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MONARCH  作者: 29-Q
第四章

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97/114

誘う早瀬

ソボッタの町。

夕焼けが街路のレンガをより一層鮮やかに染め上げる頃、その茜とは無縁の薄暗い路地裏の物陰に男が一人。

彼は木箱の陰に屈み込んで、小路を挟んで反対側の建物の、戸口を、窓を、壁のシミまでをも入念に観察していた。

「遠くから見ると、完全に近寄っちゃだめなタイプの人にしか見えませんよ、エドモンさん」

「おう、帰ったか」

男、エドモンドの側に、買い物袋を掲げてアリエッタが帰ってきた。そして袋の中から小さな紙袋を取り出してエドに差し出す。

「買ってきましたよ、ジャムパン」

エドは何も言わずにひったくり、視線は相変わらずでジャムパンにかぶりついた。

「牛乳」

「は?」

「いや牛乳。くれって言ってんの」

隣に腰掛けたアリエッタにエドは手を差し伸べ、アリエッタは再びため息交じりに脇においた買い物袋を漁るが、

「…あ」

声と同時に手を止める。

「なんだ、あ、って」

「あっはは、買い忘れちゃいました」

「あんだってェ!?『張り込みのお供』つったらジャムパンと牛乳だろうが!」

「知りませんよあなたのルールなんて」

エドの力説の熱を冷たくあしらいながら、アリエッタは再び買い物袋を漁り始める。

「コレンテの全記者共通ルールだっての!!…ったく、これくらい覚えておけ新人」

「ほえ、ほうなんへふへ」

「何飲んでんだ!?」

「んぐ、…ミルクティーです。飲みます?」

「要らん!!」

「そですか」


遠くで野良犬が吠えた。人通りのない夕暮れ時の工房前の路地は、野良犬一匹通らない。

エドはアリエッタの差し出す竹のカップを物言わず奪い取り、一口飲む。


「…あッま」

「砂糖十五個がうちの共通ルールですから」

「はあ…そうだった」

「お、飲んだことあったんですね。父さんの」

エドは黙り込んで、ただ熱心に工房の観察を続けている。

「…それで?マルトーレ氏に何か動きはあったんですか?」

「出かけたきり、ない」

そっけないアリエッタの質問に、エドはそっけなく返していく。

「じゃ、帰りましょうよもう」

「帰らん」

「お父様のあとを、意思を継ぐ。…マルトーレ氏の姿勢、かっこいいじゃないですか」

「…、まあ、そうだな」

「じゃ、帰って記事にして、次の取材に」

「帰らんし、書かん」

「それじゃあ何を書くおつもりで?」

「そりゃ言ったろ。『美人オルゴール職人!恋人発か」

「ああ、はいはいはい。そうでしたね」

「お前な。記者なら質問の答えは最後まで聞けよ」

「お、今のなんか先輩記者っぽかったですね」

エドはむしゃくしゃして頭を掻きむしる。

「…~じゃあ、俺からも聞かせてもらうが」

「お、何です?」

「『次』、と言ったが、お前は次に何のネタを記事にするつもりだ?」

待ってました、と言わんばかりにアリエッタの表情がぱっと明るくなる。

「そりゃもちろん、いま世間を騒がす『仮面デモ』でしょ!知ってます?」

「知ってるっての」

「ああなんだ。ゴシップ以外も興味あったんですね」

「あのな新人。そういう政治がらみのスクープってのは本社のやつらが記事にすんの。俺たちゃ『第三オフィス勤め』。意味わかるか?」

「第三だから本誌すみっこのちっこいスペースで我慢しろ、ってんですか?書きたくもないイヤミを面白おかしくゴシップにしたてろ、と?」

「そゆこと」

アリエッタはわざとらしくため息をこぼす。

「アタシの入社前、つい一年前まではエドモンさんも本社勤めだったじゃないですか。その頃の熱意はどこ行ったんです?」

「…」

「…上司をぶん殴った、って本当なんですか?」

「昔の話はやめてくれ。それにな新人、俺たちゃ記者だ。今の話をしねえでどうすんだよ」

「はぁあ、そうですか。…『今』のエドモンさんを見たら父さん達なんて言」


「いい加減にしろ」


聞いたこともない声のトーンと、彼がはじめて顕にした怒りの表情にアリエッタは気圧された。

「…その、すみません」

アリエッタが珍しくしゅんとした時だった。

エドの目の色が突然変わり、人差し指を立てて『静かに』と指示を出してきたので、何事かとアリエッタも彼の視線を追って通りの奥を見る。


「おっとっとっとぉ。…こいつぁ面白くなってきたぜ」


にやけるエドに呆れるアリエッタ。

待ちに待ったレベッカ・マルトーレの帰宅。

彼女は日の沈んだ通りの奥から、連れ人(スクープ)を引っ提げて帰ってきたのだから。





森を駆け、川を超え、薮をかき分けながら進んだ。

どれほど逃げたかわからないが、間もなく日の沈む頃合いに、二人は焼けた廃村を見つけ、その教会に身を隠すことにした。

祭壇の上方にあるステンドグラスの飾り窓は半分崩れ落ち煤で黒ずんではいたものの、彩られた天使は微笑んで、まだ夕焼けにその輝きで応えている。


「なぜ、狂人を演じていた」


薄暗い教会。散乱した長椅子のうちの一つの陰に腰を下ろした二人。

呼吸を整えながら最初に切り出したのは、リリーナだった。

「アルナークが、消えた以上、私は、…私は生きなければ、ならなかった」

「彼を裏切って、か?」

「違う」

まだ呼吸の整わないルロテックは、途切れ途切れでも言葉を紡ぐ。


「彼の…最期の頼み。そして、私の最後の、償いを、遂げるため、だ」


「…一体、何を企んでいるのだ」

「そうじゃないさ。もう、リストもオルゴールも、…野望なんて、どうでもいい」

「領地も領民も…娘さえも捨てて。よく言えたものだ」

ルロテックは俯いていたから、その表情はわからない。ただ、ウソを言っている様子はなさそうだった。

「なぜ狂人を演じていた」

「時期が整うまで、無害を、装う必要が、あったんだ。組織も、警備も、女中さえも。…欺く必要が、あった」

「時期?」

「っは、君は、私が何も考え無しに、ただ床に臥せっていただけだと?」

確かに、この男は一年前のあの計画を考えた一人だ。ただ無害の狂人を演じていただけとは思えない。

「私はこの一年、探っていたのだ。組織の、コネクションの実態を」

「コネクションを?なぜだ?それにどうやってだ」

「方法に関しては、昔のつてで、コネクション配下の新聞社から協力者を借りた。腕の立つ記者でな、情報収集には何ら支障はなかったよ」

「では、なぜコネクションを?」

「きっかけは一年前の『エギルン襲撃』。その情報の隠蔽に手を回すあまりの速さに疑問を持ったからだ」

「…?」



「コネクションの決定権は既に、大陸貴族でない『何者か』によって掌握されている可能性が高い」



「何だって!?」

リリーナが思わず声を張ったため、ルロテックはすかさず人差し指を立てて沈黙を促す。


大陸貴族の裏組織であるコネクションに、大陸貴族の意思決定が反映されていないというのか?

モナークもそれに気付いて、敵は『コネクション』ではないかのように濁していた…?

