4.
セオドリックが化粧品で儲けようと考えたのは、ひとえに帝国大学時代の友人との会話が切っ掛けだった。
ソレイユ帝国の帝都、サンフルールの街の建国祭では帝城の城壁の上に皇帝と皇后が三日にわたって現れ国民に挨拶をする。そのうちの一日、人でごった返す庭園前広場に大学の友人と趣き、もみくちゃになって豆粒大の人影を眺めたのは良い思い出だ。
とある講義で知り合った、ともにセレナ王国出身の学友だった。ファミリーネームは名乗らなかったので、恐らく貴族ではない豪商の子どもだったのだろう。
皇帝夫妻の挨拶が終わり、露天を冷やかしながら歩いていると隣の小柄な友人が口を開いた。
「セオ、知ってる? ソレイユ帝国の皇帝と皇后は人前に出るとき白真珠の粉を顔に叩くのだって」
「白真珠を? またなんで?」
「顔が白く輝いて見えるんだそうだ。それで顔色が美しくなり威厳が出て見えるらしい」
「へえ……」
セオドリックは興味深く友人の話を聞いた。
「それはまたずいぶん贅沢だな。真珠をわざわざ粉にするだなんて」
「そうだね。庶民どころかそこらの貴族にも絶対に真似できない芸当だ」
白真珠はとても高価だった。
東の方で養殖技術が開発されて真珠の値段は昔に比べればだいぶん安価になったと言うが、西の海では環境的な問題で真珠の色が白くならないのである。
白真珠は帝国よりもっと東の白珠国の特産品だ。
輸入したそれらをアクセサリーにせずに粉にしてふんだんに顔に付けるだなんてセオドリックたちの感覚からすればとんでもなく贅沢だった。
「皇帝陛下は特別な日にしか付けないらしいけど、皇后さまは毎日真珠の白粉を付けてらっしゃるんだって。だから顔が毎日白く輝いているらしい」
「それはそれで不自然じゃないか?」
セオドリックは真下にある友人の顔を見る。
男にしては線が細く、白く整った容貌だった。これが真珠の粉でギラギラに輝いているさまを想像して顔をしかめた。
すると友人はくすりと笑った。
「そうだね……日常遣いするなら全部真珠にしなくてもいいのかもしれないな。ふつうの白粉に真珠の粉を混ぜるだけでも良いかもしれない」
「白粉の材料って鉛だろう? あれはよくない……」
セオドリックは顔をしかめた。
「俺の母親は身体が弱かったのに綺麗に見えるからって言って鉛の白粉を使うのを止めなかったんだ。病に倒れたあとに医者に鉛中毒だって言われたよ」
「そうか……澱粉を使った白粉もあるけど使い心地悪いから嫌う女性も多いんだよね……でも鉛中毒は王太子妃が問題視しているから僕らの国でも直に禁止になるだろう」
「あの王太子妃か……男爵家出身って聞いたときはどうなることかと思ったけどなかなかやり手らしいな」
「……そうじゃなかったら王太子妃になんかなれないさ」
友人はふっと口元を緩めて笑う。
「澱粉よりも使用感がよくて鉛に代わる素材があれば新しくご婦人方に受けるかもしれないね」
「なるほどな。どんなものがあるだろうな」
それから友人と色んな意見を適当に交わした。
シルクを布にせずに粉状にしてみてはどうだろう、というアイディアもその時ぽんと出てきたものだ。
まさか自分が本当にそのアイディアを使って事業を興すことになろうとはその時は思っていなかった。
「仕事を紹介してもらったんだ。だから当面大学には来れないと思う」
その話をしばらくしてからだった。
友人がある日そんなことを言い出した。
「アッシュはお金に困っているのか?」
「いやそういうわけじゃない。ただ家庭教師として働いてみないかと声を掛けられてね……どうもお子さんの教育が行き届かずに困っている貴族がいるようなんだ。見過ごすのも気分が悪いし、やってみようと思っている」
「チューターか……学者としては悪くない仕事だな」
「……ああ」
じゃあまたどこかで。
そんな言葉を最後に友人と別れた。
白銀の髪に白い肌、仮に女であっても白粉など絶対に必要としなさそうな美貌の友人だった。
広い帝国、留学生同士という立場上一度別れてしまえばもう二度と会うことはないだろう。
それはわかっていたが、もしも友人に会うことができれば……。
彼のアイディアで傾きかけた家を建て直せたようなものなのだ。
この恩をいつかどんな形でも良いから彼に返したい。
セオドリックは執務室で冊子をぺらりと捲りながらぼんやりそんなことを考えていた。
するとノックの音が響き、ミリアが顔を出す。
「旦那様、家庭教師をご希望の方がいらっしゃいました」
「む……そうか。わかった。通してくれ」
セオドリックは慌ててジャケットの襟元をただした。
今日は叔母から紹介された家庭教師がペンネローズ家にやってくる日だった。
一応面接をしてそれから正式採用となっているが、果たしてどうなることやら。
なにせ王太子に婚約を破棄され、王太子妃エリザベスに嫌われているかもしれないという曰く付きの人物だ。
面接で少しでも問題がありそうなら不採用にしなければならないが、相手は地位ある侯爵家の令嬢でもあるので穏便に事を済ませねばならない。
シルクティア侯爵家の所領はこの国でも有数の絹の生産地でもあるのだ。つまりイリスローズ商会の商品、その原材料の生産地の一つである。機嫌を損ねたら商品供給に滞りが発生するかもしれないのだ。
「アーシュリア・シルクティアさまがいらっしゃいました」
再び執務室にノックの音が響き、扉が開いた。
「ようこそいらっしゃいました、レディ・アーシュリア、わたしは……」
立ち上がって来客を出迎えたセオドリックは現れた淑女の顔を見て硬直した。
繻子のようにさらりと流れる銀色の髪、磨き上げられた白大理石のように透き通った肌、そしてブルーダイヤモンドのごとき瞳。濃い藍色のドレスに身を包んだすらりと背の高い美女を前にして、間抜けに口を開ける。
「……アッシュ?」
「あら、わたしがわかるのね?」
二十六歳、オールドミスの令嬢は少し驚いた様子で目を見開き、それからにっこりと笑みを深めた。
「やあ、久しぶりだね、セオ。こうして会えてうれしいよ」
「どういうことだ!?」
なんと出迎えた令嬢は、帝国時代の友人そのものだった。