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見失うな、思いやりの心

 名古屋市港区須成町の襤褸アパートでお袋と二人暮していた時のこと。私は近くの小さな運送会社で働くこととなって半年、やっと生活も落ち着いて来た。


 そんなある日の夕食時、お袋から今日運河で溺れていた子供がいてね、と話し始めた。会社の近くには中川運河がある。運河沿いには倉庫も建ち並び、私の最初の運送の仕事はその倉庫群の一会社からの搬送だった。


 で、何だったの、と促すと、それはお袋がバスの中から見た光景だった。その日は、団地サービスで清掃の仕事をしていた時、仲良くしていた石田さんの家を訪ねた帰りのこと、時刻も夕方となり仕事を終えた人々で車内も満員だった。 


 お袋は東海橋停留所で降車するので、乗降口近くに居てその東海橋を渡って居た時、目に飛び込んできたのは運河で溺れている子供だった。それを、遊び仲間であろう数人の子供が助けようと必死に騒いでいた。


 間もなくバスは停車、お袋ともう一人の若い女性が降り、二人でその現場に駆け付けた。と、いってもお袋は何とか、その若い女性の後を追いかけただけだが。


 そして無事溺れた子を助けた。翌日の新聞記事には、その状況が書かれていた。お袋の描写は、老婆も懸命に走った、と。老婆は失礼だと思った、まだ50歳なのに、しかしお袋は糖尿病が悪化し、若い頃あんなに綺麗だったのに、歯も抜け髪も白くなって、最早誰が見ても老婆だった。


 いや、お袋の容姿を取り上げる話ではない。人は咄嗟の場合情けない程、毅然とした行動が取れない生き物であるということだ。先ほどの子供が溺れていた光景は、大勢の乗客が見ていた。しかし、助けに走ったのは僅か2名、あとは傍観者だった。御断りしておくが、もう45年も前のこと、携帯もスマフォもありません。


 しかし、その傍観者達を責めるのは誠に的外れな論旨だ。最近、有名タレントが起こした交通事故で、被害者を助けずそのまま見過ごした人達を批判した著名な教育評論家が、それは苛めの延長なのだと訳の分からないことを言っている。


 咄嗟の行動をとれる人は極少数だ。人の反射神経は、状況が緊迫していれば居る程弛緩してしまう。助けなければという意識はあっても、行動を伴うことが中々出来ない。咄嗟の行動をとった人を褒めることはあっても、決して傍観者を責めてはならないと思う。


 誰もが自由に意見を発信出来るようになって、感じることは負の意見が多いことだ。批判するという負の意見は出るが、ではどうするか、という正、所謂前向きな意見が少ない。


 人は、心の内に優しさを失ったら、その心はもう心ではない。お袋が病気にも拘わらず、必死に助けようと走ったその行動を誇りに思う。


 で、この話をしたら妻から、私も結構人助けしたわよ、と。そう妻も決して傍観者ではなかった。やはり私が選んだ妻、少しのろけてしまいました。


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