42 魔王の印とふたりの距離
少し場面が戻ります。騒動直後からのリジーとジョンの視点です。
「あとはサムにまかせよう」
ジョンに庇うように肩を抱かれながら、人混みをかき分けて進む。
「……ろくでなし!!」
後方でアイリーンの、おそらくあの大男に向かってであろう、怒鳴り声が聞こえた。
人々の目がそちらに向いている間に、リジーとジョンは人だかりを抜けた。
人がまばらになった所で、ジョンがリジーの肩にあった手を離した。
そして、今度はリジーの手を握って歩き出す。
「もう帰ろう。いい?」
「うん」
ジョンが自分に話しかけるときの瞳はいつも優しい。見つめられれば頷いてしまう。
良いように誤解してしまう。
(あれは、どういう意味のキス? 私に印をつけてくれたの? 自分のものだって……助けてくれて、抱きしめてくれて、キスしてくれて、嬉しかった。ジョンは私の事、好き?)
ジョンに手を引かれ歩いているリジーは、夢心地だった。
「リジー、寒くない?」
「うん。大丈夫」
ふたりはパーティ会場をあとにした。
(あの綺麗な桟橋を、ジョンとふたりで手を繋いで歩いてみたかったな……)
リジーは名残惜しそうに、遠くに見えるライトアップされた桟橋をチラッと眺めたが、すぐに前を向いた。
「また今度、何もイベントがない時に連れて……来てもらうと良いよ。スーザンにでも……」
「そうだね……え?」
リジーは耳を疑った。
(スーザン? ……にでもって)
リジーは疑問をぶつけるかのように、思わずジョンを見上げた。
ジョンはリジーのことは見ずに、遠くの海の彼方へ、その険しく眉を寄せた顔を向けていた。
人がほとんどいなくなった所で、繋いでいた手も離された。
さっきまで、ふわふわと夢のように浮かんでいた心が、急に重くなり沈んだ。
(やっぱり夢だったの? ハロウィーンの夢? 本当は今もジョンと手を繋いでいたい。肩を抱いて欲しい。……ジョンにはそんな気は、全然無いの?)
「ごめん、これからのシーズンは店も忙しくなるから、連れてきてあげられそうもない」
ジョンの苦しそうな笑顔に、リジーは曖昧に頷くしかなかった。
駐車場まで来ると、ジョンが車の助手席のドアを開けた。
「乗って。頭、ぶつけないようにね」
ジョンが車のドア枠の上部にさりげなく手を添えている。
「うん……」
ここまで過剰なほど心配されると、逆に情けなくなる。と同時に、さっき桟橋へ行こうと手を差し出してくれたのも単にはぐれないためだけで、抱きしめて額にキスをくれたのも、ただ安心させるような意味合いのもので、それ以上の恋愛的な気持ちのある行為とは違ったのではないかと思ってしまう。
(私のこと、少しは好きだと思ってくれてる? ジョンの気持ちが知りたいよ)
リジーが助手席に座ると、バタンと車のドアが閉められた。
◇
パーティの喧騒が聞こえなくなり、車は街の灯りの方へ戻って行く。
窓の外を見ていたリジーが、何か思い出したようにジョンの方へ向いた。
ジョンはその視線を感じたが、車のフロントガラスの先の仄暗い風景に集中していた。
「ジョンは本当に強いんだね。あんな大きい人を……驚いちゃった」
怖い思いをしたはずなのに、リジーが何でもなかったかのような客観的な口ぶりだったので、ジョンは少し安心した。
「……きみが僕の視界から消えた時は、心配したよ」
「ごめんね。変な人に絡まれて、人がたくさんいる方に逃げたから。そしたらサムを見つけて……」
「そうだったのか? ひとりにしてすまなかった。……きみが男に捕まっているのを見たとき、心臓が止まるどころか……」
ジョンは言葉を詰まらせた。
リジーが男に拘束されているのを見た瞬間、身体中の血が逆流する程の強い怒りが込み上げた。
冷静にならないと、男に重傷を負わせてしまう。それくらいジョンは我を忘れた。
なんとか怒りを静め、相手の弱いところを見極めた。
(きみを自分の腕に取り戻した時、誰にも渡したくないと思ってしまった。きみの身体を抱きしめた時には、もう気持ちを抑えられずに額に……。こんなに脆い理性では、彼女を守るどころかオレが襲いかねない。思い出せ。自分が彼女の父と家族の幸せを奪った憎い女の息子だと……!)
