五話
今日の運勢は、あまりいいとは言えない。
夜寒くてなかなか寝付きが悪くて、その所為で学校に遅刻してしまった。
遅刻するのは、別にどうでもいい。
ただ、もう授業が始まっていて、それでクラスの奴らの注目を浴びてしまうのが嫌で仕方が無かった。
「なんだ?寝坊か?生活習慣を見直し、夜はしっかり寝るようにしなさい。」と注意をされ
あまつさえ「お前等も他人事じゃないからな。若いうちからちゃんとした生活習慣を心がけないとロクな大人にならないぞ?」と
教壇でそんな事を偉そうに演説するもんだから、他のやつまで僕の所為で余計なお節介を向けられる。
「お前の所為で大事な授業の時間が台無しだ」と「ほら、面倒なお説教が始まったじゃないか」と
そう批難されているみたいだ。
「すみません。・・・気をつけます・・・。」そんな一言を添えると、
僕はそれだけで黙って自分の席に腰を落ち着けた。
そこからは、数分間にわたり教師による人生論だけが、シンっと静まり返った教室を包んでいた。
こんなもの毎日のことなんだ。
だから、今彼がどんな事を述べているのかなんて、もはや誰も聞いちゃいない。
きっと、「君達はもう受験生なんだから・・・」とか「下らない大人になるな・・・・」だとか、「もう子供じゃないんだから・・・」とか
絵に描いたような聞き飽きたセリフを吹聴しているんだろう。
耳に蛸だ。
周りを見渡すと、そんな状況を真面目に聞いてる奴も居れば、寝息を立てている奴も居る。
どこ吹く風と言わんばかりに自習を始める奴も居れば、スマホを弄っているやつも居る。
活字でいっぱいな小説を読んでいる奴も居れば、漫画を読んでいる奴も居る。
なんだかバカバカしい。
こんな下らない時間を、こんな狭い部屋の中で過ごすくらいなら僕は外に出て行ってしまいたい。
僕が遅刻してきたことがきっかけであっても、そう思ってしまう。
そんな息の詰まるような時間は、授業が終わっても終わらなかった。
熱が入ってしまったらしく、せっかくの休憩時間もおじゃんになった。
──もう最悪だ。
そんな声が聞こえてくるようだった。
それとも、それは僕の声だったのかも知れなかった。
運勢はよくない。
その証拠に今日は大して姫路さんと交流できなかった。
悲しいことに、本日、姫路さんのお店は繁盛していた。それは、とてもいいことなんだけれど、本当に一言二言で店から帰らなくちゃならなかった。
「いらっしゃい」と言われ、「またきてね」と言われる。
僕も「こんにちわ」と挨拶し、「また来ます」と、そんな辺りさわりの無い、ただの挨拶だけで終わってしまう。
まったくもって贅沢な悩みだと思うけど、これでは癇癪持ちの小さな子供となにも変わらないな。
自覚していてもやめられないのが、余計に質がわるい。
「今日は、まだ来ていないんだな。」
自転車を適当に停めて公園跡地にやってくる。
そして、また適当なところに僕は腰を下ろして読書を始めた。
今日は、僕が先に此処にやって来た。
だから何も可笑しなことはないだろう。
傍から見れば、そもそも何も無い公園跡地なんかで座り込んで読書なんかしている僕の今の姿は、可笑しい物意外のなにものでもないんだけど、
しかし、僕は気にも留めなかった。
現状、今の僕の中にあるのは、あの子へ抱く意地のようなものだけなんだけどね。
まぁ、それは彼女がまた現れればの話なのだけど・・・。
「・・・・・・・」
しかし、何分待っても彼女は現れない。
そろそろオレンジの空が薄れて夜になりつつあった。
流れてくる夜の暗さに、弱弱しく星が散りばめられてきていた。
視線を逸らすと、団地の家々は影絵のように見えた。
そろそろ、帰ろうかと思って本を閉じようかと思った矢先である。
彼女が立っていた。
ニッコリと笑いながら、図々しく僕の前に腰を落ち着ける。
「・・・・・・・・」
その姿を僕は睨みつけた。
そんな僕に気付き彼女はまた困ったようにニッコリと笑う。
違和感を感じていた。
いや、感じていたどころでは済まされない。
そんなもの誰がどうみてもわかる。気がつくような姿だ。
「靴どうしたんだ。」
その足を見て言った。「なんで靴履いてないんだ?」
しかし、変わらずにニッコリとした。
腹立たしく笑っていた。
「なんで濡れてるんだ?」
服もカバンもずぶ濡れな、その姿を見て言った。
「髪の毛は・・・それはどうしたんだ。」
ズタズタに適当に切り裂かれた、あの長ったらしい髪を凝視して言った。
「なんでそんなに怪我してるんだ。」
膝や顔に付いた痣を睨みつけて言った。
「何がおかしいんだ!」
その曇りの無いニッコリ笑顔を見て腹が立った。
可笑しい行動である事は承知だ。下手したら犯罪紛いの行いだ。
僕は彼女の手を引っつかみ、家に連れ込んだ。
ビックリした顔をしていたみたいだけど、僕だって同じくらいビックリしていた。
