自衛隊
先の大東亜戦争が、軍の暴走で引き起こされた戦争であったことは歴史的事実で、その暴走を止めることが出来なかったのは旧の大日本帝国憲法に瑕疵があったことはこれまた衆知の事実だ。それは統帥権で、このことにより軍の暴走を止められなかった。
この反省に基づき、日本国憲法第9条は戦力を保持する軍隊、交戦権を否定している。
日本は、明治期に於いては中国、ロシアと戦争した、それはある面自衛権として認められることも事実だ。
しかし、憲法上自衛隊を明記すれば、その位置は不動なものとなる。明記されていないからこそ、シビリアンコントロールも可能だが、明記されたらそれはもう一個の独立した存在となる。何故なら、憲法各条文は独立した存在だからだ。
人類歴史上において紛争、戦争が皆無だった時代はない、ましてや今日の複雑な国際情勢に於いては、侵略から守る強力な武器と軍隊が必要であることから、第二次大戦以後も各国は軍備を拡張してきた。
しかし、戦後日本が奇跡的な復興を遂げて来た根幹に、日本国憲法の存在を否定出来ない。真っ先に内外に交戦権を否定したことは、画期的かつ明確な意思表示で、このことにより日本国民が先の大戦を反省し、二度と悲惨な戦争を起こさない、真に平和を愛する国民だとアピールしたことは大きい。
その平和憲法の象徴が第9条だ、米国の押しつけ、自主憲法を持つべきその具体策が憲法上自衛隊を明記することだと主張するが、歴史は常にその軍隊を握ったものが国民を圧制してきた。
文民統制だから安全だと、それは詭弁に過ぎない、何度も言うが、憲法に明記されれば、それは独立した存在だ。
憲法第90条で認められている会計検査院は内閣に対し独立の地位を有する、それは国家の財政支出に対し、公明正大な機関が必要であることを明記したもので、このことにより国の財政管理は維持されている。
専らそれが今日、その趣旨で運営されているかは一抹の疑念はあるが。
何を言いたいかというと、一旦憲法に明記されればそれを覆すことは出来ないということだ。




