14.
シェリルが初主催をしたペンネローズ家の小さな小さな正餐会はこの日のために懸命に準備をしてくれた使用人や戻ってきてくれたグレンのおかげもあって大きなトラブルなくつつがなく終了した。
両親や叔母一家、それからネリネの婚約者ケヴィンとその両親を交え、晩餐は暖かな空気に包まれていた。
食事のあとは音楽を流して軽く踊れるようにもなっていた。
楽団を呼ぶほどではないのでピアニストを呼び、ソファに座って談笑をしながら踊るのだ。
ちゃんとした舞踏会ではないし、叔母一家は長女夫婦の小さな子どもを連れての参加で、品位は守りつつも実際は無礼講のようなものだ。
身分関係なく、みんな気さくに音楽に身を任せた。
セオドリックも妹たちや継母のケイトと踊った。
もちろん、アーシュリアとも……。
彼女とのダンスは妙に緊張してしまいあまり覚えていないのだけれど。
なんならアーシュリアのエスコートのおかげで晩餐の料理の味も既に記憶にないのだけれど。
振る舞われたお酒とダンスのおかげで火照った身体を冷やすべく、セオドリックはガラス張りのテラスに顔を出した。
今日は雪も降らない、冬にしては少し暖かい日だ。
満月がよく見える。
こんこん、とわざとらしいノックの音が響く。
振り返れば開きっぱなしのドアの前にアーシュリアが立っていた。彼女は片手に器用に小さなガラス皿を二つ持っている。
「セオ、アイスクリームはいかが? 冷たくておいしいわよ」
「……貰うよ」
セオドリックは隣に来たアーシュリアからアイスの器を受け取った。
彼女が言うように冷たくておいしい。
アーシュリアも隣でアイスを食べている。
「妹たちがすまない」
「なんの話?」
「いや、きみと踊っていただろう。男役をさせてしまって……」
「いいわよ。普段からダンスを教えるときは私がエスコートをするんだもの。慣れてるわ……いまは二人で踊ってるわよ」
「なにやってるんだ、あいつらは……」
「今日はそんなに肩肘張った会じゃないからいいんじゃないかしら。二人とも頑張っていたしね」
「……きみのおかげだな」
「あの二人にはもともとやる気があったの。私はそれをちょっと手伝っただけ」
アーシュリアはそう言って肩をすくめた。
「妹たちのことだけじゃなく……ミリアのことも。きみがいなければ伯爵家はこの先どうなっていたか……」
「犯罪者を褒めるのは間違っているのでしょうけど、ミリアはやはり優秀だったと思うわ。帳簿の偽装も私やグレンの文字をよく真似できていたし……よく見ればちがうけどぱっとはわからなかったわね。立ち回りも上手かったんだと思うわ。気をつけてみなければ騙されてしまう……天性の才能でしょう」
「その才能を犯罪以外に生かせればよかったんだろうけどな」
「本当に……」
セオドリックとアーシュリアは揃ってため息を吐き出した。
「あなたのお母さまが亡くなられたあと、ケイトさまは大変だったと思うわ。彼女の生まれでは伯爵夫人を一人で勤め上げることは難しかったでしょう。そこをミリアに上手く漬け込まれたようね」
「そうだな……」
「でもケイトさまも頑張っておいでだったと思う。前にお勤めだったお医者様のご主人が良い方だったんでしょうね。ちゃんと字も書けるし計算も出来る。夫人の手紙の代筆が出来るくらいの女性だから、あなたのお父さまの後妻としてのんびり過ごされる分には十分だったでしょう。それにちゃんとシェリルさまを守っておいでだったわ」
「ケイトがシェリルを守る?」
「ええ……ケイトさまはシェリルさまを決して修道院にはお入れにならなかった。これはとても素晴らしいことよ」
アーシュリアに言葉にセオドリックは首をかしげた。
「母親を亡くした少女が修道院に入ることはよくあるだろう? 修道女は女性だから、勝手のわからない男親に教育を受けるよりはよくないか?」
「修道院では淑女の教育は受けられないわ。文字を教え多少の計算は教えてくれるけど、あとは日々の祈りと奉仕に多くの時間を費やすの。淑女に必要な詩文や家政の取り回し、立ち振る舞いの仕方は教わらない。もちろん歴史や経済、法の勉強なんてしないわ」
「……そうだったのか」
セオドリックはケイトがシェリルをまともに養育できないのになぜネリネと一緒に手元に置き続けていたのかまったく理解できていなかった。
