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自衛隊

 福知山駅に到着すると、私の上司の真田2曹が迎えに来ていた。真田2曹は射撃指揮班(通称FDC)の班長で、私はこの方から指導を受けることとなった。何故射撃指揮班か、それはあの微分積分が出来たことに依るものだった。


 普通科連隊だが、小銃の歩兵部隊と共に重迫撃砲部隊もある。重迫撃砲部隊は味方部隊を後方から支援する重要な任を担う。弾道を正確に測るためには精密な計測器具と緻密な頭脳を要する。


 専ら今日ではパソコンで事足りるが、当時は大部分を紙面の上にピンを立てながら計算し、それを実戦部隊に連絡していた。


 昭和43年(1968年)当時、まだ自衛隊は実力的には米軍の予備的存在だった。私が入隊した時小銃の訓練では、米軍が太平洋戦争で活用した6連発ライフル銃だった。


 先ほどの重迫撃砲もその都度トラックに乗せ移動する形で、太平洋戦争ならそれで充分な装備だが近代戦で、いちいちトラックから重迫撃砲を降ろし、穴を掘り設置し観測してでは、今ならたちどころに発見されて部隊は殲滅されてしまうだろう。


 しかし、当時の私にそのような知識があろう筈もなく、皆より少し頭が良いというだけで、部隊で唯一の頭脳集団の一員として迎えられた。


 ある時、中隊長から模範解答者の一員に指名された。その内容は、戦地に行けと命じられたとき、自衛隊員としてどのように考え行動をとるかと云うもの、予めシナリオが書かれ、それぞれが役割を担当した。私に白羽の矢が立った理由は分からないが、それも多分習志野での筆記試験が中隊長の手に渡っていたからかもしれない。


 連隊長が見守る中、その小芝居が始まった、結果は国が望む、進んで戦地に赴くというものだが、私は若い隊員を代表するような形で予め渡された模範解答を澱みなく諳んじた。


 終わったあと、連隊長から質問があったので、中隊長から命じられた通り答えただけと言ったら、成程な、とばかり鼻を蠢かしていた。その顔に、こんな若造が国防の何たるか理解出来る筈はないとばかり。


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