じゃあいったい、私達は誰と…


「帝国、なのか」

「わからない。可能性の一つとしてはあるが、浮かび上がる情報は帝国に、帝国特務機関に何一つ結びつかないんだ」

「じゃあッ」

ルロテックはまた人差し指を突き立てる。

「じゃあ、いったいどこに結びつくというのだ」

「どこにも属さない、第三勢力さ」

「何を、言っているのだ…?」

「一つ聞きたいのだが、無数に存在する非公式の民間組織の存在を、君たち特務機関は、帝国内のものに限定してどれだけ追えている?」

「…さあな。末端の私にはよくわからないが…傭兵仲介組織とか、宗教団体とか海外の商会とかを相手に、任務を行った事もある」

「なるほど」

「敵は民間組織なのか?」

「わからない、あくまで私の仮説の一つにすぎない。敵の存在は認識できるのに、まるで見えない、掴めないんだ」


「…まるでおとぎ話の中の『亡霊(ゴースト)』だな」


遠くでカラスが鳴いた。

「…っふ」

「何を笑っているのだ、子供扱いしたな?今」

「君もそんな冗談を言うのかと思ってな。でも確かに言えている…ゴースト、か」

「忘れてくれ、もう。…それで仮説と言ったな。いくつかアタリがついているということか」

「有力なものが一つ」

「それを先に言えっ」

ルロテックは呼吸がようやく整ったらしく、背筋を伸ばして座り直した。


「『セーフリィ』だ」


また遠くでカラスが鳴いた。

「いや知らない。ご存知の、みたいに言わないでくれ」

「なんだ。新聞を読んでいないのかい?てっきり欠かさず読んでいるものかと思ったのだが」

「よ」

「?」

「読んだことがない。一度たりともな」

「そうか。なら少し手間だが、最初から説明しよう」

ルロテックの肩の力が抜けた。安堵ではなく落胆なのは誰の目にも明らかだ。

「セーフリィというのは最近勢力を伸ばしつつある、民間の反体制主義者達の集まりだ」

「大陸貴族の反対組織ということだな?」

「そうだ。ふざけた仮面を被って、毎日のように」


ルロテックが言いかけた瞬間、焼けた教会のドアが勢いよく開け放たれる。

「…ッ!」

彼がしきりに人差し指を突き立てて『静かに』と指示をしてくるが、言われなくてもわかっている。

誰が入ってきたかなど、見なくてもわかる。


灰色の仮面の追跡者だ。



「…」



息をひそめ、ただ長椅子の陰と一体化する。

背後の敵との距離…五メートル…四…三…

立ち止まった。


「こちら五号。教会を発見。索敵を開始する」


不気味にこもった声が仮面の向こうの正体をあやふやにする。

二メートル…三メートル。

どんどん離れていき、仮面の追跡者は祭壇前で立ち止まったらしい。


「…」


不気味にこもる呼吸音だけが鮮明に聞こえてくる。

「…」

また、歩き出した。


位置としては、オルガンのあった一角に向か



ゴォォオオオン…

「…ッ」


「ヴォオオオオアアアアアアアアアアアッ!!!」


突然オルガンの音が響いたかと思えば同時に獣の咆哮のような凄まじい絶叫が聞こえ、何かをめちゃくちゃに破壊する音が教会内に反響した。


一体何が起きているのか。

ちらりと隣のルロテックに視線を向けると、彼は目をつぶって手を合わせ、震えながら祈っている。

その時だ。



「…うゔゔ…ぅう…ゔゔゔ」



オルガンの一角から、呻き声が聞こえてきた。

椅子の陰から顔を覗かせそちらを見ると、仮面の追跡者はめちゃくちゃに破壊したオルガンの前でうずくまって、震えていた。

そしてしばらく呻いていたかと思うと、よろけながら立ち上がる。

リリーナはとっさに身を隠す。


四メートル…六メートル。さっきよりも早いペースで足音は遠のいていく。そして入口の前で立ち止まると、


「こちら五号。…地区2Fの教会内は異常なし。次の地点の索敵に移る」


再びこもった声で通信と思しき会話を終え、教会の戸をばたんと閉めて去っていった。



ステンドグラスの飾り窓から伸びる橙の光の筋が、途切れた。

夕空の名残が交じる濃縹の空が、夜の訪れを告げる。


「あの仮面…奴らがセーフリィか?」


暫くの静寂のあと、リリーナが切り出す。

「いや、違う」

「なぜ言い切れる?」

「君にはあんな高等な装備が、民間のものに見えるのかね」

「じゃあ奴らは何者だ?」

「私が何でも知っていると思わないでくれ」

「…」

「とにかく、あの『灰色』について私は何も情報を持ち合わせていない。何なら、今日はじめて見たよ」

「私もだ」

「なら奴らの話は今は置いておこうではないか。どちらも知らないのなら議論したところで意味はない」

今度は安堵から肩の力を抜く。

「先程の通話…ここの地区の索敵を終えたらしいからな。しばらく安全だろう」

「しかし、君は夜が怖かったのでは?」

ルロテックは窓の外の暗い空を顎で指し示す。

「お気遣い痛み入るが、もう大丈夫、だ」

リリーナの小さな反抗に何を思ったのか、ルロテックはわずかに柔らかい笑みをこぼす。

「…ふむ、そうかね。ではいま話すべき本題に移るとしようか」

「セーフリィとは、何だ」

「発足は十年ほど前だが、ここ半年ほどで勢力を伸ばしてきた民間組織だ。先ほど言いかけたが、ふざけた仮面を被って毎日のように貴族の住む高級住宅地を集団で練り歩いてる」

「…待ってくれ」

「なんだね?」

「そんな小物がコネクションを掌握している、と?」

「可能性の話だよ」

「さっき、最も有力、と言っていた気がしたのだが?」

「そうだ。…最も、とは言ってないが」

「…確認だが、気は確かか?」

「言っただろう。気狂いは演技だと」

リリーナが演技臭いため息とともに頭を抱える。

「まだ根拠も聞いていないのに、呆れてくれるな」

「いちいち間を挟まないで簡潔に言わない貴様もどうかと思うぞ?なぜモナークといい貴様たちは簡潔さに欠けるのだ…全く」

ルロテックはいやみったらしく鼻で笑ってリリーナのぼやきを聞き流し、続けた。

「では私情を抜きにして簡潔に話すとしよう」

「次の機会があるなら、初めからそうしてくれ」


「なぜかコネクションも手を出してこなかった小物、セーフリィが、近くエルドールでデモ行進ではない大規模な暴動を計画していることが、協力者の持ち帰った情報からわかった」