教育する気がないならさっさと修道院に預けてしまえば、年頃になったらセオドリックが迎えに行けばすんだ。そう思っていたこともある。
だがケイトは修道院の環境が女にとってどういうものかわかっていたらしい。
「母がシェリルとカイルを婚約させたがったのは、シェリルの教育のためだという話をしていたな……そういう理由もあったんだな」
「ええ……修道院から戻ってきても、淑女としては不十分。だからそういう娘は結局お金のためだけに貴族と縁を持ちたい富豪と無理矢理結婚させられることがほとんどなの。それで家の奥に押し込められてもののように扱われる……這い上がるのは簡単じゃないわ」
「そういえばきみはミリアにその状態から成功した女性を一人知っていると言っていたな」
「ええ。リズ……エリザベス王太子妃がそうよ」
「は!?」
セオドリックは危うくアイスの入っていたガラス皿を落とすところだった。
「王太子妃が修道院出身!?」
「そうよ。叔父の男爵はずっと手元で育ててたって主張しているけど、彼女は両親が馬車の事故で亡くなったあとは修道院に預けられていたの。それで年頃になったときに叔父夫婦に引き取られたんだそうよ。最初は借金の形に売り飛ばされそうだったんですって」
「借金の形!?」
信じられない。そこからどうやって這い上がったのだ。
疑問が顔に出ていたらしいセオドリックを見て、アーシュリアは瞳を細めた。
「彼女が入れられた修道院には偶然たまたま、貴族の女性が頻繁に出入りしていたんですって。信心深い侯爵夫人でね……同じ年頃の娘を連れて神々の家の奉仕活動を手伝っていたの。エリザベスはその少女の立ち振る舞いをいつもこっそり真似て淑女の振る舞いを学んだんだそうよ」
「……それって」
「その子とは話したこともあったはずなんだけど、男爵家に戻って最初の茶会で会ったときにはまったく気づかれなかったって言ってたわ」
アーシュリアはそう言って肩をすくめた。
「全然雰囲気がちがったんだもの。わかるはずないわよ」
「いや……それは……」
なんと言えばいいのか、セオドリックははかりかねた。
アーシュリアとエリザベスは王太子妃の座を巡って争った過去を持つ。
しかしいまの話だと、シルクティア家は敵に塩を送っていたことになるのではないか?
「でもわたしを見てただけであれほどの振る舞いが身につくとは思えない。リズ本人がものすごく努力したのは間違いないわ。彼女の聖典はぼろぼろになるまで読み込んであるのよ。きっと他の本もそうだったんでしょうね」
「えっと……きみとエリザベス王太子妃は交流があるのか?」
セオドリックは恐る恐る尋ねた。
アーシュリアの口ぶりを聞いていると、あたかも友人の話をするかのような気さくさを感じる。
とても自分を陥れた女の話をしているとは思えなかったのだ。
セオドリックの指摘にアーシュリアはにこりと笑った。
「どうも世間は未だにわたしと彼女が対立していると思っているみたいなのよね……お陰様で王族や彼女自身に対する不満をよく耳にするわ。ええ、よく」
セオドリックはとっさに自分の立ち振る舞いを思い返した。
ペンネローズ家は国王派の政治家一族だったし、アーシュリアとエリザベスの一件で国内が荒れていたとき寄宿舎にいたセオドリックはもちろん、父も母のことで社交界からは距離を置いていた。エリザベスに対する不満など抱くような環境下にはなかったので、彼女に対する文句も元王家に対する不満も特には口にしていなかったはずだ。
むしろエリザベスには鉛の白粉を禁止して貰って事業を後押しして貰ったようなものなので恩すら感じている。アーシュリアの前ではいままで言わなかったが。
「きみ、ひょっとして王太子妃のスパイのような真似事を?」
「それほどたいしたことはやってないわ。たまに会うときにあれこれ話したり、手紙のやり取りをちょっとしているだけね」
いや立派なスパイ行為だと思うが。
「どうしてそんなことを? きみは王太子妃に腹は立たないのか? 彼女のせいで不名誉を被ったのに」
「……腹は立てたわ。帝国の修道院に行くことになったときは本当に許せないって思った……でも、私は修道院に入って現実を知ってしまったの」
アーシュリアの瞳がどこか遠くを見つめる。
