郡山駅前通りホテルの仕事
郡山駅前通りのホテルの駐車場係として働いたのは58歳の誕生日をひと月前に迎えた頃だった。妻との亀裂はもう埋まることもなく、相変わらずの4畳半暮らしも飽きていたとき、妻はふいに、もうこれからはそれぞれが自活の道に進むようにと、冷蔵庫に張り紙をしたので、私もいよいよ来るべきものが来たか、そろそろきちんと就職しなければ、と本気で仕事を探した。
郡山郵便局とホテルの駐車場係の面接日が生憎重なってしまった。先ず、郵便局で面接、仕事内容は夜勤で郵便物の仕分け作業だった。人手不足から採用されることとなったが、ホテルの面接もあるので、その後に返答することにして、次にホテルに行った。
履歴書の資格欄に、警備員指導教育責任者の資格を有すると書いてあるのを見た面接の部長が、興味を示し、此処も採用となった。
こう書くと、二つも同時に合格したので、如何にも私が優秀な人材であるかのような記述になるが、何、どちらも単に人手不足、所謂賃金が安くて誰も成り手がないだけ、只それだけの事だった。
ホテルの方が距離的に近いので、ここで働くことにした。“ちょっと笑える悲しい話”を読んで頂いた方には私の惨めな暮らしぶりはご存知の通り、もう後がないぎりぎりの身の上だけに、ホテルの仕事に有りつけたのは幸いだった。
ホテルには立体駐車場があった。これがこのホテルの特長で、乗用車で来た宿泊客は駐車場内に入場すると、車両を立体駐車場に入庫後、直ぐホテルのフロントで手続きが出来ることから、一度その利便性を知った宿泊者は、その後リピーターとなることが多かった。
但し、高さ制限があるので、昔ながらの乗用車タイプだけ、現在のミニバンなどはとても入庫させることは出来ない。だから、入庫出来ない車は別の駐車場に案内するので、結構利用客から不平不満をぶつけられた。
労働環境も、夏は立体駐車場が南向きに建てられているので、その日射しを遮ってくれるが、冬は逆に北から強烈な風が吹き込み、立っていることも辛い程寒さに震えた。
勤務時間は開始が夜6時、二日目は8時、終了が朝8時の夜勤勤務、それを二人での交代勤務だった。
二月過ぎ仕事に馴れた頃、中年の女性と勤務を組むようになった。夜8時迄は忙しいので、状況に応じ3乃至4人態勢となるが、その8時以降は二人で勤務する。
ある日、私の何気ない一言が、その女性の怒りを買い、ひと冬、しかとされてしまった。それが半年ほど続き、ようやく春頃仲良くなれたと思ったら、その年の冬またしかとされた。
ま、それからは本当に仲良くなったが、女性は本当に怖いと思った。色々な事があったが、丸5年続けられたことは幸いだった。




