団塊世代は何をして来たのだろう
話は昔に戻るが、昭和20年(1945年)8月15日の敗戦記念日、終戦記念日と美化するような表現は用いるべきではないと小生は思っています、から国民の意識は大きく変った。
しかし、私を含む昭和22年から24年生まれの所謂団塊世代が、戦争があったことを知ったのは物心ついた時で、歌にもあったように、戦争を知らない子供達だ。
だが、戦前、戦中生まれの先輩達同様貧しい少年時代だったことは事実。幸いに、高度成長期の恩恵に浴し、それなりに幸せを手に入れたが、どうも何か変だ、おかしい、と感じる世代ではなかった。
高校の文化祭ではクラスが自己主張として看板を掲げるが、天上天下唯我独尊など、と、真の意味を知らず、戦後育ちの自由奔放さ剥きだしの有様だった。
今、この団塊世代は由々しき存在となっている。私が言うこの由々しき存在は人口構成を歪めているという、形式上の問題を言っているのではない。
先ほどの文化祭のように、自己主張が激しく協調性に欠け、物事を深く考えない、捉えないという、その困った存在だと、云うことである。
そして、一言で云えば何もして来なかった集団でもある。これは極論過ぎるかもしれないが、10歳上の1960年の安保闘争で激しく日本を揺らした世代に比べ、団塊世代は集団就職の言葉に代表されるように高度経済成長を支えた存在ではあったが、反面世の中を見透かすような冷めた存在でもあった(注:この文章では存在を頻繁に使用するので、予め御断りして置きます)。
私は、安保自動延長の1970年は自衛隊でその制圧訓練に明け暮れていたが、体制側の存在であることから治安を乱す集団を冷めた目で見ていた。現実駐屯地に侵入してきた活動家が捕まったこともあった。
団塊世代は競争世代でもある。雨後のタケノコではないが、日本国中子供で溢れかえっていた。私が小学校2年の時だったが、遠足でバス旅行に向かう出発の最中、窓から身を乗り出した生徒が、動き出したバスと電柱に頭を挟まれ、運悪く死亡する事故が発生した。勿論遠足は中止となったが、現在のように大騒ぎにはならなかった。
乱暴な言い方で顰蹙を買うと思うが、子供の一人、二人亡くなったからと云って、それがどうした、そんな風潮だったような気がする。
中学卒業後働くのは当たり前の時代、しかし中学を出て集団就職した者は即社会からの脱落者、高校卒も同じ。代わって、その君臨者として、大卒、それも一流大学卒、それが社会の支配者となる、激烈な競争社会が既に存在していた。
第二次世界大戦は、未曾有の無差別殺戮戦争だったことは否定出来ない事実だ。優秀な若者が無駄な血を流したことにより、戦後、世界はその様相が一変した。
どの国も体制を立て直すことが何よりも急務。素早く、それには競争原理が手っ取り早い、優秀な者が社会を支配する。
日本は敗戦国だ、戦勝国の連合国に追いつき追い越すには、明治期に倣い今一度更に強度な競争社会、学歴社会が必要されたと筆者は推測する。
そして、そのモルモット(不適切な言葉と思うが、敢えて表現します)とされたのが団塊世代だ。何しろ半端ではない子供の数だ、私が中学2年の時は3学年で36クラス、一クラス平均50人総勢1800人、もう学校は生徒の歓声が止むことがない騒がしさだ。
その中から一握りの優秀な者を選ぶにはこれでもかという毎日のようにテストが続いた。そして、競争社会がやがて未来に大きな禍根を残すことに、思い至ることはなかった。
今一度論点を整理してみるが、団塊世代は何をしてきたか、そして何をしていくべきか、私を含めその論理思考が極めて希薄な世代ではないか、と思う。
安保闘争に熱い血を燃やした世代ではない、むしろ傍観者の立場の者が多かった。競争社会で多くの者が落ち毀れたが、幸いに高度成長期に恵まれ働く場所を選り好みしなければ生活出来た。
インフラの充実により、大満足とまではいかないが、所得に応じた生活がそれなりに出来た。
しかし、何をして来たのだろう。何をしようとして来たのだろう、何を伝えようとして子供を育てて来たのだろう。やがて自分達が、次世代にとって厄介者になることを誰も気付かずに。




