71 子リスも木から落ちる?
◇◇◇
ジョンはイルミネーション用の電球をすべて掛け終わると、梯子を下りた。
パタパタと軽い足音がしたので、その方へ目を向けると、幼稚園ほどの小さい子供が真っすぐジョンを見ている。
「おばあちゃん! はしごがある!!」
子供は振り向くと、後ろから息をきらしてやって来た年配の女性にそう主張した。
「ああ、良かった。すみません。あの、助けていただけませんか?」
女性は、ジョンの近くまで来ると、あがった息を静めながら言った。
「大丈夫ですか? どうかなさったんですか?」
「わ、わたしじゃなくて……」
「あのね、おねえちゃんが木から降りられなくなった!」
子供の方がしっかりと説明する。
「木から? それは大変だね。わかった。お姉ちゃんを助けよう」
ジョンは梯子ではなく、脇に置いていた背の高い脚立の方を手にした。
「うん! こっちだよ」
「あなたはゆっくりいらしてください」
ジョンは女性に声をかけ、駆け出す子供の後を追う。
その時のジョンは、子供の言う<おねえちゃん>がリジーだとは夢にも思わない。
◇◇◇
リジーは木にしがみついたままでいた。
(登れたんだから、そのままの経路で降りればいいのに、足が言うことをきかない)
枝を掴んでいる手の力も、小さなうろに掛けている足ももうガクガクで限界だった。
ズズッと身体が滑る。
「痛っ!」
真っ先に頬と掌が擦れて痛んだ。涙が出そうだった。
柔らかい頬も掌も腕も脚も、硬い木の幹の犠牲にして、風船を手にする自分は傍から見たら、きっとただの馬鹿だろう。
(でも、馬鹿でもなんでもあの子に風船を取ってあげるって決めたんだから!)
必死で引っかかりそうな箇所を手と足で探す。
かろうじて足が木の突起にかかり、身体はそこで止まる。
(ここから落ちて酷い怪我なんてしたら、すごく痛そうだしジョンが心配する。それは避けなくちゃ。頑張れ私!)
リジーは必死に自分を鼓舞した。
◇◇◇
ジョンは脚立を抱えて走った。
前を走る子供が時折振り返り、こちらを心配そうに確認する。
大きく頷いて見せると、子供は笑顔になった。
そして子供は急に道を曲がった。
続いてジョンも同じ角で曲がる。
ジョンの目に飛び込んできたのは……。
(!! リジー!?)
大きな木の下で、赤いコートに少し伸びた栗色の髪を風に揺らす彼女。
灰色の風景の中で、そこだけが鮮やかに見えた。
走り寄る子供。
満面の笑みを浮かべた彼女が、小さな勇者のように仁王立ちしている。
手には、サンタクロースの風船の糸がしっかり握られていた。
自分の唯一無二の存在。魂の一部。
「おねえちゃん!!」
「はい、風船。取れたよ。もう手を離さないようにね」
リジーがぎこちない動きで少し屈んで、子供に風船を渡している。
「わーい! ありがとう!」
子供が小躍りして喜んでいるのを、リジーは目を細めて見ている。
急いで近づいたジョンは、リジーの左の頬に、痛々しい擦り傷があるのがわかった。
「ジョン? どうしてここに?」
「それは僕のセリフだよ。どこか怪我してる?」
「だ、大丈夫だよ」
「答えになってない」
目をそらすリジーの肩に触れると、びくっとする。
(どこかに痛みがあるのか……?)
