思い出の整理/新しい自分に向かって
新年早々、先輩に呼び出された。
いまから大掃除をするのだという。
「えっ、年末にやらなかったんですか?」
「ああ、なかなか進まなくてな……」
「そういうのは年内に済ませるものですよ」
「そうだよな……」
「もう、まったく……」
先輩のあごにはうっすらとひげが伸びていた。
玄関に並んだ靴の種類は、以前来た時よりも明らかに少ない。
それを見ないふりをして、僕は家の中に入った。
段ボールの中へ、次々と要らないものを詰めていく。
この段ボールをそのまま、業者に引き取ってもらうのだという。
だから、大掃除と言ってもやることは荷物を詰めるだけだ。
「これなら僕を呼ばなくても良かったんじゃないですか?」
「そうだな。けど、ひとりじゃあ、なかなか踏ん切りがつかなくてな」
そう言って、先輩は小さく笑う。
「あー、捨てるにも、思い切りが必要ですよね。わかります」
先輩の手が止まった。
金属片を摘まみ上げて、見つめている。
「なんですか? それ?」
強い力で握りつぶしたような、いびつな形の金属片だ。
何に使うものなのかさっぱりわからない。
「これな」
と懐かしそうに目を細める。
「戦場で戦っていたときにポケットに入っていたやつだ」
「戦場で戦っていたときにポケットに入っていたやつ?」
僕は先輩の言葉を繰り返した。
先輩がうなずく。
「これのおかげで命が助かったんだ」
そう呟いて、金属片を段ボールに入れた。
「……大事なものじゃないんですか? 捨てていいんですか?」
先輩は僕の問いには答えなかった。
じっと段ボールを見つめている。
しばらくして、「……捨てる」と自分に言い聞かせるように言った。
「わかりました。先輩が納得しているなら、それでいいです」
先輩はうなずいて、手を伸ばした。
取り上げたのは大きなネジ。
ネジの頭は、人差し指と親指で丸を作ったときの丸の大きさ。
そしてネジなのに、なぜだか近未来的な雰囲気を醸し出している。
「なんですか、それ?」
「修理したタイムマシンを見送ったときに倉庫に落ちていたネジだ」
「修理したタイムマシンを見送ったときに倉庫に落ちていたネジ?」
「そうだ」
と先輩はうなずいた。
「これが外れていたおかげでわずかに計算が狂ってな、そのわずかな計算の狂いの影響がどんどん広がっていって……未来を元通りにするのにずいぶん苦労したよ」
「……はい」
先輩はそっとネジを段ボールに入れた。
コトッと音がした。
ふたりでしばらく段ボールを見つめた。
次に先輩がとりだしたのはフロッピーディスクだった。
「これな」
「あ、自分から説明してくれるんですね」
「これは重要な情報が入っているフロッピーディスクのダミーだ」
「重要な情報が入っているフロッピーディスクのダミー?」
「そうだ」
先輩がおかしそうに笑う。
「俺は最後まで、これが本物のフロッピーディスクだと思っていた。必死になって守ったさ。偽物だとわかったのは後になってからだ」
と段ボールに放り込む。
「敵をだますにはまず味方からってな」
僕は黙ってうなずいだ。
「これは」
先輩はもう次の物を手にとっていた。
10センチほどの棒だ。
「咥えているとしばらく水の中で息ができる棒だ」
「咥えているとしばらく水の中で息ができる棒?」
「ボートで追いかけられたときにな、これを咥えてボートから飛び降りるんだ。そうすると追っ手をやり過ごせる。近くに桟橋があると隠れやすい。豆知識だ」
「はあ……」
ちょっとピンとこなかったなと思いながら棒が段ボールに投げ込まれるのを見送る。
視線を戻すと、先輩は針金のようなものを見つめていた。
針金の両端に、丸い取っ手のようなものがついている。
「これはこんなときのためにとズボンのすそに隠してあった糸ノコだ」
「こんなときのためにとズボンのすそに隠してあった糸ノコ?」
「ああ、これで鉄格子を切るんだ」
取っ手に指を引っかけて、見せびらかすように構えてみせる。
「なかなか大変な作業だ。コツがいる」
「はい。そうでしょうね」
糸ノコは段ボールに放り込まれた。
「これは」
先輩が手に持っていたのは糸ノコに似た道具だった。
吸盤のようなものがセットでついている。
「ガラスを切るときの道具だ」
