健康で文化的な生活と生活保護
私の自衛隊での一時退職金で親子揃って九州旅行もした、私はだから生活は何とかなっていたと思っていた。だが今思うと、それは何も分かっていなかった。何しろ、お袋は貯金するという基本的なスタイルがまるで身についていない。若い頃から、遊び好きの我が儘娘、好きで親父と一緒になって、炭鉱暮らしで苦労もしたが、それで性格が変るものではない。
何とかなるが信条、計画的な貯金は土台無理、あればあるだけ使う、無くても平気、ま、この楽天的性格だから私も随分救われたが。しかし、これはお袋に余りにも失礼だ。
貧乏を語るつもりはないが、昔も今も底辺で働く人達の収入はしれている。現在も最低賃金でフル稼働働いても年収160万円にも満たない。妻はクリーニング店で働いている。人手不足の店員募集で、時間給750円、但し見習い期間730円、この中から国民年金若しくは厚生年金、健康保険料を納めていかなければならない、となると手元に幾ら残る。
私も、福島綜合警備を56歳で中途退職し、ホテルの駐車場係兼夜間警備員として、夜8時から朝8時迄の12時間勤務を月15日働いて年収200万円(約6年間)にも満たなかった。手取りで月約12万円。その頃、別居状態で月5万円仕送りすると、手元に7万円、幸い持家だったので食べることは出来たが、当然車は買えず、歩いて通勤した。
もう生活はぎりぎりだ、仕事もふたつ、ときにみっつ掛け持ちしないと、とてもやっていけない。
親父とお袋の生活もそうだっただろう、親父の清掃の収入はしれたものだ、私が仕送りしてやっと何とか、これでは毎日安酒の焼酎を飲むのが関の山だ。何時までこの生活が続くのか、ふと親父は思ったのかもしれない。
憲法は、国民が生きていくためのぎりぎりの生活を保障すると明言する(名目は健康で文化的な生活)、生きていくための生活、それは犬や猫だってしている、有り難いがそれでは人として生まれた意味がない。むしろ、これを受けるのは人間として最低だ、と、宣言をしているように思える。
当時、この憲法第25条を理解している国民は少数だ、いくら戦後日本国憲法になったからと云って、戦前に生まれたものが直ぐそれを理解するのは無理だ。
だから、生活に困ったからと云って、生活保護を申請するものはいなかった。新聞記事でそれを取り上げられたこともない。私が小学生の頃は乞食もいた、乞食の人もそれをあまり恥ずかしいと思わず、また一般家庭も乞食が来れば追い払うこともなく、分に応じて施しをしていた。




