ギザキの戦い 〜8〜
光と闇の狭間で戦うギザキの物語
8.記憶への夜
「決闘は明後日より。太陽が天頂から下り始めてから、その端を地に着けるまで。つまりは半日ですな。それまでは御緩りと……」
既に夕刻。
日は山の端に落ち、残照が赤く部屋を染めていた。
老執事の言葉が幾度となく頭を巡る。
(場はあの橋の上。相手をこの城に渡らせねば勝ち。いや、負けてはいないという事。決闘は7日間。つまりは婚儀の前日までこの城を護り通したならば姫はそのまま輿入れ為さると……)
つまり、一度も合う事はない。
(……残念だな)
ギザキは自分の心に怒りを覚えた。
(残念? 何が「残念」だ? 所詮は他人の空似だ。似たような境遇だと言えど向うは俺の事なぞ何一つ知らぬ。知って貰えたら満足か? 他人に! 俺は俺だ。しがない傭兵の身だ! ここの姫などとは何一つとして縁は無い。無縁だ!)
憤り、無理矢理に自分の心を押え込む。だが……
心の傷は未練へと姿を変え、再び心を埋めていく。
(……それにしても似ている)
昨夜、垣間見た姫の横顔。その姿が忘れられない。
「忘れろ! 未練だぞ!」
声を上げ、拳で石壁を殴った時に扉の外で小さな悲鳴が聞えた。
「ん?」
ゆっくりと扉が開いてノィエが怖々と覗き込んできた。
「ちょっと……いい?」
「ああ。すまなかったな」
ギザキは脅かしてしまった事を詫びた。
「え? あ。うぅん。驚いたのは私の勝手だから……ん? 変な応えだね」
部屋にゆっくりと入る少女の服装は何故か半丈。剥き出しの肘と膝が夕日に映えて眩い。
「ああ。変な応えだな」
ギザキの応えにくすりと笑ってノィエはゆっくりと部屋に入って来た。
「で、用事は何だ?」
ギザキの感情を確認するように上目遣いで覗き込み、小さく笑ってから少女は後手に隠し持っていた深杯を差出した。杯には深い緑色の液体が縁近くまで入っている。
「コレ。いろんな薬草を煮出したの。効用はね……え〜と、疲れ難くなって、もし傷付いても……」
差し出されるままに説明を聞きながら一口飲む。途端に口の中に広がるのは強烈な苦味。
「ぐぉっ! んんんんぐぅ……はぁ」
無理矢理に呑み込むと凄まじき苦味が汗を伴い全身に広がっていく。
「……そう! その汗に触れると血は風を吸って固まるの。どう? いい止血薬でしょ?」
(……斬られなきゃ、どうでもいい事なんだがな)
幾多の戦場で戦い、致命となる傷は受けていない。受けていないからこそ生き延びてしまった事を少女は知らない。
だが、軽やかに笑う少女に悪言を口に出しても何もならない。それに恩義には礼で応えるべきだろう。
「ありがとう。いい味だよ」
「きゃあっ! やっぱり? ギムシマタギの渋根が味の決め手なの! 根気よく搾らないと薬効がでないの。どう? 美味しいでしょ?」
(ぐぇ……聞くだけで苦味が増しそうだな)
ギザキは取り敢えず杯を脇机において少女に向き直った。
「呑まないの?」
「ん? ああ。後で貰うよ」
ふぅんと軽く返してノィエは壁際の椅子に座る。その手には緑色の染み。薬草を摘んだ時にでも付いたのだろうか? よく見れば肘と膝にも小さな傷が幾つもついている。
(そう言えば、昼間は庭のあちこちを走り回ってたな。コレのためか……一生懸命なんだな。……無垢だな)
少女の危ういまでの純真さに軽く目眩を憶える。それは心の闇からの……
「どしたの?」
「ん? いや、輿入れされる姫様とは逢った事が在るのか?」
ギザキの問いにノィエは笑って応えた。
「変な事、聞くんだね。そりゃ在るわよ。同じ城に住んでたんだもの。でも……そうだね。留学してからはあんまり逢って無いな。帰ってくるなり婚儀でこの騒動だもの……」
