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意識の変化

 親父が炭鉱で働いていた時代も、落盤事故で多くの死亡者が出たが、その劣悪な労働環境の改善、批判より、“御国の為に亡くなった”、とばかり、まるで戦争中の兵隊さんを称えるような論調が根強く残っていた。


 やがて、それは石炭から石油へとエネルギーの大転換が決定され、黒ダイヤと云われた石炭産業も、それに従事する労働者の大量解雇に繋がって、如何に国は生きる権利をかくも簡単に踏みにじる存在で有ることに気付き、初めて大きく団結し闘争したが、国の強権が発動され脆くも崩れ去った。


 それ以後も泣く子も黙る日教組始め多くの労働団体の活動により、働く人達の権利意識が高まっていったが、僥倖で掴んだ経済発展を自分達の努力の結果と過信し、その後はいつしか中流階級意識が定着した。


 そして働く意味を考え直し、正社員の束縛から逃れ、自由に働きたいとの考え方に変っていき、やがてフリーターやパート、バイトに従事する人達が増えていった。


 しかし、この働く人達の意識の変化は企業にとって好都合だった。何故なら、働く人自らが雇用の自動調整弁となってしまったからだ。


 経済環境は常に変動する、そして一旦不況となれば企業は人員整理に走る。しかし、正規社員をそう簡単に首にすることは出来ない。


 だが、非正規社員に対してはその遠慮はいらない。法律もその雇用関係を守ってくれない。


 先に、その危険性を指摘する適切な見識者は皆無だったと論じた。そう、神がかりの経済発展は、国も国民も空ばかり見て、足元をしっかり見つめ直すことを放棄させた。


 自由に生きることと自由に働くことは同じことだと、その考えを多くの働く人達が意識し行動したことが、結果働く人達の最低限度の生きる権利さへ奪ってしまったのだ。


 この自由に生きることと自由に働くことは同じではない、何故なら雇用は常に企業が握っているからだ。雇用する雇用しないは企業の裁量だ、しかし働く側にとっては先ず雇用して貰わなければならない。


 そして一旦雇用関係になれば自分で辞めない限り、法は最低限度の保証を担保してくれる。


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