第4話「佐藤くんは呼び出される」
「失礼します」
一声掛けて扉を開くと消毒液の匂いが鼻を抜ける。
六限を終えた僕は日吉さんの伝令に素直に従い、保健室を訪れていた。
「やあ、いらっしゃい」
ゆったりとソファに腰掛けた女性が手に持った本から目線を上げて答える。
保健室の志村先生。
白衣の下にはこれまた白い丈長のニットのセーターをワンピースのように着こなし、裾から伸びる脚も真っ白のタイツに包まれている。
履いているスリッパも白、眼鏡や髪飾りに至るまで白一色という少々個性的な出で立ちが有名な名物教師の一人だ。
ただ髪だけは黒だったが、その不自然な色から元は脱色していたであろうことは想像に難くない。
「ま、座りたまえよ。何か飲むかな?」
では、水をください。
僕はいつものように自然に口元を隠しながら強く頭に返事を思い浮かべる。
先生と見つめ合うこと数秒。
「…その年頃で遠慮なんてするもんじゃないよ。コーヒーでいいね?」
質問の形をした半ば強制的な提案を口に出し、僕の分のコーヒーを用意し始める。
僕は促されたままに来客用のソファに腰を掛けた。
やはり大人は簡単にはボロを出してくれない――というよりもこれは。
僅かに違和感を感じる。まだ断定はできないが、しかし。
コトン、と僕の前に大きめのマグカップが置かれた。
テーブルを挟んで向かい側に志村先生が腰掛ける。
先ほどの僕の注文は遠慮から出た言葉なんかでは断じてない。
僕は水以外の飲み物は受け付けないんだ。
こんな黒い豆の煎り汁をありがたがって飲む人間の気がしれない。
「ありがとうございます」
僕は満面の笑みで礼を口にした上で、コーヒーに手を伸ばさず志村先生の顔色を伺う。
内心で丁重に飲み物への不満を述べた上で、態度でのみ感謝を示す。
この僕の高度な逆処世術に対して志村先生は、
「コーヒーはあまりお好きではなかったかな? ま、飲み物の好みは人それぞれだしね」
と、こともなげに返してみせた。
まるで僕が飲み物に手をつけないことから、純粋に苦いものが苦手だと察したような自然な反応に、毒気を抜かれる。
大人相手に駆け引きを挑むだけ無駄なのは既に何度か試してわかっていることだから、今更なのだけれど。
だから僕は同級生をからかって遊ぶついでに情報を引き出すように動いているのだ。
僕はマグカップに注がれた煎り汁をぐいっと大口で飲んだ。
先ほどは「コーヒーは嫌いだ」という意図を送ってみせたが、実のところコーヒーは好きだ。
これなら少しくらいは動揺が顔に出るのではないかと期待し志村先生の顔色を伺ってみるも、
「何か悩んでることがあるんじゃないのかい?」
と、投げかけられた言葉にはまるで感情が感じられなかった。
あらかじめ用意しておいた文言をそのまま口に出しただけ、といった様子。
親身になろうとしている言葉とは裏腹に、その口調はいかにも事務的だった。
「別にありませんよ――少なくとも先生に相談しなくちゃいけないようなことは」
アテが外れた僕は言葉の裏側を考える。
僕がイジメられているとでもタレコミがあったのだろうか?
「そうなのかい? いかにも彼女ができなくて滾る若さを吐き出す先に困っているように見えるのだけれど」
大きなお世話だ。
というか、年頃で彼女が居ない高校生なんて皆そんなもんだろう。
「私ならその悩み、解決してあげられるかもしれないよ?」
眼鏡を片手で外しながらぐい、と身を乗り出す志村先生。
その豊満な胸元に目線が釘付けになったりなんてしてない。してないったら。
胸元に揺れる青い石がはめ込まれたペンダントに視線を移してなんとか誤魔化せる――わけもなく。
「ふふ、そんなに女性の胸元を見つめるものではないよ」
余裕の笑みで窘められて本日は2戦2敗。世界には目の毒が溢れている。
「き、綺麗な石だなと思って見ていただけです」
「そうかい? 私の趣味じゃないんだが、褒められるなら悪い気はしないね」
少しどもりながらも表面上は誤魔化す姿勢を貫く。
僕のおべっかを受けて志村先生が手に取って見せたそのペンダントは、確かに良く見てみると無骨で、あまり飾った印象を受けない代物だった。
そもそも全身白一色の名物教師が青い石を身につけているのも、よく考えてみるとおかしな話のように思える。
「プレゼントとか…ですか?」
失礼な仮説をおくびにも出さず、無難な質問を投げかける。
「いいや、これはそんな上等なものじゃないよ」
ニヤリ、と皮肉な笑いを浮かべると、志村先生はもったいぶってこう言った。
「これは、私たち大人が心を読んだり読まれたりしないようにするためのものさ」
超スローペース更新。
今後も書きたいときだけ書きますのでよろしくお願いします。