七話
夜になって、姫路さんにその事を伝えた。
ニコが父親と思しき初老の男性に無理矢理連れて行かれた事を・・・。
『・・・それは、ごめん。私の配慮が足りなかったね。大丈夫?怪我してない?』
「痛みますが、大丈夫です。痣とかにもなってないですし・・・。それに、姫路さんだって気にする事じゃないですよ。
ニコがイジメに合ってたりするのに関して、捌け口に・・・って思ったんですよね?」
助かるから・・・なんて姫路さんは言っているけど、けれど傍から見れば姫路さん一人でも店は全然動いていた。
それに、学校なんて無秩序な空間で起きてしまっているイジメなんて下手に関与するべきではない。
その空間で起きている事を変えれるのは本人だけなのだ。
僕達が出来る事なんて、そんなニコの胸に空いた穴を埋めてやるくらいの事しか出来ない。
心が安らぐ場所を提供してやる事しか、出来ないんだ。
イジメにすらあっていない僕にだって、それは理解できる。だからこそ理解できる。
「姫路さんは、実家の件はどうだったんですか?」
『気にしないで。大した用事じゃなかったみたいだし。だけど、しばらくはまだそっちに帰れそうにないから、お店は私が帰るまでお休みだね。』
「わかりました。」
そういうと姫路さんは短く『ごめんね。』と謝ると、『おやすみなさい。』を言った。
なんだか突き放されたような気分だ。
大した用事ではない。とは言うが、きっと家庭は家庭の、姫路さんは姫路さんの事情であり、僕なんかには全く関係のない事情だったのだろう。
「──・・・他人。」
家族の問題・・・。
あのオジサンはそう怒鳴った。
確かに、関係のないことだったのかもしれない。
余計なお節介だったのかもしれない。
僕はニコの事なんて何もしらない。本当はどこから来て、どこへ帰るのか。
何を考えているのか、何が好きで何が嫌いなのか。
本当の名前すらも。何もかも知らない。
それなのに、自己満足に、自分勝手に、まるで道端の名前も知らない花に水を与えていい気に成っているような、そんな傲慢な気分だ。
いつもならカーテンを閉めているが、
今日に限っては全開だった。
おかげで月明かりが眩しくてその光が真っ暗な部屋の中を青白く照らしていた。
本来なら、とても静かで綺麗な光景なのに、うざったく思えた。
「余計な事だった。」
要らないお節介。
ありがた迷惑。
自己満足。
僕があの時、ニコに話しかけてさえ居なければ、こんな事にはなっていなかったかもしれない。
ズタボロな姿を見て、わざわざ部屋に連れ込んだりしていなければ、良かったのかもしれない。
ニコと一緒に帰ったりしなければ、あんな事が起きたりなんてしなかったのかもしれない。
脳裏を駆け巡る感情は水琴窟の様に、あっという間に思想を支配していく。
考えたって始まらないし、また終わりさえしない。それがわかっていても止められない。
あの瞬間のニコの顔が、表情が焼きついてしまって、嫌で仕方が無い。
姫路さんが店に戻ってきて、僕もバイトを手伝いながら学校に通った。
つまらない授業に欠伸を出しながら、図書室で本を読みながら、バイトで姫路さんとありふれた日常を語りながら。
そうして一年が経って二年が経った。
それでも、アイツは、ニコはこの店に顔を出す事はなかった。
僕の胸の中はぽっかりと穴が空いたようで、どんなに姫路さんと喋ってもそれが埋まる様子はなかった。
仕事中に店の扉の窓から、それに学校の登下校中にセーラー服の女子高生や中学生を見るたびに僕は息飲んだ。
それだけくっきりと僕の脳裏にあの姿が、こびり付いていたんだ。
月明かりに腹が立って、僕は無作為に、意味もなく立ち上がりカーテンを引っつかみ、窓を覆おうとした。
だけど、その窓の外に見えた後姿に僕は絶句して、慌てて部屋を出て行った。
「───ニコ!!」
真四角で、砂だけで何も無い空白の公園跡地。
そこで土の上に座り込んで本を読む彼女に向けて僕は叫んだ。
髪の短い背の低い中学生の女の子は、やっぱりニコニコしながら僕の方を見た。
「お前また、・・・こんなところで何してるんだ。」
しかし、いつも通りに彼女はニコニコと笑うだけだった。
何をどう訊いたとしても何も言わずに笑っているだけ。
見ると、顔や手足にまた傷が増えている。
「オジサンにやられたのか?」
答えない。
「痛くないのか?」
答えない。
「痛かったら痛いって言えよ。」
言わない。
「そんなんじゃ、いつまでたっても一方的にやられるだけだぞ。」
だけども彼女は笑うのをやめない。
それどころか、また手に持っていた本のページをめくる。
その本を僕も知っている。小さい頃から繰り返し何度も読んだ本。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」だ。
燃やされたはずの「銀河鉄道の夜」だ。
年端も行かない女の子を自宅に連れ込んだのはこれが二度目になる。
こんな犯罪行為が二度もあるなんて、褒められたことではない。いや、そもそも一度ある事自体がアウトなのだ。
姫路さんにだって、既に注意されていたことだ。
両親には奇跡的にも気付かれなくてすんだ。昔からそういう隠密行動は得意だったのだ。
僕は、ニコを部屋に連れ込み、傷の手当をした。
人が一生懸命、消毒したり絆創膏を張ったりしてやっているというのに、その本人様は外を眺めていたり本を読んだりと自由に振舞った。
偉そうな姫様気取りか。
「少し沁みるけど我慢しろよ?」とかいうテンプレなセリフも、必要ないという感じに彼女は眉一つ動かすどころかニコニコしていた。
消毒して、ガーゼを張ったところから、けれどもその白い布からまたジワジワと赤色が滲んでいて痛々しかった。
抑えきれなくて、我慢できなかったのは僕の方だったのかもしれない。
ジワジワとその気持ちが溢れてしまったのだろう。
だから、僕が彼女を、ニコを抱きしめたことで彼女はきっとビックリしていたに違いない。
彼女を抱きしめて眠った、その夜だろう。
僕は夢を見た。夢であるとわかっている夢を見た。
揺れる夜汽車に乗って、どこか遠くへ旅に出る夢を見た。
二人して車窓から真っ暗でけれど、点々と星のように輝く街並みを眺めながら。
手を繋いで、色んな話しをしている夢を見た。
「僕は、ニコが好きだったのかもしれない。」
月明かりに照らされた彼女が魅力的で、また僕は彼女に呟いた。
ニコはビックリした顔をした。頬を桜のように染めながら。
「──私も、千尋が好きだよ。ありがとう。」
そう微笑みながら返した。
「ありがとうなんて・・・可笑しな奴だ。」
「えへへ。そうかな・・・・だけど、これが夢じゃなきゃいいなぁ」
「───そうだな。」
二人して、そうやって笑いあった。ニコニコと。
それは互いを見つめながらなのか、月を見ながらなのかはわからないけど、だけど綺麗だなと僕は思った。
「なぁ、ニコ。」
「何?千尋。」
僕がニコの名前を呼んで、ニコも僕の名前を呼んだ。
「もう、どこにも、黙って僕の前から居なくなるなよ。」
「・・・・どこにも行かないよ。ねぇ千尋。」
「なんだよ、ニコ。」
「もう、風邪ひかないでね。」
「・・・あぁ。」
僕達はそうやって、ずっと月灯りの下を走り続けた。