「だからなん…待て、エルドール、と言ったか?」

「そうだ。大陸の北から南まで貧困に苦しむ今、エルドールでは我関せずと南部貴族の定期会合とは名ばかりの懇親パーティが行われている。数日にわたって豪勢なパーティに明け暮れる貴族たちに、民衆が不満を抱くのも無理もない状況だ。その自然な世論を利用して、セーフリィは会合に集まった貴族に対し暴動を起こし」

「そんな」

「そしてコネクションは、貴族たちはその『民衆の声』とも言える暴動を、武力行使で鎮圧しようとしている」

「…エルドールは」

「元アルナーク・エルドの領地。そのエルド家への粛清を名目にした大規模な無差別殺戮が、民間団体の扇動で起きた暴動と大陸貴族のやむなくの武力行使という演目で行われようとしているのだ。…我々の仮想敵、演出家ゴーストの思惑によって、な」



「エルドールには」

「今、リリーがいる。…知っているさ、父親なんだから」



嫌な予感が悪寒となって、背筋から全身を駆け回る。

「ただ、それは私的な理由。私情だよ」

「…」

「もし。もしデモと暴動に対して暴力で粛清を行えば、大陸貴族がこれまで百余年をかけて築いてきた民衆からの信頼は崩壊し、大陸各地で『内乱』が日常となり、国力は衰え、諸外国に付け入られるスキを作ることになる」

