59 栗色の髪の少女
ジョンとリジーの最初の出会い。
ジョン視点、過去のお話です。
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18歳のジョンは両親の突然の死から立ち直れていなかったが、後見人になった弁護士の勧めもあり、母ジョディの望みであった州立大学に進学した。
入学はしたものの、抜け殻のようになったジョンには勉学に励む意力も湧かなかった。
ジョンの手元には、小さな女の子の写真があった。
この子は、フリードの娘は、今どうしているだろう。幸せでいるだろうか。
ジョンは、フリードの娘エリーゼと母親が幸せでいるか、そればかりが気になった。
もし、そうでないなら……ふたりに謝罪して、できることなら母の代わりに償いたい。
そんな時、弁護士から連絡があった。
エリーゼの母親が、フリードの遺産の受け取りの権利を放棄したという。ジョンはあり得ないと思った。弁護士に、遺産を受け取るよう母親を説得して欲しいと頼んだ。
弁護士は何度か説得したそうだが、だめだったと言って来た。
ならば、自分が会って説得するから、その機会を設けて欲しいと言うと、できないと断られた。
それでも何度も食い下がった。すると、弁護士は、立場上本当は教えられないのだが……と言って、母親のキャサリンがノートンシティで雑貨屋を営んでいるという情報をさりげなく呟いてみせた。
大学が夏の休暇に入ったある日、ジョンはキャサリンと娘エリーゼの住む町へ向かった。
途中、フリードが離婚する前に家族3人で暮らしていた家に寄ることにした。
住所はフリードの遺品を整理した時に見つけていた。
静かな住宅地。落ち着いたクリーム色の外壁に白い窓枠の一軒家。
庭の芝生にスプリンクラーで水が撒かれている。明るい日差しの中ブーゲンビリアの濃いピンク色の葉が揺れていた。この庭でフリードと小さいエリーゼは遊んだのだろう。
目に浮かぶようだった。
ジョンはしばらくその場に立ち尽くした。
風に乗って、思い出が通り過ぎるのを待つ。
現実に戻って、立ち去ろうとすると声が聞こえた。
『やあ。良い天気だね』
隣の家との境に、いつの間にか車椅子の白髪の老人がいた。顔に深くしわを刻んだ老人は、優しく微笑んでジョンを見ている。
『そうですね』
ジョンもつられて笑みを返した。
『このうちに何か用かい? とても懐かしがっていたようだが』
『いいえ。失礼ですけど、あなたはここに長く住んでいますか』
『もう、ずっとね』
『では、以前この家に住んでいたランザーさんのことを覚えていますか』
老人の顔が、夢見るように明るくなった。
その表情を見て、ジョンは嬉しくなった。
『覚えてるとも。とても素敵なご家族だった。フリードはいつも穏やかで優しくて、うちの息子夫婦とも仲が良かった。奥さんは、ほらそこのキッチンの窓辺にいつも花を飾ってた。明るく朗らかな女性だった。小さい可愛い娘さんもいて、うちによく遊びに来て、このブーゲンビリアの葉をたくさん集めて孫とままごとをしてた。楽しかった日々だ。……急に慌ただしく引っ越していった。元気でいてくれると良いが。もしかして、知り合いかい?』
ジョンはドキッとしたが、知らぬ顔をした。
『いいえ、お話を聞かせてもらってありがとうございます。お元気で』
『きみもね』
ジョンは老人に別れを告げると、さらに北に向かった。
事前に調べてみると、ノートンで子供向けの雑貨屋はさほど多くなかった。
念のため1軒1軒回っては来たが、目星はついていた。
雑貨屋の名前が<キャシーのファンシーショップ>だったからだ。
ジョンは地図を見ながら目的地に近づき、少し離れた場所に車を停めた。
この先に、目指す雑貨屋がある。最初になんと言って挨拶すれば。
憎しみの目を向けられて、罵られて、おまえの母親のせいで不幸になったのだと泣かれるかもしれない。
とにかく謝るしかない。気が重いが話をして、遺産を受け取ってもらいたかった。
この写真の少女にも泣かれるのだろうか。こんなにかわいい笑顔でいたのに。
ジョンはエリーゼの写真を持ってきていた。
車から降りて、雑貨屋の方に歩き出す。
ふと見ると、前方からローラースケートを履いた少女がこちらに向かって滑ってくる。
その少女は栗色の髪をふわふわとなびかせて、滑り方はかなりぎこちなかったが楽しそうだ。
ジョンはハッとする。
まさか、エリーゼ?
