ギザキの戦い 〜21〜
光と闇の狭間で戦うギザキの物語
21.開戦
「ごめんなさい」
昼近くの食堂で遅めの朝食兼昼食を済ませて部屋に戻り、戦いの準備を始めようかとしていたギザキにノィエは済まなさそうに謝った。
「……何の事だ?」
咄嗟に脳裏に昨夜の事が過ぎったが、それで謝るのは……相手では在り得ない。
(? まさか?)
一瞬に……『責任』やら『道徳』やら『結縁』やら慣習に属する言葉が長き戦場暮らしで荒んだ感覚のままに心を過ぎる。だが、それらで相手が謝ると言う事態は……やはり、想像できない。今はノィエの次の言葉を身を固まらせて待つだけしかできなかった。
「……あのね。昨日、洗ってた楯なんだけど……」
(楯?)
昨日の事を思い出す。確かにノィエが楯を洗っていた。
(魔物との戦いの後だな。洗って……姫への書簡を届けて……)
「ごめんなさい。昨日から霊泉の水に漬けてたら……脱色しちゃって。つまり……掛けられてた法術も消えたかも知れないの。灰銀っぽい色は地金だと思うんだけど、楯の真中あたりが別の色……赤と青と黄と緑に変色しているの。ひょっとしたら四力の精霊の色を象っているのかなと思うんだけど……そしたらね……」
変色した楯を口早く説明するノィエを汗を垂らして凝視するギザキ。説明は記憶には残らず、ただ口から出ようとしている感情を形にできずにいた。
「……でね。もしかしたら、あの楯って四力の精霊の……あ!……怒らないで。本当にごめんなさい!」
ノィエにギザキが怒った様に見えたのは……想像していた事とのあまりの落差を言葉にできずに呑み込んだ所為だろう。
「別に構わんさ。ふぅ……ぅぐっ!」
何故か安堵の息を吐き……途中で呑み込んだのは、背後に立つ老執事の気配の故。
「……何を慌てていられるので?」
相も変わらず無気配で近寄る執事に慌てたのは……
(……ノィエの後見人だったよな。この爺さん。という事は……)
『その時』となった事を思い浮かべ……少し気圧される。
「何か?」
老執事はギザキのこれまでと違う雰囲気を訝った。
「あ……いや。ノィエ。その……楯がどうなったのか見せてくれ」
何故か慌ててその場を立ち去るギザキの背中を凝視する老執事。
(ふぅむ。邪気が……消えましたね)
「公国王への返信をどの様にするか御伺い致したかったのですが……」
ふっと笑い、老執事は手にした書簡箱の埃を払った。
「まぁ。良いことです。如何なる結果になろうとも、闇の……心の闇が消えると言うのは……」
老執事は穏やかに笑うと書簡箱を磨きながら部屋を出た。
「書簡は私が御作り致しましょうぞ。なぁに、返信の文なぞ古よりの儀礼で決まっていますからな」
昼が過ぎ、鐘楼の御簾奥から美しき歌声が格調と法力を携えて響き始めた。
歌が響くと共に、城門の遥か先、石橋に続く隧道の呪紋様が虹色に耀き出す。
「おお……」
「凄いでしょ? 空間結合唱歌って言うんだって。結界用とか攻撃用とかはもう少し距離が近くないとできないらしいけど……心が洗われるような歌でしょう?」
何故か自慢げなノィエを余所にギザキは相手を見定めようと隧道を見ている。が、唱歌の響きと隧道の呪紋の輝きはギザキを感動させずにはいられなかった。
「確かに……凄い」
ギザキが感嘆した言葉を口に出した時に、隧道の中から兵士……兵隊が姿を顕した。
先頭にいるのは……格式高く荘厳な装いの僧侶二人。僧侶達は橋の中ほどまで進み寄ると声を上げた。
「開門! 開門っ! これより古より伝わる正統儀礼、双方の儀礼、合議で定められた手筈に従い、ノ・トワ城の姫君と聖光院ワィト公国王の眷族に関わる決闘を執り行う。ノ・トワ城の剣士よ。開門し、この場にい出ませい!」
城門の上、撃槍口から覗いていたギザキ達は相手の様子を伺うのを止め、顔を見合わせた。
「今度のは本物のようね」
「ああ。行くか」
「決闘の相手は十数人と書簡に在りましたぞ。御気をつけて」
ギザキは心配無用と言わんばかりに指を、関節を鳴らす。
「何人いようと、半日程度の戦いで疲れ果てる事はない。最初から全力で行くさ」
ギザキは軽く胸の前で拳を合せた。鈍く重い音が軽やかに城門楼に響く。
戦い……城と姫と聖宝を賭けた戦いが始まる。ギザキとノィエの心の闇を祓い去った後で。新たな扉を開ける為の戦いが厳かに始められた。
隧道から顕れた兵隊達は手に手に紋様が違う旗を掲げた槍を持ち二列に壮麗に並ぶ。互いに向き直り、石突きで地の石畳を打ち、空で穂刃先を合せた。重厚な剣を打ち在った響きが眼下の森にまで響き渡った時、戦いの相手が顕れた。
白銀の総鎧。重兜を小脇に抱えた長身痩躯の剣士。痩躯というのは語弊があるかもしれない。頑強にして強靭な肢体。だが、長身過ぎるが故に痩躯に見えているのである。
そして、その者の武器は……持っていない。
「変ですな?」
城門前、石橋の端で待つギザキ達。相手の装備に異を感じたのは老執事だけでは無かった。だが、その疑問は直ぐに解けた。
「後ろに従者がいるわ。え……何? あの刀は!」
ノィエが驚いたのはその長さ。二人の従者が掲げ持つ美しき2本の刀。直刀なのは両刃であるが故。だが、その長さは……柄は遥かに頭上を越えて上に在り、鞘の石突きは足元の石畳を叩き付けんばかり。
「あんなの振り得るの?」
ノィエの疑問は尤もだ。人の丈を超える長さの剣を扱える人間なぞ有り得るとは思えない。だが……
「あの程度ならばざらにいる。戦場にはな……」
ギザキが国を失い、彷徨い歩いた戦場にいる血に飢えた傭兵達、剣士達。それらを迎え撃つ剣士等の中にもあのような長さの得物を振り回す者はいた。
「……ま、問題は腕だよ」
心配するノィエ達を置いてギザキは石橋を渡り始めた。
読んで下さりありがとうございます。
この作はアコライト・ソフィアの外伝という位置づけになります。
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