68 おばあちゃんは肉食系
サムは翌朝早く、ひとりでお気に入りの場所へ向かった。
メインストリートをそれて、東に少し歩いて行くと林が見えて来る。そこを進むとすぐに、石造りの教会の廃墟が出現する。サムはこの古びた教会が好きだった。
静かで荘厳な佇まいは、自分が絶対敵わない存在もいるということをなぜか教えてくれているような気がした。
サムは足を止めた。そこには先客がいた。
ゆっくりゆっくり教会を眺めながら歩いている。
「ばあちゃん!」
サムは駆けだしていた。
◇◇◇
微かに声が聞こえた方を見て、サムの祖母ダイアナは目を凝らした。
こちらに向かって駆けて来る若者が、はじめは誰なのかわからなかった。
近づくにつれ、夫でもなく、息子でもなく、孫であることがわかった。
時代は変わりつつあるのだと改めて感じる。
◇
「サミュエルか……いつ戻ったの?」
ダイアナは首をかしげた。
「昨夜だよ。ばあちゃんもう寝てたし……。元気だった?」
「風邪ひとつひいてない」
「よかった。俺もずっと元気だったよ」
「そのようだね」
ダイアナがサムを頭の上から足の先までじっくり眺める。
「ひとりで朝の散歩?」
「散歩はひとりに限る。自分の好きな速度で歩けるからね」
「だけど、もう年寄りなんだから、急に転んだり倒れたりしたら、誰もいないところじゃ危険だよ。ひとりで散歩するならもっと人がいる場所にしなよ」
「ニコラスと同じことを言うね。それより、何年ぶりに会う?」
「3年……」
「次は私があの世に行く前にしておくれ」
「何言ってんのさ。ばあちゃんはまだ若いし元気だから、これから先も何十回だって会えるよ」
「どうだかね。サム……、ニコラスも昔、都会に憧れていた時があった。父親にやはり反対されて、あの子は思いとどまった。だからサムの気持ちはわかっているはず。そろそろ素直になっておやり。3年も顔を見せに帰らないなんて、みんなずっと心配していたんだよ」
「悪かったよ。でも親父も都会に憧れてたなんて知らなかった」
「サムもだけど、ニコラスは人一倍心根の優しい子だった。この場所で人生を見つけた。サムは都会で何か見つけたの?」
「人生はまだ見つけられないけど、大切な友達は見つけた。連れてきてる」
「そうだったの! 早く会いたいね。男前?」
「まあ、俺と真逆のタイプの男前かな」
「そうか、昨日起きてれば良かったよ。さあ、急いで帰ろう」
ダイアナは嬉々として歩き始めた。
「うん」
(ばあちゃん、長生きできるぜ。絶対……)
急いでいるらしいが進みはのろいダイアナの歩調に合わせ、サムは大股でのんびり歩く。
都会の慌ただしさとかけ離れた時間がここにはあった。街で覚えた孤独もない。
風は強く空気は冷たいけれど、心を静めてくれる。
隣を歩いている祖母は70年生きて来て、今何を思っているのだろう。
自分は50年後こうして孫と歩くとき、何を思うだろうか。
「ねえ、ばあちゃん。今何を考えてる?」
「サミュエルと一緒にこうして歩けて幸せだなって」
「俺も……」
きっと自分も50年後にそう思う。
ふと、明るくなった空を眺める。
いずれ来る定めの日には、この青空に吸い込まれるのだろうか。
「で、男前のお友達は、名前は? 年齢は? 身長は?」
ダイアナがそわそわ聞いて来る。
サムは眉を寄せた。
(さっきのあれ、嘘だな。隣の最愛の孫より男前の友達のことを考えてたよな)
◇◇◇
目覚まし時計の音が鳴って、リジーの意識が浮上する。
(ここは?)
リジーは見知らぬ天井に慌てる。
まばたきして、頭が考え始めた。
(ここはサンタクロースの家だった!! お父さん!? じゃない、ニコラスさん)
昨夜の大きな手を思い出すと、胸にジンと温かいものが込み上げる。
リジーは起き上がると、窓に目をやる。
窓に近付いて、上下窓を開けてみた。
(寒い!)
「けほ、けほ」
冷たい空気が急に肺に入り、咳込む。
あたりはだいぶ明るくなり、静かな家並が窓の外に続いている。
今日はクリスマスイブ。時計を見ると、朝の6時だった。
(うふふ、もう寝てなんかいられない!)
すっかり目が覚めたリジーは、手早く顔を洗い歯を磨く。
ベッドカバーをきれいにかけ直し、身支度を整えると部屋を出た。
階下からは、もう物音が聞こえる。
リジーは一日の始まりにワクワクしながら、階段を降りた。
階段の下に、ジョンの後姿があった。
「ジョン! おはよう!! もう起きたの?」
「おはよう、リジー! きみだって、ずいぶん早いんじゃない?」
ジョンが笑顔で振り向いて、自然に手をスッと差し伸べる。
「……」
その滑らかな手の動きに目が離せなくなり、惹きつけられるようにリジーも手を伸ばす。
指先が触れるやいなや、手首を強く引かれ、リジーはジョンの腕の中にすっぽりと収まった。
「ジョン?」
リジーが驚いて見上げると、ジョンの顔が既に間近にあり、唇がこめかみに触れた。
「!?」
(どうしちゃったの? ジョン。こんなことされたら、朝からもう、胸の中がジョンでいっぱいになっちゃうよ)
「朝食が待ちきれなかった?」
「そ、そんなに食いしん坊じゃ……でも、おいしそうなパンの焼けるような香りが……じゃなくて~」
ジョンの腕の中で、無駄だとわかっていながらももがく。
「サンタクロースにほだされないで」
「え?」
ジョンの瞳が悩まし気に揺れていた。
◇
「あら、おはよう! ふたりとも早いのね~。でも、朝食はまだよ」
ランチョンマットを何枚も抱えたリンダが姿を見せた。
「おはようございます。リンダさん」「おはようございます!」
ジョンとリジーは慌てて少し身体を離しながら、朝の挨拶をした。
「あの、お手伝いすることはありませんか?」
「あるわよ、たくさん」
リンダはふたりに優しい眼差しを向けて、微笑んでいた。
◇◇◇
サムとダイアナは家に戻って来た。
ダイアナは目ざとくジョンを見つけると、すぐさまジョンに抱きついた。
「あなたがジョンね。はじめまして。私はサムのおばあちゃんのダイアナよ」
「は、じめまして。ジョンです」
老婆の素早い突進に、身構えるジョンの姿が滑稽で、サムは苦笑した。
ダイアナがジョンの腕や胸や腹のあたりをペタペタ触り始めると、ジョンが笑顔の中にも困惑した表情を浮かべる。
(うわ~、ジョンはばあちゃんのお眼鏡にかなったらしいが、いいのか、そのあからさまなスキンシップ。母さん、ばあちゃんの暴走を止めてくれ~。ジョン、嫌なら嫌と言っていいんだぞ! リジー、ニコニコ笑ってる場合か。ハイエナのように集まって来た姉妹たちよ、その羨ましそうな顔やめろ……)
色々思い巡らせながらも、サムは自分からはダイアナを制止しない。
祖父亡き今、この家で一番力のあるダイアナに、誰も何も言えないのだ。




