10.
年の暮れの月、セレナ王国では街道のあちこちに雪が積もるようになった。
セレナ王国では新年の初めに親しい人に贈り物をする風習があるため、女性向けのプレゼントとしてイリスローズ商会の化粧品類もよく売れていた。
ただそのおかげでセオドリックはものすごく忙しくなった。上級の顧客に対しては自宅まで商品を持っていく必要があるので、あっちに行ったりこっちに行ったりと始終どこかの貴族の屋敷を訪ねている状態だ。もちろん店を完全に放置することは出来ないので日に一回は様子を見に行く。今のところ顧客が王都の周辺に集中しているのでなんとかなっているが、売上がもっと上がったら店舗の方まで気を回していけないかもしれない。
そのうち誰か店を任せられる人間を育てる必要があるな、とひしひしと感じていた。
そんな忙しいなか、なんとか一息付ける時間をもぎ取ってセオドリックは屋敷に戻ってきた。
とはいえこのあとはやはりそのまま得意客の家に向かうので、執務机の上には商品の高級白粉が置いてある。
商品を眺めながら息を吐き出しているとノックの音が部屋に響いた。
尋ねてきたのはカイル・ドナテロとミリアだ。
「カイル? なんでおまえがここにいる? シェリルたちはどうした?」
「神々の家の慈善バザーのお手伝いに行っておいでです」
セオドリックが尋ねるとミリアがそう口を開いた。
「それよりセオドリック、やはりあの家庭教師、アーシュリア・シルクティアはクビにするべきだ!」
「またその話か? いったいなんなんだ?」
アーシュリアは忙しいセオドリックに代わって妹二人の面倒を見、使用人の指導をして屋敷を取り仕切っていた。
正餐会のために人手がいる、とアーシュリアは使用人を三名ほど新たに雇う許可をセオドリックに求めてきており、これは彼女の実家からやってきた使用人たちだった。彼女たちは明らかにペンネローズ家の使用人たちよりも優秀で、その指導のおかげかこの一ヶ月程度でペンネローズ家の使用人の動きも目に見えてよくなっていた。
今さら彼女をクビにしては家が回らなくなる。
「アーシュリア嬢は正餐会のためにと言って実家の人間を呼び寄せて、ずいぶん好き放題をしているみたいじゃないか!」
「そんなことはないだろう。わざわざうちの使用人を教育してくれているんだ。アーシュリアが連れてきた使用人は期間雇用だから年が明けたら侯爵家に戻る」
「どうだか……なんだかんだ理由を付けて居座らせるつもりかもしれないぞ」
むしろ残ってくれるならありがたいくらいだが。
セオドリックはその言葉を飲み込んだ。
転職というのはキャリアアップのために行うのが常識だ。一度傾いた伯爵家に転職など、おそらく彼らにとってはキャリアダウンにしかならないだろう。本家の令嬢の一時的な頼みだからこそ応じてきてくれているのだ。
「ですがアーシュリア様の振る舞いは目に余るものがございます。こちらをご覧ください」
そう言ってミリアが取りだしてきたものは帳簿だった。
「旦那様、アーシュリア様は正餐会のために帳簿を一時お預かりしたいと旦那様に申しておいででしたね」
「ああ……それまではきみに管理をさせていたんだったな」
「失礼ながら、アーシュリア様のお部屋から少しだけ持ち出させていただきました。どうぞご覧ください」
セオドリックは帳簿を受け取りぺらりと眺めた。
アーシュリアの筆跡らしき字と数字が並ぶ。
「今月に入って出費が増えております」
「まあ正餐会の準備もあるしな……さすがにシェリルとネリネもドレスを新しくすると言っていたし、パーティー用のリネン類も新しくする必要があると言っていただろう。それでじゃないのか?」
「ですが、実際に業者から来ている請求書と数字が合わないのです」
「なんだって?」
ミリアの言葉にセオドリックは目を見開いた。
「どういうことだ?」
「こちらを……」
そう言ってミリアは数枚の紙をセオドリックに手渡してきた。いずれもペンネローズ家に出入りのある商会からの請求書だった。
ミリアが言うように帳簿の数字と請求書の金額が合っていない。帳簿には倍以上の金額が記入されていた。
「まさか……水増し請求?」
「恐らく……アーシュリア様は旦那様には実際よりも大きな金額を請求し、差額を横領しているのです。間違いありません!」
ミリアの言葉にセオドリックは愕然とした。
アーシュリアがそんなことを?
なぜ?
まさか、やっぱり彼女のアイディアで勝手に商売をしたことを怒っているのか?
「正餐会のことを口にし出したのもアーシュリアなのだろう? きっと大きなお金を動かす理由が欲しかったからに違いない!」
「ええ。旦那様が忙しくなり、自分が家政を取り仕切れる機会を覗っていたのでしょう。シェリル様やネリネ様も取り込んで……悪辣な女です」
カイルとミリアが口々にアーシュリアを避難する。
そう言われると本当にそうである気がしてきた。
金銭的には立ち直ったとは言え、人材不足の伯爵家で正餐会など、規模が小さくともアーシュリアの力を借りなければ出来はしないのだ。そうすれば彼女は公然とこの家の中で権力をふるえる。
その許可をセオドリックが与えたのだ。
セオドリックは拳を握り込んだ。
いくら恩ある友人でも、伯爵家を乗っ取るような真似は許すわけにはいかない。
横領は立派な犯罪だ。
相手が格上の侯爵家の令嬢でもこの点を譲るわけにはいかなかった。
毅然と顔を上げたセオドリックの耳に、ダイヤモンドダストのごとき冴えた声が響いた。
「面白い話をしているわね、カイルさま……それにミリアも」
え、と扉の方を見やれば――そこにはアーシュリア・シルクティアその人が毅然と立っていた。




