様はわたしの三人目の教え子ね。先日無事に結婚式が終わったわ」

「それはおめでたい」

「ええ……だから帰ってきたの。そろそろこの国でやりたいことの足固めを始めるべきだと思っていてね……いい伝手がないか探していたところにペンネローズ家から家庭教師を探しているという話を聞いて、ひょっとしてと思ったのよ。あなた、事業を興したんですってね?」

「ああ、そうだ! きみが以前言ってた白粉の事業なんだけど……」


 いいながらセオドリックの声は尻すぼみになった。

 アイディアはほとんどアッシュが出したようなものだ。それをセオドリックが勝手に一人で商売にしてしまったことに対する罪悪感が胸をよぎる。

 アーシュリアは瞳を細めて笑った。


「知ってるわ」


 アーシュリアの声音はさっぱりしたものだった。

 怒りや妬みのようなものは感じない。セオドリックに向けられた気さくな笑みは帝国で生活していたころと変わりがないように見えた。


「タイミングがよかったわね。国が鉛の白粉を禁止したおかげであなたの立ち上げた商会の商品をよく見かけるようになったわ」

「まあ、そうなんだ」


 セオドリックは立ち上がって執務机の上に置いてあった冊子を取ってきた。


「これはいまうちで作っている商品のカタログなんだが……どうもぱっとしないんだよな。商品の良さが余り伝わらないというか、……」


 セオドリックが冊子を手渡すとアーシュリアはそれをパラパラと捲った。


「そうね……貴婦人向けのカタログにしてはあっさりしすぎているような気がするわ。これは食器カタログを参考し似ているわね? 美粧品なのだから、帝国のファッション誌を参考してはいかが?」

「そうか。わかった、取り寄せてみるよ」


 いいアイディアをもらい、セオドリックは机に戻ってメモを書き留めた。

 帝国の最新ファッションはファッションカタログの形で輸入されてくる。都内の本屋にも置いてあるだろうが、数が限られているから港の本屋から購入した方がいいかもしれない。

 セオドリックはインクが早く乾くように紙を軽く振った。


「それで、セオ……家庭教師の話の方なんだけど」

「……そうだった。採用するよ。妹なんだが」

「あら、もう少し考えた方がいいんじゃないのかしら? 大切な妹さんのことでしょう?」

「きみなら任せても問題ない。俺には勝手のわからないことだし……継母にいじめられてすっかり引っ込み思案になってしまったんだ。なんとか一年後の婚約お披露目までに立派な淑女にしてあげたい」

「なるほどね……妹さんのお名前は?」

「シェリルだ」


 アーシュリアは立ち上がり、セオドリックを見返した。

 彼女が小首をかしげると、顔の横に垂れている一房の髪が方から滑り落ちる。


「妹さんは二人いるのではなかったかしら?」

「もう一人は継母の連れ子だ。貴族じゃなくて平民だよ。きみは何も教えなくていい」

「あら、でも一応伯爵家の籍には入っているのでしょう? 教育に格差を付けるのはよくないわ」

「家督の継承権はないんだ……実業家との結婚が決まっているし、昔から付き合いのある別の家庭教師がいるから問題ない」

「私の同僚になる方ね。そちらの方のお名前は?」

「ミセス・パーマー……きみの同僚と言っても僕の祖母の年代の方だから、まあ、会うこともないだろう」

「……そう」


 アーシュリアは腕組みをし、顎先に指を一本押しつけるようにした。

 セオドリックはインクが完全に乾いたのを見てメモ帳をポケットにしまった。


「きみの方こそ、この仕事を受けて大丈夫かい? その……住み込みになるけど……」

「問題ないわ。いままでの家も全部そうだったもの」


 アーシュリアは微かに笑う。


(わたくし)の外聞を気にしているなら心配はご無用よ。この歳の独身女なんてあれこれ言われるのがふつうですから」

「それは……まあそうなのかもしれないけれど」


 セオドリックは口ごもる。

 確かに二十六歳で独身は結婚年齢が上がってきている昨今にしてもかなりの行き遅れだ。

 だがアーシュリアは言葉通りそんな自分のことなど気にしてはいなかったらしい。


「私をここまで案内してきたのはどなただったかしら?」

「家政婦長のミリアだ。今のところ家政は彼女に任せているから、使用人の教育について行き届いてないところがあったら彼女に言って欲しい。その……一度傾いた家だから侯爵令嬢のきみには不満なところがいくつもあるかもしれないが……」

「気にしなくて大丈夫よ」


 アーシュリアは口元をわずかに吊り上げて笑った。


「わたくし、修道院にいましたから」


 それはどこか酷薄とした冷たい笑みだった。




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