どうしてこんな他人に対して余計お節介を焼いているんだろうと思った。
そして、身元不明の女子中学生を家に半ば強引に連れ込んだところで、それでどうしようという気持ちになり手持ち無沙汰だ。
手を拱いているところへ、玄関でチャイムが鳴った。
心臓が止まるかと思った。
「ごめんください。姫路と申しますが・・・。」
聞き覚えのある優しい声が外から聞こえた。
「千尋くん・・・旭ヶ丘様のお子さんがうちのお店に置いていった忘れ物を届けにきました。」
「ひ、姫路さん!なんだか僕が如何わしい店に行ってるみたいになるので、その言い回しはやめてください!」
両親不在なのが不幸中の幸いだった。
「最近の高校生は、なかなか強引なのね。真面目だなぁとは思ってたけど、なんだ千尋くんもやるときはやるじゃない。」
「そういうのじゃないです!僕が好きなのは姫路さんだけです!」
「あはは。嬉しい。」
なんだか軽くあしらわれたみたいだ。悲しい。
「だけど、こういうのは褒められたことじゃないから、気をつけてね。」
「・・・・はい。」
「千尋くん、救急箱と、あとは適当にキミの服あれば貸してもらえないかな?とりあえず、この子着替えさせなきゃ。」
急いで言われた通りの品を持ってくると、
二人は脱衣所に、お風呂場に入って行った。
「覗いたらダメだよ?」
と釘を刺されたので、その間に僕はずぶ濡れのセーラー服を洗濯機に放り込んで、
女子中学生のカバンをドライヤーで乾かそうと思って中を開けた。
言うまでもなく、カバンの中も、その中身も漏れなくずぶ濡れ状態だった。
その結果、腹が立って見なきゃ良かったと後悔した。
全て一本一本懇切丁寧にへし折られた筆記具。粉々に砕かれた消しゴム。
それに始まり、ボロボロに破られズタズタにマジックで塗りつぶされた教科書やノート。
そして、それが僕を苛立たせた。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』である。
真っ二つに引き裂かれた、その一冊は真っ黒に焼け焦げていた。
僕も何度も繰り返し読みふけった一冊。
大好きな一冊だ。
それが、こんな風に真っ黒で悲惨な姿を晒しているのを僕は腹を立てずには居られなかった。
「覗いたらダメだって言ったでしょ?」
「・・・・・・・・」
怒った口調でも呆れた口調でもなく姫路さんは言う。
「・・・・・・イジメ・・・られてるのか。」
「・・・・・・」
何も言わずに荷物をまだ生乾きのカバンの中にしまいながら、僕のジャージを着た彼女は普段通りにニコニコと笑みを浮べる。
「ムカつかないのか?僕はとっても腹が立っている。」
彼女は不思議そうに僕を見つめる。
「なんで何も言わない!?」
「千尋くん。そんなにぶっきら棒に責めたてたらダメだよ。」
「・・・すみません。」
「まぁ、イライラしてるのは、なんとなくわからなくもないけどね。」
そうじゃない。
何も言わない彼女にイライラしているんじゃない。
だから、腹が立ったのだ。自分の好きなものを、愛してやまないものを汚されたという、そんな理由で・・・。
そして、それなのにそれを怒らない彼女に対して苛立ったのだ。
どうでもいいから、そんなにヘラヘラしていられるのだろう?そう思ったから、そう感じたから、だから僕は怒っているんだ。
こんなに不愉快なのだ。
考えてみれば、なんと自分勝手な理由だ。
まるで小さな子供となんら変わらないじゃないか・・・。
「・・・・まだ彼女の服が乾くまで時間掛かりそうね。千尋くんコーヒーか何かないかな?」
「インスタントでいいなら。」
大好きな姫路さんにまで余計な気を遣わせてしまった。
やはり、今日はなんて日だ・・・。
三人分のカップに作った珈琲は
砂糖をいくらいれても、とても苦く感じた。
───知らない間に、私の目の前は真っ暗になってしまっていた。
周りはとても五月蝿いし、その上なんだかとても寒い。
私は静かなのが好きなのに、どうしてそんなに五月蝿くするんだろう。
耳が痛くて苦しい。そんな毎日だ。
なんで、こんなところに私は居るのだろう。と不愉快になるし、
それをどこに向けたらいいのかわからない。
そんな地団駄を踏むような日々を、私はもう気がつけば怒りから悲しさや寂しさになっていた。
もういいや、好きにしてよ。勝手にしてよ。と観念したのかもしれない。
───ちょっと待ってて!
不意にそんな声が聞こえてきた。
なんだか小さな声で、だけどぶっきら棒な声だ。
たどたどしい足音は遠くへ行ったと思ったら、またすぐに私の傍まで聞こえた。
そうかと思うと、声の主は私を抱えて鮮やかな陽の光が刺すところへ連れ出していた。
そんな泥だらけになるようなお節介、アナタになんの意味があるんだろうと思った。
けれど私は、アナタのそんな五月蝿さを、どうしてか不愉快に感じなかった。