「……という事は小さい時だけか?」
老執事の話を繋げるとそういう事になる。
「うん。小さい時は良く遊んでたよ。この庭で……でも、もう居なくなるんだね」
ノィエは窓越しに見る庭とその先にある鐘楼を寂しげな眼で見つめた。
(そうか……何れにしてもこの城にはこの子と執事だけになるんだな)
切なさが少女の横顔からギザキにも伝わってくる。忘れかけていた……忘れ切っていた感情。
「婚儀で帰ってきてからは逢ったのか? 姫様には? お嬢……あ。いや、淑女ならば逢えるのだろう?」
男とは逢えぬのならば同性であれば逢えるのでは? ふと思ったままに言葉を口にした。
「……逢って無いよ。精神集中しないといけないからね」
「精神集中? 何のために?」
ノィエはちょっと不機嫌な顔になりながらも説明した。
「爺から聞いて無いの? 貴方が戦う相手を呼ぶ為よ。歌声で精霊の門を開いて相手を招く為に帰って来てから聖蜜だけ食べて精神を集中しているの。たまに聞える歌声がその証拠よ。魂が洗われるような歌声でしょ?」
「歌で精霊の門を開く?」
(精霊魔法? 吟遊詩人の精霊魔法と同じものか?)
唱歌は純粋なる法術。効力は小さいが闇と魔には絶大な効果をもたらすという。常人には習得でき得ぬ純粋な光の法術に最も近い物だともいう。
(戦いの相手は橋の向うから来る。つまり……)
「……あの橋の向うの隧道の事か?」
橋の向うこの城に来る時に見た隧道の入口の紋様。あれは精霊の力を借りて空間を繋げる呪紋様だとギザキは始めて気付いた。
「そうよ。外にもあちこちに在るんでしょ? 旅人の門とか言って。珍しいの?」
きょとんと尋ねるノィエ。
「『旅人の門』? ああ、昔は結構、在ったらしいが、戦乱と共に壊され続けて……残っている門があるとは聞いて無い。再建するにはかなりの高位の術者が必要らしいんだが……今は繋げる法術も失われたと聞いている」
「壊す? どうして? 便利じゃない。どうして役に立つ物を壊すの?」
「便利さが問題なんだ。考えてみろ。突然、敵の軍隊が自分の領地に大挙して出現したら……四六時中、戦に備えるわけにもいかない。備えていても不意を突かれたら戦は負ける。だから、自らの身を護る為に壊されたんだ」
不意に思い出す。昔の記憶を……
「……そうか。そういえば紋様が似ているな」
ギザキの思い出に在る破壊された石の門。それは……
「へぇ。見た事、在るんだ。何処に在ったの?」
「……城の庭だ」
懐かしい思い出と共に苦き感傷が甦る。
「御城に居たの? どんな? 何処に在る御城?」
目を耀かせて尋ねるノィエ。ギザキにはその純真さが眩し過ぎた。
「昔の話だ。もういいだろ? 休ませてくれ」
話の先を断る為に不器用に言放つ。
急に不機嫌になったギザキに驚き、ノィエは怯えながら謝った。
「ごめんなさい……もう行くね」
ゆっくりと部屋を出、扉を閉めようとした少女にギザキは謝罪した。
「あ……いや、悪い。すまなかった」
少女は笑顔で振り向き無邪気に応えた。
「うぅん。明後日の戦いで昂ぶっているんでしょ? 爺が言ってた。あまり邪魔しちゃいけないって。明日は庭でこの城の儀礼を教わるんでしょ? その時の準備しなきゃ。じゃね」
屈託の無い笑顔がギザキには眩しすぎた。
その夜。夜半になっても姫は姿を現さず、ギザキは心の傷を奥の闇へと抱え込んだ。
独り、静かに……傷痕を抱きしめて。
読んで下さりありがとうございます。
この作はアコライト・ソフィアの外伝という位置づけになります。
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