72 吸血カラスの気持ち
リジーは、ゆっくりとトレーナーとジーンズを脱いだ。擦った部分の布地がほつれている。
下着姿になって、ベッドの上で身体を眺めてみた。
あちこち擦れた所は赤くなってはいたが、服で覆われていた身体の方に傷は無かった。
頬と掌、手首は擦り傷から血が滲んでいる。
傷口は水で流してから消毒し、苦労しながらジョンから受け取った軟膏を傷口に塗っていった。
(う~、滲みる~。痛い~。ジョンに手当してもらわないでよかった。この醜態を見せなくて済んだ)
リジーはひとりで顔をしかめながら、痛みを逃がすように息を吐いた。
リジーが薬を塗り終わり、階下に降りた時にはリビングは静まり返っていた。
サムがひとり、ソファに寝転がっていた。
サンタクロース家のクリスマスパーティの準備は無事にすべて終了したと告げられた。
「で、みなさんは?」
「一休みするって。部屋に行った」
サムはソファから起き上がると、眉を寄せながらリジーに近付いて来た。
リジーの袖口からは、掌と手首に貼ってある絆創膏が見えている。
「リジー、ごめん。ひとりで帰して。また災難に遭って怪我したんだって?」
「ジョンから聞いたの? またって、これは災難じゃないよ。怪我って程でもないし。……!」
突然伸びて来たサムの手に前髪を持ち上げられ、じっくり見られて緊張する。
「見事に木に頬擦りしちゃって、まあ。これじゃあ、クロウも気が気じゃないよなあ。女の子なんだからさあ、もう少し気を付けなよ。特に顔は」
「わかってるよ!」
リジーは口を尖らせ横を向いた。
「えっと、クロウは、ばあちゃんに散歩に連れて行かれた。30分くらいで戻ると思う」
「そうなんだ」
(ダイアナさんて、すごい積極的……)
「パーティは5時からだよ。クロウからの伝言。着替えたら、パーティが始まる前に先に自分の部屋に寄って声を掛けて欲しいって言ってた」
「わかった」
「まだパーティまでは時間があるから、リジーも少し部屋で休んでたら?」
「うん。そうさせてもらおうかな」
(本当は私も散歩したかったけど、今のこのガタガタの身体じゃあ無理だし、リビングでぐったりしてる訳にもいかないもんね)
「手を貸す? なんだかヨロヨロしてるけど」
「大丈夫だよ。ひとりで戻れるから」
◇
リジーの後ろ姿を見送ったサムは、リビングのソファに身体を投げ出して座った。
(たかが10分くらいの道のりで怪我するって、どんだけトラブル体質なんだ。大したことなくてよかったけど、リジーに何か起こると俺にもとばっちりが来るからなあ。あ~でも、退屈しない。愉快なやつら……)
サムは自分が自然と口角を上げ、笑っているのだということに気が付いた。
◇◇◇
外が薄暗くなってくると、招待客がサンタクロースの家に集まり始めた。
階下のざわめきが2階まで上がって来る。初めての他所でのパーティにリジーは緊張してきた。
(ジョンが一緒なんだから、何も心配はいらないよね)
リジーは、持参したワンピースに着替えた。レモンイエローのシンプルなデザインのものだ。
首回りが広く開いていて、襟に白い長めのふわふわのファが付いている。
ファのおかげでボリュームが出て華やかに見える。自分にしてはがんばったつもりだ。
髪を結い上げると、少しは大人っぽくなった気分になる。
(大人っぽくとか思ってる時点で……違うか。でも、長袖のワンピースにして良かったあ)
袖は透けるくらい薄いシフォンでも、腕にある赤みはどうにか隠れていた。
掌と両手首の絆創膏は隠しようがないので、なるべく身体に寄せておくことにする。
幸い見える首周辺に擦り傷は無く、身体の痛みもかなり和らいだ。
頬に擦り傷があるので、顔の化粧は口紅を薄くつけるだけにする。
鏡を見て、つくづく童顔だと思った。
クローゼットの扉の鏡で全身を映し、最終チェックを念入りにする。
リジーは、自分の姿に及第点をつけた。
(もう15分前だし、準備終わったから、ジョンの部屋へ行けばいいんだよね)
ジョンの部屋をノックすると、すぐに返答があってドアが開いた。
「ジョン、ハッピーホリディ! メリークリスマス!」
リジーは元気よく声を上げた。
「リジー。メリークリスマス」
ジョンからいつもの穏やかな笑みが向けられホッとする。
「私、どうかな……おかしくない?」
リジーはドキドキしながらジョンの評価を待った。
ジョンはリジーの瞳から視線をずらさなかった。
「とても素敵だよ。そのワンピースもすごく似合ってる」
