兎角組織と云うものは
さて、伝統を維持して行くことは傍目から見るほど楽ではないだろう。私のような根無し草の人生を送ってきた者から見れば、隊長の辛抱を理解することは不可能かもしれない。
しかし、やくざの盃事ほどではないが、神事で一同が会し盃を飲み干すことがあり、入ったばかりで何も知らず、うっかり先輩達より先に盃に口をつけようものなら、鉄拳を喰うこともあると隊長から聞くと、これはどう考えても理不尽だと思う。
そこには、伝統という高い意識を維持し共有する団体、組織は存在せず、単なる先輩風を吹かせた強圧的な集団が映る。
昔からあったことだから、続いているからだけでは伝統は守れない時代になっているのではないだろうか。
勿論、伝統芸能は各地で存続され維持されているが、少子化の波はその伝統を根底から崩しかねない時代に入っている。
伝統を繋ぐためにも分かりやすい組織でなくてはならない、先輩、後輩の垣根を超え自由闊達に意見が言える組織でなくてはならない。
維持して来た苦労は苦労、その苦労に胡坐をかいて、後に続く若い人達に強要してはならない、それが長く伝統を守ってきた者の務めだと私は思う。
兎角、人は組織を君臨する立場となると、自己の権益だけを守ることだけに力と意識を注ぐ。それが行き過ぎると、組織全体がその君臨者に追従し、やがて独裁者となる。
隊長からの嘆きを聞くだけで、何の力にもなれない忸怩たる思いを抱えながら、時には捨て身で掛かることも必要ではないだろうかと思う。
我が家も自治会を脱会したが、何ら不都合な事はない。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、これを励ましの言葉として隊長に贈りたいが、所詮それも他人事だから何とでも言えるさ、と捉えれば、言葉とは便利なようで何と気持ちが伝わらない不便な道具であろうか。