ルロテックは呼吸を置く。

言い淀んだ、が正しいのかもしれない。そして、


「助けてくれリリーナ。君の、君たちの協力が必要だ」


ルロテックはまっすぐリリーナを見て、言い切った。

「…かつて」

「…」

「かつて民を選別し、国を混乱に陥れようとした男の言葉とは、思えないな」

「…そうだな」

「だが、最初に言っていた、『アルナークの頼み』も、貴様の償いも。なんとなく意味がわかった」

「…!」



「…『我々が次に『繋ぐ』ためには、もう、彼に従うほかない』。確かあの日、執務室で。貴様はアルナークにこう告げた」

「ああ」

「すべて…『私情』だったんだ。繋がなければいけない理由は野望じゃなく」

「…」

「アルナークが断罪される結果と、貴様の社会的な死という結果の先にあるのは…野望じゃ、なかったんだな」



「そうだ」

リリーナが震えながら紡いだ言葉に、ルロテックは頷く。

「あのモナークの通話の瞬間、私達の野望はもう敗北していた」

「雇の盗賊はともかく、私は『狂気』を演じ、アルナークは君達を、世界を、騙した」



「『私情』を交えて話すとしよう。私は亡き友アルナークの子供達を貴族社会の腐敗から救わなければならない。そして、最愛の娘の穏やかな日常を、守らなければならない」



リリーナはただ、肩を震わせるしかなかった。

「っふ、泣き虫のくせに戦士になったのか?君は。…ますます、あの子のそばにいて欲しくなった」

涙を悟られないように泣いたが、一人の娘を持つ父親を前に、隠し事はできないことを悟らされる。

「私と、ゴーストを追ってくれるかい?」


「…無論だ」





ソボッタの町。

夜も更けて月も真上に昇った頃、その月明かりとは無縁の薄暗い路地裏の物陰に男が一人。

彼は木箱の陰に屈み込んで、小路を挟んで反対側の建物の、戸口を、窓を、壁のシミまでをも入念に観察していた。

「…ふへへ、食べ切れまへんて…その量は…ふがっ…すぅ…すぅ…」

男、エドモンドは隣で寝言を漏らすアリエッタに呆れてため息をこぼす。

「いや…そこで弾き語りはまずいでひょ…エドモンさんさあ」

「どんな夢見てんだこいつ…ッておいまじか」

首をもたげて彼女の赤髪がエドの肩に寄りかかってきた。

「いい加減にしやが」

「おとさん…お父、さん」

「…れ」


「…おたんじょうび…おめで、と…すぅ…すぅ」


「…アレクセイ」

嫌な記憶を思い出した。

アリエッタの頭を退けようとした手で、その髪を優しく撫でる。

が、それもつかの間、

「いやだから、弾き語りはまずいでふよ、エドモ」



「ハッピーバースデェェエエエエッ!!」

「んなぁああああああッ!?」



突然弾き語りをする変なおじさんに仕立て上げられたのが癪で、耳元で叫んでやった。

アリエッタは奇声を上げて飛び起きる。

「何ごてょでふかぁッ!?」

「いや、何も」

アリエッタは目をこすりながら眠気を覚ます。

「…~急に大声出さないでくださいよぉ。一応張り込みでしょ、コレ」

「寝落ちしたやつが指図すんなっての」

「…で?なにか動きは?」

「言ったろ。何もない」

「ふわぁ、あ…じゃあ帰りましょうよ、も」

「なあ新人」

寝落ちしたのがいつかは思い出せないが、ふと、アリエッタはあくびまじりに周りの景色に視線が行く。いつの間にか真夜中で、あたりの家には明かり一つない。

…いや、一つだけ明かりの灯る家を見つけた。

「…なんです?」

「お前、夜中に外で騒がれたら、どうするよ」

「そりゃもう、…窓開けて言ってやりますよ。『おふくろさんが悲し」

「だよな?」