写真の少女は今はもう10歳くらい。
少女はすぐよろけるが持ち直しながら、頬をバラ色に染めて懸命に滑っている。
まさか、あの子が?
顔がわかるくらい近くなって、ジョンは確信した。
栗色の髪と瞳、フリードの面影もある。
間違いない、写真の少女。
エリーゼ!
『!!』
少女は歩道の凸凹にひっかかり、前にバタッと転んだ。
ジョンは思わず駆け寄り、腰を屈めて声をかけた。
『大丈夫!?』
『……平気。まだローラースケートに慣れなくて、すぐ転ぶけど大丈夫だよ』
少女はジョンを見上げて笑いながらそう言うと、のそのそと上体を起こす。掌と肘に擦り傷がついていた。ショートパンツだったので、膝も擦りむけている。
少女はその場に座り込んで、なかなか立ち上がろうとしない。
『立てる? 痛い?』
ジョンは心配になってたずねた。
『痛くない……大丈夫』
少女は言葉とは裏腹に、目に涙を滲ませていた。
ジョンは慌てた。きっと少女が酷い痛みを我慢しているのだと思った。早く傷の消毒をしなければと思った青年ジョンは、小柄な少女を抱えあげた。
『!!?』
少女は驚いて声も出せずに固まったようだ。
『きみはこの先の雑貨屋の子だろう? 家まで連れて行ってあげるよ。大丈夫。心配しないで』
安心させるように、努めて優しい声で話しかけながら、ジョンは少女を抱えて走った。少女はジョンのシャツをしっかりと掴んでいた。
その店は、珍しい三角の緑の屋根をしていた。
アーチ型の窓にピンクや紫の花の鉢植えが飾ってある。緑の小さな格子窓が白い壁に映えてアクセントになっていた。外には白い木製のベンチシートが置いてあり、入口にはピンク色の小さいバラが咲き誇っている。
ジョンは迷わず、その白い木製のかわいらしいドアを開け放った。
中にいたオフホワイトのブラウスを着た金髪の女性が、すぐに振り向いた。驚いた顔で少女を横抱きにしているジョンを見て、そして少女を見る。
『この子がローラースケートで転んで怪我をしています!!』
『まあ、リジー……。で、どちらさま?』
母親と思われる女性は、慌てた様子もなくジョンを見据えた。
『あ、オレは……通りすがりの学生です』
『あら、すみませんね。うちの娘が』
そう言いながら近寄ってくる。
『お母さん……。このお兄さんに捕まった』
少女が可愛い声で放った言葉に、青年と母親はギョッとなった。
『ち、違います! オレは彼女が怪我をして立てないと思って……』
ジョンは焦った。はたから見ればまるで人さらいのようなことをしてしまった。
息を整えながら、少女をゆっくり降ろした。
少女は、普通に立っている。
『あははは……。わかってる。あなたは転んだこの子を助けてくれたんでしょ?』
キャシーは高らかに笑った。
『リジー、お兄さんが驚くじゃない。捕まったなんて言っちゃ』
『ごめんなさ~い。助けてくれてありがとう。お兄さん』
少女はジョンを見上げて、ほんわかと笑った。
『い、いや。驚かせてしまってごめんね』
ジョンは、ばつが悪かった。
『もう、リジーったら。まだうまく滑れないんだから、ローラースケートをする時は、ジーンズにしなさいってあれほど言ってたのに』
『だって、暑かったんだもん』
少女はピンク色の小さな唇を尖らす。
『早くリビングに行って、いつもみたいに傷を消毒して絆創膏を貼ってきなさい』
『はーい。あ、お兄さん、わたしが戻るまで帰らないで待っててね!』
少女に輝く笑顔を向けられ、ジョンは強ばった笑みを返しながら頷いた。




