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第3話「佐藤くんは睨まれる」

 次に思い当たったのは昼休みのことだ。


 大きな用事を抱えていた僕は、普段いる教室からは校舎の反対側、更に念を入れて階上で用件を済ませて教室に戻るところだった。

 男子たるもの、常日頃より気を抜くべきではないし、周囲への情報開示は慎重に行うべきだというのが僕の持論だ。

 どんなところから尾を掴まれ、それが地獄の入り口になるとも限らないのだから。


 階段を下りると、目の前の生物学準備室から足の生えたダンボール箱――もとい、二段重ねのダンボールを抱えた生徒が歩み出て来た。

 足元が見えないのか、傾いで前方を確認しようとするその横顔は、はたして森咲さんであった。


 森咲さんは決して美人という部類の生徒ではないが、持ち前の愛嬌でクラスメイトを惹きつける、所謂人気者だ。

 僕のようなマイノリティにも分け隔てなく接してくれ、まるで表裏を感じさせない。

 ただでさえ心の声が駄々漏れでコミュニケーションに難儀する僕にとって、清涼剤のような存在だ。

 

 分け隔てなく接する彼女と、分け隔てのできない僕。

 限りなく近しいようで対極に位置する存在同士の邂逅であった。


 閑話休題。とにかくその彼女がふらふらと大荷物を抱えて歩いているのだ。手を差し伸べない理由もないだろう。

 いよいよ声をかけようと近づくと、目が合った森咲さんの方から声をかけてくる。


「あれ、佐藤くんじゃん! 珍しいね、こんなとこでどうしたの?」

「ちょっと光圀公のご用命でね」


 我ながら糞みたいな受け答えだ。大義だけに。

 一瞬きょとんとした顔を浮かべた森咲さんだったが、その数秒後には言葉の裏が完全に伝わったようで、少し苦い顔を浮かべられてしまった。

 婉曲表現を使ったところで心の声が読まれてしまえば意味はないのだけど、こういうのは隠そうとした配慮そのものに意味がある、と思いたい。


「そ、そうなんだ。ところで、これ一つ持ってもらったりできるかな?」


 よいしょ、と箱を抱えなおしながらさらりと言ってくれる。

 こういうときに上手く人を頼るというのも一つの才能だよなと感心しつつも、僕だって女子に頼られるのは満更でもない。


「ああ、いいよ」


 二つ返事で請け負う。バランスを崩さずに受け取るため、箱を抱える彼女の両腕と箱の間の空間に腕を通し、箱の底面に手を沿わせる。

 森咲さんは何かスポーツをやっているのだったか、引き締まった前腕は僕よりも腕力に優れているのではと感じたが思うに留める。

 急に受け取って均衡を乱すのは危険だ。

 受け取るタイミングを慎重に計り静止する僕を訝しげに見る森咲さん。

 

 別に女子に密着できる状況を堪能したいというわけではないのだけれど。

 断じて女子との肉体的接触面積を広く取りたいとか、あわよくば上腕に何かが当たったりしないかなんて考えたりはしていないのだけれど。

 もちろんうっかりバランスを崩して事故に偽装して思春期男子の願望を叶えたいなんて考えてもみないのだけれど。


 僕は誰に言い訳しているのだろうか。

 ほんの数刻の間であったが、森咲さんが僕を見る目が細められていることに気付く。

 心なしか冷ややかな視線に焦ったわけではないけれど、なるほど以って。

 心の声が聞かれている以上、ハプニングに偽装して青春を謳歌することも許されないわけだ。

 いよいよこの謎の現象と真剣に向き合う必要があるのかもしれない。


 溜息を飲み込んで渋々ダンボール箱に意識を向ける。

 こんな不可思議な現象に巻き込まれていなければ警戒されることもなく事を成せたかもしれないのに。


「よっ…と!?」


 油断していたと言わざるを得ない。

 グッと力を込めて持ち上げようとしていたその箱は想像より数段軽かったのだ。

 