「質問の答えは最後まで聞くのでは?」

「普通は、何か動きがあると思うんだが」

「もう寝てるんでしょ」

「ダイニングの明かりも消さないで、か?」


エドはこの一角で唯一明かりの灯る、レベッカ・マルトーレの工房の窓を指さした。


「そりゃあ…あれですよ。…その、年頃、ですから?…二人とも」

「お前、恋人としっぽり楽しんでる時に外で奇声あげられて平気なの?」

「奇せッ…い、嫌ですね、絶対。おふくろ諸共訴えます」

「じゃああの明かりに動きがないのは、おかしいだろ」

「まあ…確かに?…ってちょっ、エドモンさん!?」

突然エドが立ち上がり、工房の方へ歩き出す。

「何してるんですエドモンさんッ」

アリエッタも小声で訴えかけながら小走りで付いていく。

「確かめんだよ」

「迷惑…っていうか普通に犯罪ッ」

アリエッタの制止虚しくエドは工房の戸口に手をかけて、ドアノブをひねる。

「開いてる」

「はい犯罪者。もうだめオシマイですあなた」

「外見張っとけ」

「嫌ですー、今までお世話に…なってないな別に。ってエドモンさんってば!!」

エドは玄関を超えて、廊下の奥の暗がりに消えていった。


「え、エドモンさぁん…?」


振り返って、深夜の通りを見渡す。

魔導灯の明かりのない、月明かりだけが頼りの路地。

しかしその唯一の頼りの月も、厚い雲に隠れてしまった。



エドは足音を立てないようにゆっくりと廊下を進み、そっと、明かりの漏れるダイニングを覗く。

「…誰もいねえ」

テーブルには食べかけのシチューが二つ。

他になにか痕跡がないか探していると、


「わあ、美味しそうな海鮮シチューですねえ」


「んなぁああああああッ!?」

「いやぁああああああッ!!」


二人分の絶叫の後、バシン、と鈍い破裂音が響く。

「いってぇええ…」

「急に奇声を上げないでくださいッ、驚いちゃったじゃないですかッ」

アリエッタがはたいたエドの頬を申し訳なさげに擦りながら小声で注意する。

「外っ、見張っとけって、言ったろがッ」

二人はいつでも身を隠せるように屈んで、テーブルの陰に隠れた。

「一人にしないでくださいッ、怖いじゃないですかッ」

「何歳だよお前…ん?」

「今年で二十歳です…ってうわっ!?」

エドが突然、足元からまるまる太ったネズミを拾い上げた。

「すぐ捨ててくださいよッ、ばっちいですよ!?すっごく!!」

言われた通りにかエドはすぐにネズミを床に置き、立ち上がってテーブルの上を調べ始めた。アリエッタはしばらくぐったりとしたネズミに気を取られていたが、すぐにエドにならって立ち上がる。

「ど…ええ?…もう何がなんだか」

「俺もだよ」

「あのネズミ…生きてます、よね?」

シチューの皿や食器をしきりに調べているエドにアリエッタは問いかける。

「ああ。寝てるみたいだ。…ぐっすりと、な」

「なんで起きな」

なぜ、起きないか。

そのアリエッタの問いに、エドはシチューを指さして応える。


「片方はシチューを食って、もう片方は手を付けてない」


無垢のスプーンが、蝋燭の明かりをぼんやりと映している。

「そ、それって」

「どちらかが、盛ったんだ」

「犯罪…じゃん」


「恨みつらみに、歪んだ執着…こいつはやっぱり、とんだ事件の香りだ」

朝の情景を思い出したエドが工房へと駆け出したその時だ。


ガラララッ…ガシャン…


何かが崩れる大きな音が、突然響く。

顔を見合わせる二人の緊張はピークに達した。


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