健康で文化的な生活と生活保護
新入隊員の頃、安藤班長と一緒に巡回したら、彼は上階段から水を撒いた、その水は序序に階段下のシャッター入り口付近で寝ているホームレスに伝っていった。彼曰く、こうしておくとここで寝ようとしなくなるから。
またある日の午前1時、内田班長と同じように敷地内を巡回していると、柱の傍らでホームレスが寝ていた。起こして事情を聞くと、彼は健康保険証を持っていた。近くの交番に連絡し、警察官に保護を依頼した。2名の警察官が抱えながら連れて行ったので、我々も後をついて行った。
てっきり、交番所内で保護するかと思いきや、何とその2名の警察官はそのホームレスを高架下の通路に突き飛ばし、二度と来るなと罵声を浴びせた。
名古屋駅周辺はホームレスで溢れていた、保護を頼まれた警察官は警備員の通報だったので仕方なく応じたものの、毎日では辟易していたのだろう。
働かざる者食うべからず、世はバブル時代に突入、何もかもが浮かれていた時代、社会から落ち毀れたホームレスに誰も見向きもしなかった。やがて、それが今日の貧困の兆しだったことを迂闊にも見逃していたのにも拘わらず。
貧困は個人の責任、身を粉にして働いても年収160万円にも満たない生活、で、最低賃金を放置していた国に責任はないのか、それを社会の落ち毀れとしてホームレス同様な考え方をしてきた根底に、他人に迷惑を掛けないという、日本人の美質が邪魔していないだろうか。
親父も、大正2年生まれの古い人間だ、生活が困窮し例え生活保護制度があろうとも、それに甘んじて受けることはなかっただろう。否、親父ばかりでなく、日本人の気質がそれを恥とし、人から施しを受けるのを潔しとしなかった。
乞食の方のことを何度も言うが、それは元々そのような境遇の人で、俺はその乞食と違う、乞食の人に施しはするが、俺は最低その乞食ではない。これも根底には、差別観念を植え付けた徳川時代の政策が日本人の気質に沁みついたためだろう。
生活に困窮したためか、はたまた病気を苦にしたのか、その何れか分からないが親父は自殺した。何、こんな小市民の自殺なんて、日常茶飯事、自殺する者は元々弱い人間、ホームレスもそう、生活保護を受けるものも元々怠け者、自業自得さ。
弱者を切り捨てる風潮は国民気質そのものにあると私は思う。しかし、大災害が発生すれば、多くの方がボランティアとして活躍しているので、私が言う弱者切り捨てとは違うだろう。
だが、困った人を一時的に助けることと、生活保護者を長く支えることとは根本的に違う。
一時的は、言葉を変えればその場凌ぎだ、だが生活保護所帯をそこから脱却させる為には国の制度そのものを根幹から変えて行かなければならない。