「ガラスを切るときの道具?」
これはわかりやすい。
吸盤をガラスに張り付けて、細い糸のようなものをぐるりと回すのだろう。
「こいつは信用できる。必ず、きれいにガラスを切ることができる。だが、そのあと必ず失敗する」
先輩が悔しそうな顔をする。
「赤外線センサーにひっかかったり、たまたまやってきた警備員に見つかったり、中に入っていた黄金の像が偽物だったり」
「黄金の像?」
それはないのかな? と探すが、黄金の像は見当たらなかった。
ガラスを切るときの道具は段ボールに放り込まれた。
先輩が次に手にしたものを見て、僕は言った。
「あっ、ペンチですね」
「違う」
先輩は眉を寄せた。
「これはペンチじゃない。専門家が使うやつだ」
「専門家が使うやつ?」
「そうだ。赤いほうのコードを切るときに専門家が使うやつだ」
「赤いほうのコードを切るときに専門家が使うやつですか」
「普通のペンチを使うとうまく切れないからな」
青いほうのコードを切るときはどうするんだろうと考えながら、専門家が使うやつを見送る。
そうする間に先輩が手に取っていたのは指輪。
大きな宝石のついた指輪だ。
下からのぞいたりして、様々な角度から、宝石を眺めている。
「大きな宝石ですね。これはどういうものです?」
黄金の像と一緒に手に入れたやつかな? と思いながら僕は尋ねた。
「これは光にかざすとメッセージが壁に浮かび上がる指輪だ」
「光にかざすとメッセージが壁に浮かび上がる指輪?」
「ああ。回りくどいことをすると思うかもしれないが、そうしなければならない事情があったんだ」
「メッセージが読み取れなくなっているな」とつぶやきながら先輩は指輪を段ボールに入れた。
「あとはこれだ」
掲げてみせたのはネックレスだった。
「動き始めた列車に運悪くひっかかってしまうネックレスだ」
「動き始めた列車に運悪くひっかかってしまうネックレス?」
「ああ、こいつのせいであやうく命を落としそうになったことが何度もある。列車だけじゃなくて、動いているプレス機や、業務用のエレベーター、クレーンなんかにもひっかかるやつだ」
「トラブルメイカーだな」と笑って、先輩はネックレスを段ボールに入れた。
僕はそんなネックレスをつけなければいいのに、と思った。
少なくとも二回目からは回避できたはずだ。
「結構減ってきましたね」
僕は部屋の中を見回して言った。
ずいぶん広くなったように感じる。
本棚はもう空っぽだ。
片付いたというよりも、物寂しく感じる。
けれど、それは僕が言うことではないのだろう。
僕は荷物を捨てる踏ん切りをつけるために呼ばれたのだから。
「まだあるぞ」
と先輩が言う。
スーツケースを抱えてきた。
「それは……スーツケースですよね?」
「ああ。組み立てるとハングライダーになるスーツケースだ」
「組み立てるとハングライダーになるスーツケース?」
「すごいけど使いどころがあまりないやつだ」
「たしかに」
先輩は組み立てるとハングライダーになるスーツケースを段ボールに押し込んだ。
「これくらいかな」
ため息交じりに、先輩が言う。
「あの、これ」
言うまいと思っていた言葉を、僕は言ってしまった。
「本当に捨てていいんですか? 思い出の品ですよね」
「いいんだ」
先輩がガムテープを貼り付けながら言う。
「いつまでも持っていても仕方ない。俺は変わらないといけないんだ」
言葉が出なかった。
それは僕も前から思っていたことだ。
「こういう役はもう流行らない。俺も体が動かないしな。これじゃあ仕事が来ないんだ。前の仕事は、おととしの夏だ。だから、全部捨てて、俺は変わることにする」
「……辞めるんですか? 俳優」
「いや、新しいことに挑戦する」
段ボールをパンと叩いて、先輩が立ち上がる。
「これだ」
先輩が握っているのは手のひらから少しはみ出るくらいの、棒だった。
「これは?」
「これは指を滑らせると刀身が現れる日本刀だ」
「指を滑らせると刀身が現れる日本刀?」
指をスッと滑らせて、刀身を現せてみせる。
「これを使いこなせるようになれば、きっと仕事が来るはずだ」
「あ……はい……」
「ちなみに七色に発光させることもできる」
このひともうダメかもな、と僕は思ったのだった。