 勢い余った両腕はバンザイに近い形で跳ね上がり、ダンボール箱をぶっ飛ばした。

 上段のダンボールは天井へ舞い、もう一箱は森咲さんの顎を見事に打ち抜いた。

 慌てて森咲さんの頭を庇おうと飛び込んだその瞬間、更に運の悪いことに彼女の右腕は僕の下っ腹に突き刺さる。

 何とか彼女の頭の着地点に左腕をもぐりこませることに成功したが、踏ん張りを失った僕は完全に意図せずして、女子に覆いかぶさる事故を引き寄せてしまったのであった。


 散乱する紙、転がる箱、女子に抱きつくような形で倒れこむ男。

 幸い目撃者はいなかったが、見られていたら学校社会的に終焉を迎えていただろう。


 僕のような思考が読まれてしまう人間にはこういったイベントは無縁だと思っていたけれど、まさか自分の想定を自分が上回る形で実現するとは。

 まさに事実は小説よりも奇なり、といったところか。もしくは棚から牡丹餅。


「…そろそろどいてくれると嬉しいんだけど?」


 僕の下から森咲さんが呻くように声を上げる。

 体重はかからないようにしていたけれど、それはどかなくていいという理由にはなりませんね。


「あ、ごめん」


 謝りつつ体を起こす。

 解放された森咲さんは顎をさすりながら起き上がる。箱に激突された顎は少し赤みを帯び、心なしか涙ぐんでいるようにも見えた。


「もう少し何か言うことがあるんじゃないかな?」


 というか、明らかに怒っている。

 何か言うこと、か。僕は思考を巡らせる。


 軽くとは言え謝罪は済ませた。その上で僕の追加の一言を要求している。

 ならば更に謝罪を重ねるのはナンセンスだろう。他の切り口を求められていることは想像に難くない。

 であれば、僕の思考から伝わったであろう部分の補足――あるいは弁明を、口に出すことが必要なのだろう。


 一つの結論に至った僕は、思ったままを声に出した。


「意外と柔らかかったよ」


「死ね!!」


 音速の張り手が僕をなぎ倒す。業界人にとってはご褒美とも称される女子高生のビンタであったが――後味は鉄そのものだった。

 つかつかと歩き去る森咲さん。残されて呆然とする僕、そして箱、更に紙。


 僕には彼女の心の声は聞こえないけれど、この紙束の目的地くらいは考えなくてもわかる。

 律儀にも一人寂しくプリントを拾い集める僕の背中には、きっと哀愁が宿っていただろう。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


「森咲さんって確かスポーツやってたよね? だから筋肉質だろうと思って全く期待はしてなかったんだけど、やっぱり触ってみると女子なんだなって」

「ちょっと待て、森咲の話も気になるがそれでもねえ。というかお前一日でいくつ『心当たり』があるんだ?」


 そんなことを言われても、僕にとっては当たり障りのない日常を送っているだけのつもりなのだ。

 そっちこそいい加減もったいぶらずにはっきりとした質問をしてほしいものだよ。


 僕が視線で、或いは心の中で問いかけると、須堂くんは眉をひそめ、


「全く心当たりは無いってんだな?」


 ドスがきいた、としか表しようがない低い声で念を押してくる。

 あくまで向こうから詳細を話す気はないらしい。これだけ話がかみ合わないのだから、男らしく堂々と情報開示すべきだと思うのだけれど。


「無いさ。少なくとも君を怒らせたりするようなことにはね」

「そうかよ。…ったく、これだからヨソモノは」


 吐き捨てるように呟いて須堂くんは教室の外へ出て行ってしまった。

 彼に恨まれたり憎まれたりするようなことをした覚えはないのだけれど、しかし、「ヨソモノ」か。

 確かに僕は今年度から転入してきたいわゆるヨソモノだ。


 外部者に対して露骨な嫌悪を示していることから察するに、以前に別の「ヨソモノ」が彼にとって不利益なことをしでかした…そしてその怒りを僕にぶつけている、といったところだろうか。

 もしそうなら、そんなの、ただの八つ当たりじゃないか。


 彼と積極的に仲直りしたいとも思わないけれど、そんな考えで目をつけられているとするなら、こちらから願い下げだ。

 僕はただ平和に過ごしたいだけなのだから。


 不可思議な尋問が終わり、気付いてみれば間も無く六限の始まる時間だった。

 なんだか疲れたしもう一眠りしよう。いっそ授業の始まる前から寝てしまってもいいだろう。

 腕を枕にして頭を伏せたとほぼ同時、


「佐藤くん、起きてる?」


 後方からの声に顔を上げる。僕が居眠りしているときは必ず声をかけるルールでもあるのだろうか。

 僅かに苛立ちを感じながら声の方向に目を向ける。

 少し申し訳なさそうに声をかけてきていたのは日吉さんだった。


「寝てたところごめんね、ちょっと伝言頼まれたんだけど」

「伝言?」

「うん、保健の志村先生が六限終わったら保健室に来てって」

「僕に?」

「じゃなきゃわざわざ言わないよー」


 我ながら間抜けなオウム返しをしたものだ。

 保健室に呼び出されるようなことは、それこそ本当に心当たりがないのだけれど。


「そう、わかった、ありがとう」


 おおよそ教師からの呼び出しなんて用件の想像がつかないことの方が多いのだ。つまり、考えるだけ無駄だろう。

 僕は物事の因果関係は切り分けられるつもりだし、僕の睡眠を妨げた原因が日吉さんにないこともわかっている、ゆえに八つ当たりなんてしない。


 いけないな、思考が須堂くんに対して少しムキになっているような気がする。

 こういうときは一旦寝てリセットするに限る。

 僕は再三頭を伏せ、六限が終わった世界への時間旅行を開始した。

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