「修道院に入るまでは、私は王太子妃になるべくあらゆる努力をしてきたと思ってた。同年代の子たちと外で遊ばないで勉強をして、立ち振る舞いに気をつけて、品位を損なわず美しく……私は自分の楽しみを犠牲にして頑張ってきたんだってずっとそう思ってた。でも、私の努力は結局たいした努力じゃなかったの……生まれ持った侯爵令嬢という地位に押し上げられて、それをただ維持していただけ。リズみたいに這い上がるための努力は全然してなかった。する必要もなかったんだもの」
「それはまあ……そうだろうけど……」
なぜなら彼女はシルクティア家の侯爵令嬢。この国でも指折りの名家の娘だ。這い上がる先などほとんどない。
それが特権階級というものだ。
「わたしは自分の特権を理解しているつもりで、理解し切れていなかった。その現実を目の当たりにした時、自分がものすごく恥ずかしくなったわ。甘ったれた小娘に過ぎなかった。だからそんな自分を変えてみようと思ったのよ」
「それで男の格好で大学に通ってたのか?」
「ええ。帝国の大学では色んなことを学べたわ。そうしているうちに私にはやりたいことが一つ出来たの」
「やりたいこと……そういえばここで最初にあったときもそんなことを口にしてたな」
ええ、とアーシュリアがうなずく。
彼女はゆっくりと、はっきりと口を開いた。
「私、この国に女子のための学校を作りたい」
「じょし、がっこう?」
セオドリックはぱちぱちと瞬きをした。
女性の教育を施す公の施設。それはこの国には……いや恐らく帝国にもないものだ。
帝国では大学の講義を女性が聴くことが出来るが、それだけだ。
「男の子には寄宿学校があるでしょう? でも女子にはそう言ったものがない。だから女親がいなくなったら満足に教育をしてもらえなくなってしまう。家庭教師の教育水準もばらばらで身分によって出来る教育落差は男子よりも大きいわ。それに大学……私は女性の学位保持者がいてもいいと思う。そういうことが出来る場所を、この国に作りたい」
アーシュリアは満月を見つめ、はっきりとそう告げた。
願いと言うよりは、神聖な誓いのように。
遙か昔、山の麓の村に一人の美しい娘がいた。
あるとき彼女は村を通りかかった貴族の男に求婚されたが、許嫁がいたためこれをはねのけた。貴族は腹いせに山に火を放ち、山火事が村々を襲った。
責任を感じた娘は燃えさかる山に入っていき、神々に山火事を鎮めるように懸命に祈った。
十夜を掛けて熱い山のなかを祈りを唱えて歩ききった娘の願いに神々は答え、十一日目に雨を降らせた。
だが、娘の住んでいた村はとっくに灰になって燃え果ててしまっていた。
娘は泣きながら村の人々の遺灰をかき集めた。灰になった人々を弔おうとしたのだ。
するとどうだろう――遺灰からは美しい虹色の薔薇が一輪咲いたではないか。
それは虹の女神から、信心深い娘への贈り物だった。
薔薇は娘の願いを何でも叶えた。
死んだ人々を蘇らせ、燃え尽きた村はそっくり元通りになった。
娘は許嫁と結婚し、幸せになった。
以来虹色の薔薇は乙女の献身に応え、願いを叶えると言い伝えられている。
神話に描かれた故事。
女性の願いを叶えるもの――それが虹色の薔薇だ。
セオドリックは自然と口を開いていた。
「手伝うよ」
アーシュリアはセオドリックを見上げ、きょとんとした顔つきになった。
「いいの?」
「きみ一人で実現するにはずいぶん大きな夢だ……王太子妃も協力しているのかもしれないけど、それにしてもやることが多いだろ? 法の整備から、お金ももちろんたくさん掛かる。人脈作りだけで何年かかるか……」
「そうなのよ。だからいつかあなたにも頼もうとは思っていたのだけれど……本当に大丈夫? もう少し考えたら?」
「きみなら問題ない。大丈夫だ」
セオドリックは胸を張ってそう継げた。
「妹のこともそうだけど……そもそも俺の商売はきみのアイディアで上手くいったんだ」
「私は適当に口にしてただけだわ。実現したのはあなたの力よ」
「それでも、きみは俺の恩人だ。だからきみにやりたいことがあるって言うなら、叶えたい願いがあるなら、絶対に手伝う」
セオドリックはアーシュリアに手を差し出した。
彼女の白い繊手がおずおずとその手を握り返す。
「そういうことなら……甘えさせていただきましょう」
満月の下、二人は間近で見つめ合った。
そしてどちらともなく笑みを零したのだった。