「歩ける?」
「うん!!」
返事に力が入り過ぎだった。
「まあ、お嬢ちゃん、良かった! 降りられたのね!?」
肩で息をしながら、子供の祖母がようやく追い付いた。
リジーの無事の姿を見ると、安心したようだ。
「ありがとうございました。風船を取ってくださって」
「いいえ、かえってご心配をおかけして、すみませんでした」
「あらまあ、頬を擦りむいている。うちで薬を……」
「ああ、平気です。これくらい。帰ってうちで薬を塗っておきますから。じゃあ、失礼しますね」
(犬に噛まれた時もこんな顔で痛みを隠していた……)
ジョンは今すぐにでも、リジーに触れて怪我が無いか確認したかったが我慢した。
「本当にありがとうございました」
「お姉ちゃん、お兄ちゃん、ありがとう!」
リジーは女性と子供に笑顔を向けると、少しヨタヨタと歩き出す。
ジョンもその後に続いた。
◇
リジーは黙々と足を進めた。ジョンが心配するだろうと思うと、立ち止まれない。
歩くと、服に触る擦れた皮膚が、所々地味に痛かった。
「そういえば、サムは? 一緒に帰って来なかったの?」
いつもの優しい声とは違って、硬い感じなのがわかる。
「うん、ちょっと寄りたいところがあるから先に帰ってって言われたの」
「なんだ、あいつ。知らない町でリジーをひとりにするなんて」
「一本道だったから、迷わなかったよ」
「そういう問題じゃない。現にこんなことになった!」
「……」
(わ~、ジョンの口調が厳しい)
リジーはジョンの顔が見られなかった。
ふたりはサンタクロースの家に戻って来た。
「ただいま戻りました!!」
リジーは元気よくキッチンの方へ向かって声をかけた。
「ありがとうリジー!! 今ちょっと手が離せないの。リビングで休んでて!」
リンダの声だけが返された。好都合だった。
「はい! 少し部屋へ戻ってきます!」
(良かった。服を着替えなきゃ。服にもひっかき傷が付いちゃったんだよね)
リジーは急いで2階への階段を上がり、部屋へ入ろうとするが、案の定ついてきたジョンに素早く手首を掴まれた。
「うっ……」
「リジー? 正直に言って。どこが痛い? どこを怪我してる?」
心配してくれているジョンの真剣な眼差しに、リジーの心拍数が上がる。
「どこも怪我してないよ。ちょっと擦ったくらいだから大丈夫」
ジョンに頭のてっぺんから足元までじっくり観察されて、落ち着かない。
ジョンの手が遠慮がちに頭から肩、腕、手と触れて来る。
「部屋で待ってて。すぐ塗り薬を持ってくる」
硬い魔王の声音に、リジーは観念した。
「はい……」
(逆らってはいけない雰囲気だよね)
リジーは部屋へ入って、そのままソファに脱力したように座った。
(はあ、腕と足が痛い。まさか、服を脱がせて確認しないよね)
自分でおかしなことを考えて照れてしまう。
言葉通り、すぐにジョンは薬をいくつか持ってリジーの部屋へやって来た。
(なんだか、犬に噛まれた時と同じような展開になってる。魔王モードのジョンが怖い)
「コート、脱いでなかったの? まずは手を洗ってきて」
リジーは手袋もはめたままだ。手袋を外すと、擦り傷がばれてしまう。
「どうして、薬セットを持ってるの?」
「なんとなく」
「あの、薬塗るのは自分でするから……」
リジーは立ち上がって、上目づかいで訴える。
ジョンはゆっくり息を吐くと、薬類をテーブルに置いた。
(消毒液や軟膏、コットン、絆創膏も!? 常備してるの~?)
「きみは……。あの子共にとっては大事な風船を取ってくれた勇者かもしれないけど、僕にとっては自分からわざわざ怪我をしに行く無鉄砲なお姫様だよ」
ジョンは厳しい顔つきのままだった。
「ごめんなさい……」
「もっと酷い怪我してたら、どうするつもりだったの? 木登りが得意とは聞いてない」
「ちゃんと、降りられたし、大げさだよ」
「だったら、彼らがあんなに必死に助けを呼びには来ないだろう?」
ジョンから向けられる深い色の瞳に、リジーはドキッとした。
「相変わらずきみは、僕を心配させる天才だ。幸運を分け合うには、まだ足りないみたいだね」
ジョンの端正な顔が急に近づき、反射的に離れようとすると、大きな手に後頭部が固定され唇が塞がれた。
「ん……!」
(足りないって、キス~!?)
自然とジタバタする身体は、ジョンに軽く抱き締められ落ち着いた。
「もっと後先考えて。僕がいつもきみを心配してることを忘れないで」
「うん。ごめんね」
ジョンが頭を撫で、乱れていた髪を優しく整えてくれる。
温かい胸の中で、目が熱を持って潤んでくる。
「僕には手当させてくれないの?」
(だ、だめだから、そんな甘い声で囁いても。擦れて痛い場所が恥ずかしすぎるの!)
リジーは必死にダメダメと頭を振る。
「わかった。またあとで。薬は返さなくていい。持ってて」
ジョンが部屋から出て行くと、リジーは自分で手当てするために手袋を外して、もぞもぞとコートを脱いだ。
◇◇◇
その後、リジーをひとりで帰した下っ端の悪魔が魔王に連行され、事の次第を聞かされ、こってり絞られたのは言うまでもない。




