四話
目を覚ますと、疲れていたのか時計の針は昼の十三時を過ぎていた。
どうやらカーテンを閉めずに昨日は眠ってしまったらしく、日光が僕の眼を突き刺すようなことはなかった。
軽く伸びをすると、湿布が張られた右足を刺激してしまって痛みまで一緒に眼を覚ました。
せっかくの休みだ。
だから本でも読みながら、このまま惰眠を貪ろう。
そう思って足を引き摺りながらカーテンに手を伸ばすと、あの公園が否応無く目に留まる。
すると、何もないところに座っていた女の子と目が会う。会ってしまう。
何度も繰り返して説明するのも、もう面倒くさいけど冬服を着た女子中学生だ。
あの長い髪をした幽霊のような女の子だ。
「・・・・・・・」
ひょっとしてストーカーなんじゃないだろうか・・・。
誰に対しての?
僕に対しての?
自意識過剰だと思われそうだ。自分でもそう思う。
たかだか二回ほど目が会ったというだけの、たかだか女子中学生に対して、大人気ない。
「馬鹿馬鹿しい・・・」
僕はそう呟きカーテンを閉めた。
彼女は毎日居た。
公園跡地に毎日居た。
晴れの日は勿論の事。
雨の日、風の日、僕が出掛ける時、僕が帰って来るとき
彼女は常に公園に居た。居座っていた。
何も無い土の上に腰を下ろして、空をジっと見つめていたり、
本を読んでいたり、スケッチブックに何かを書いていたりと、なんだかまるでその場に根付いているように、
彼女はそこに居続けていた。
「──何の本を読んでいるんだ?」
学校から帰ってきたその日、不意に僕は話しかけていた。
少しだけけだけど、姫路さんと喋ることが出来てテンションがあがっていたのだろう。
その気持ちのよさのお釣りのようなつもりで、どういうわけか話しかけていたのだ。
別に彼女が読んでいた本が特別、気になったわけではない。
だから、単純に気持ちのおすそ分け。お釣りである。
彼女は活字でいっぱいになっているページをそのままに、僕の方に顔を向けた。
「・・・・・・・・」
相変わらず不思議そうに見つめる。
何も言わずに、ただただ隣に立って覗き込む僕の姿を観察でもするように両方の目で、僕の事を見つめた。
近くで見て初めて気がついた。
その長ったらしい前髪で気がつかなかったけど、右の目尻に小さい傷が付いていた。
切り傷のようで、赤く滲んでいるらしかった。
「その傷、痛くないのか?」
「・・・・・・・・」
僕が指さした先を彼女は黙って軽く撫でて、少しだけ笑みを浮べて、小さく一度だけ首を縦に揺らした。
「銀河鉄道の夜───宮沢賢治が好きなのか?」
という問いに対してはイエスでもノーでもなく彼女はまた黙ったまま首を傾げた。
なんだか要領を得ない。
「僕も本が好きでね。宮沢賢治はよく読むんだ・・・・というよりは銀河鉄道が好きなだけなんだけどさ。」
アプローチを変えて僕の事を話してみた。
すると彼女はまた笑みを浮べた。しかし、今度はただ笑ったというよりは嬉しそう。そんな雰囲気だった。
読みかけのその本を閉じると彼女は僕に、その『銀河鉄道の夜』を差し出してきた。
「いや、読みかけなんだろ?僕はよく読むから別にいいよ。」
「・・・・・・・・・。」
不思議そうな顔をまた見せる。
何が言いたいんだ・・・。
こっちはこっちで不思議そうというか、なんだか理解が出来なくて不愉快な気持ちになってしまう。
「・・・・・・・・・・」
いや、初対面でいきなり話しかけられて、そっちもそっちで迷惑なんだろう。
下手したら不審者と言われても可笑しくない。
だが、そのまま腹を立てて帰るのでは、僕が負けたみたいな気分になるので少し離れたところにドカりと座り込んでやった。
昔から意地っ張りなところがあるのが僕の取り得であり欠点だった。
その行動に彼女はまたしても不思議そうに僕の事を見つめる。
「どういうつもりだろう」とか「変な人だなぁ」とかどういう風に思われているのかは知らないし知ったこっちゃないんだけど
これはだから単純に意地比べのようなものだ。
しかし、彼女の方はというと座って本を読み始める僕の事を驚いたという表情も、お得意の不思議そうな表情もせず、怖がった表情もせず
ニコニコしていた。
不愉快で、腹立たしい。そして悔しいという気持ちばっかりが僕の方では湧き上がった。
舐められているような感じだ。中学生相手に情けない。
僕はそんなマイナスな感情を表に出さないように、無表情でいつもの調子で読書にふけってやった。
「今日は遅かったじゃない?部活?」
「あぁ・・・えっと、図書室で勉強してたら知らない間に寝ちゃってたみたい。」
「その割りには制服が砂だらけなんだけど?イジメにでもあったの?」
「そんなものにはあってないよ。心配しないで。」
家に帰ると、母さんに風呂に入るように急かされた。
髪の長いあの子は、僕が目を覚ました頃には、居なくなっていて僕一人が取り残されていた。
僕は図書館ならぬ公園跡地で眠ってしまっていたらしかった。
これでは、どちらに軍配が上がったかわからずじまい。肩透かしだ。
浴室の窓を伝って、外では雨が降り出している事がわかった。
あのまま眠っていたら、砂だらけどころでは済まされなかっただろう。
きっと、また風邪を引いてしまうに違いない。
「あの子は、濡れずに帰れたのかな・・・?」泡立てた髪を暖かいシャワーで洗い流しながら、
僕はそんな事を思った。
「・・・なんで、僕があんな見ず知らずの中学生の事なんて心配しなきゃいけないんだ?」
葛藤のようなものである。
だいたい、僕よりも先に帰ったのだから、もうすでに自分の家で晩御飯を食べて
今の僕みたいに暖かいお風呂にでも入っているに違いない。
残りの泡を、心配と一緒に洗い流し、僕はまた湯船に浸かりながらウトウトし始めた。
──嬉しかったり、不愉快で複雑な午後だった。
───カタカタと、カラカラと、サラサラと、
小さい何かが何かにぶつかって鳴いているような音が聴こえる。
なんだかとっても寒くて、とても空虚で、胸の中が空っぽになっているような気分だ。
スカスカで、お腹がすいているみたいな気分だ。
私は鉛色に染め上げられてしまった空をボーっと眺めながら泣いているらしかった。
短くも長くもない、近くもない遠くもない日々を懐かしく思いながら泣いているらしかった。
アタナはとても暖かい人だった。
他の人たちとは違った暖かさも涼しさももっていた。
近すぎて火傷することもなく、遠すぎて凍えてしまうようなこともなかった。
不思議な人だった。
どうして私なんかに話しかけるのかとても不思議だった。わからなかった。
アナタが何を言っているのかわからなかったし、何を唄っているのかもわからなかった。理解できなかった。
アナタの顔を思い出せなくなってきて、私は心が折れそうになる。
夢の中で、私はアナタの話しを──旅路の物語を泣きながら耽ることにした。




