自衛隊
間もなく、1960年の日米安保条約から10年を迎え、国はあの時の激烈な闘争に備え、若し警察で手に余ることがあるのなら、自衛隊を出動させることも考え、部隊は通常訓練よりその鎮圧訓練に力を入れていた。その際、必要なのは自ら考える集団ではなく、命じられたことを躊躇なく実行する集団が必要で、それにはそれなりの人間で事足りていた。むしろ、その方が良かった。
私は中途で自衛隊を退職したが、昭和43年4月入隊した頃と比べ、現在の自衛隊は質、量ともに格段の違いがある。文章ひとつ満足に読めない書けない集団ではなく、今は一定の学力を有していなければ一般隊員にもなれない。給与等生活面や装備も充実し、年々防衛予算が増加の一途を辿り、世界有数の戦力を保持し、誇示している。
名称も防衛庁から防衛省、自衛隊員はもう税金泥棒と呼ばれることもなく、災害が発生すれば身の危険を顧みず率先して働く功績が国民に認められ、その存在理由を否定するものは極少数に限られている。
そして、金は出すが血は流さないと世界から非難されたことから、現在では海外派兵も可能な法整備も充実された。残す所は、憲法第9条改正で、現安倍政権は、自衛隊を憲法上明記することを公言している。
そしてそれを後押しするのが、国民の大多数が認める災害活動だ、これだけ国民に尽くしている自衛隊員の存在を認めないことは可哀そうではないか。もしこの活躍を認めなければ自衛隊員の士気も下がり、少子化で優秀な若者が来て呉れることを念頭にあれこれ対策を練っているのに、国民が認めない組織であれば入隊する若者もいない。将来の国防はどうなる、と。
活躍は、元自衛隊員として誠に喜ばしいことだが、上記の主張は感情論に過ぎない。感情論、同情論を持って、自衛隊を憲法上明記することとは別次元の話だ。
日本国憲法第9条は、攻撃的な戦闘力は先の大戦を反省し認めていない。しかし、他国の侵略に対して傍観することは人類歴史上どの国も無かった訳で、この意味に於いて自衛権を認めている。これが素直な憲法解釈と私は思っているし、その意味において自衛隊の存在を否定することは出来ない。
米国が世界平和の為自国民の血を第二次世界大戦以後も流し続けて来たのに、日本は日米安保条約という傘の中で平和を謳歌して来たことについて、これからは米国と日本が協力し国際平和に貢献するためには、自衛隊を憲法上正式な軍隊として明記することを誰もが望んでいると主張するが、それは明らかに論理に矛盾している。