一瞬で全身見たのかと疑問が起きるくらいすぐに答えられた。
「ありがとう。ジョンも素敵だよ」
「ありがとう」
ジョンは白のシャツに黒い光沢のあるシルクのベスト、黒にラメの入ったタイをしていた。
定番の装いだが、黒髪のジョンのミステリアスな雰囲気にやたらと似合っているのでリジーは見惚れた。
だんだんと頬が熱くなる。
「身体は大丈夫? 痛みは?」
「大丈夫。さっきの薬を塗って休んでいたから、だいぶ痛みはひいたよ」
「それなら、良かった。そうだ、僕の部屋のインテリアを見て行く?」
「見る! 嬉しい!」
リジーはジョンの部屋の中を見た途端、すべてを忘れた。
大人っぽく優雅に振る舞おうとしていたことも、身体の鈍い痛みも、ジョンの存在も。
ジョンの部屋の家具は濃い茶色の籐でまとめられていた。
壁の下半分が同じ色の板張りで壁と天井は薄い落ち着いた薄いグリーンの塗り壁だった。
ベッドカバーとカーテンは薄い朱色で、モミの木の刺繍のしてあるクッションがベッドに置いてある。
壁には小さな柊のリースが飾ってあった。
「ジョンのお部屋のインテリアも素敵……」
リジーはジョンが蕩けるような笑みを浮かべ、自分を眺めている事にも気が付かず、部屋のあちこちに見入っては感嘆の声をあげていた。
急に後ろから肩に触れられて我に返った。
「リジー、そろそろ時間……」
「あ、ご、ごめん。子供みたいだよね。素敵なお部屋に興奮しちゃって」
リジーが振り向こうとすると、
「違う……僕のほうが……」
背後からジョンに抱きしめられて驚いた。
腹部に腕が回され緊張する。
さらに、首筋に温かな息がかかって体が火照り、さわっとする。
ジョンが唇を寄せて、微かに触れたのがわかった。
身体がピクッと反応してしまって、恥ずかしくなった。
「吸血鬼の気持ちがわかるな」
「えっ、咬むの?」
リジーは固まった。
「ふっ、まさか。咬まないよ」
ジョンが軽く笑った。
その返答に安心する間もなく、身体が反転させられジョンの顔が間近に迫った。
ジョンの瞳の奥に何か妖しい光を見た気がした。
「でも油断しちゃだめだよ」
「? ジョ……」
唇が食まれているような感覚の優しいキスに、リジーは酔い始め気が遠くなる。
「おいおい、見せつけてくれるね~。例えるなら令嬢と執事の禁断の恋って感じ? いやいや、吸血カラスが子リスを襲っているようにしか見えないし、っていうか、ここでイチャイチャやめてくれ。アイリーンを連れてきてないし、ずるいよ」
(サムの声!?)
サム、いいところに来てくれたとリジーは微かに残る意識の中でホッとした。
「サム、覗くなよ」
「ドアが開いてたんだって。覗きの趣味はないよ~。リジーが昇天してないか?」
「リジー? ごめん……」
(ジョンが慌ててる。自分で襲っておいて慌てるなんて、おかしい)
リジーは頭の隅でそんなことを考えながら、ついにジョンの腕の中で脱力した。
「まだ夢見る生娘なんだからさあ、手加減してやれよ」
「そういう言い方やめろ」
「はいはい。でも、慣れてないと思うと安心するだろう?」
「だから、やめろ」
「お邪魔しました~。下でそろそろパーティ始めるから、早く降りて来いよ」
サムはそう言って、部屋から出て行った。
まだ身体に力の入らないリジーは、ジョンに支えられソファに座った。
「大丈夫?」
「うん」
ジョンに心配そうに顔をのぞきこまれ、両手をとられ、顔が火照る。
(恥ずかしくて顔を上げられない)
「あ、の、嫌じゃないからね。……ジョンに触れられるの」
(こんなこと言うのも免疫が無いから恥ずかしすぎる~)
「こんなに絆創膏貼って……。痛みがあるんだろう? それなのに、急にキスしてごめん。しかも加減もできなくて……」
優しく抱き寄せられた。
「僕がただきみを眺めているだけの君子じゃないってわかった? 今後は用心して。嫌だったら本気で拒むか全力で突き飛ばして。中途半端に嫌がっても……逆効果だから」
ジョンの甘すぎる警告に、リジーは頭の中がパンクしそうだった。
(そ、それって、手を出します宣言? 私の頭と心臓がもたなくなるってことだよね。そんなこと言われても、きっと拒めないし、全力でジョンを突き飛ばすなんて無理だよ~。あと、逆効果って、なに?)
「練習する?」
頭の奥にしびれるように響く低い声に、全力で首を横に振る。
(何の練習? って聞くのが怖い)
「今は練習しなくていいです!」
リジーは口の中がカラカラだった。