ハンドルを握る手に、知らず知らずのうちに力がこもる。
「ジョン、心配かけて本当にごめんね」
リジーの声は低く、微かに震えていた。
きっと自分が硬い表情をしているからに違いない。
「そうじゃない。違うんだ、僕が……悪い」
「ジョンは何も悪くない。ジョンが私のことを探して助けてくれて、すごく嬉しかったよ。おかげで怪我もなかったし……。ありがとう」
「……」
(まっすぐな眼差しで見つめられると、すべて欲しくなる。きみの心もきみとの未来も。きみといる今が満たされていて、このまますべて手に入るのではないかと錯覚してしまう。消せない現実があるのに)
「きみに何かあったら、きみのお母さんにもシンドバッドさんにも顔向けできない」
ジョンは苦渋の思いでなんとか保護者の仮面をかぶった。
「……!」
ふたりは正面を向いたままで、お互いに葛藤する表情を見ることはなかった。
◇
その後、とりとめのない話をしながら30分ほどの道のりを走り、アパートメントの前まで戻って来た。
「僕は車を駐車場に入れて来るから、きみはここで降りて先に帰って……」
「あの、背中のリボンをお願い……したいんだけど、ここで?」
リジーはモジモジした。
「あ、そうだったね。じゃあ、店の方がいいかな。これ鍵、良かったら店の中で待ってて。今日はフェスティバルだったから用心のため入り口はシャッターが閉めてあるけど、シャッターの開け方知ってる?」
皮のキーケースを渡される
「たぶん、大丈夫。無理なら待ってる」
「ああ。一番大きいのがシャッターの鍵だから」
リジーは車から降りると、アパートメントの内玄関に入った。
そして、店の入口の閉まっているシャッターの真ん中ほどにある鍵穴に鍵を挿すと開錠した。
(シャッターって、取っ手を掴んで、持ち上げれば開くんだよね)
シャッターの取手をを両手で掴んで勢いよく持ち上げる。
「っ! 重い……けど、上がった!?」
ガラガラと上がったシャッターだが、ガツンと嫌な音がした。
「え? あ~!?」
リジーはシャッターを見上げて頭を抱えた。
◇
「リジー!?」
リジーが店の入口のシャッターの前で茫然と立っている。
シャッターは開いているのにどうしたのだろう。
「ジョン、ごめんなさい。またヘマを……」
「?」
リジーは折れ曲がったシャッターの鍵をジョンに見せた。
「見事に曲がってる。……きみは超能力者だったっけ?」
「ごめんなさい!! 鍵を挿しっぱなしにしたまま、シャッターを開けちゃったの!」
リジーはおろおろして、申し訳なさそうにしている。
(いつもきみは、僕の沈みがちな心を和ませてくれる。予想もしない方法で)
ジョンは穏やかに笑った。
「気にしなくていいよ。超能力が使えなくてもハンマーで叩けば元に戻るんじゃないかな。シャッターを壊さないでくれただけでもありがたいよ」
ジョンはリジーの頭を無意識に撫でていた。リジーの動きが落ち着いた。
「さすがに、そんな能力ありませんから……」
リジーが恥ずかしそうに顔を背けた。
窓のシャッターも閉めた状態の<スカラムーシュ>内は暗かった。
ジョンは入口の灯りをつけた。
「ジョン、今日は一日ありがとう。パレードはおもしろかったし、色々あったけどパーティも楽しかったかな」
リジーが頬をほんのり赤らめている。今からしなければならないことに緊張しているのか。
「そうだね」
自分だって内心冷静ではいられない。スーザンも罪なことをしてくれる。
リジーは、羽織っていたケープを脱いで、背を向けた。
「じゃあ、お願い……」
リジーの緊張して掠れた声がジョンの頭に甘く響き、無防備な背中が晒される。
最低限のランプの光の中に、リジーの白い背中が浮かびあがる。
嫌でも目に入る艶めかしい素肌に、ジョンは息を飲んだ。
「わかった」
見ると、背中のリボンは、蝶結びがほどけないように固結びになっている。
しかも左右のリボンの折り返しの所もご丁寧にきっちり結んであった。
確かにこうまでされていては、ひとりでほどくのはまず無理だろう。
ジョンは強ばる指先で、肌に触れないように慎重にリボンをほどいていく。
褒美でも役得でもなんでもない。
今の自分にとってはある意味余計な試練でしかない。
寒いのかリジーの背中が震えているように見える。
自分は、抱きしめて温めてやることもできない。
◇
リボンをほどく音だけが静かな空間に響く。
ジョンの瞳が手が指が自分に向けられている。
言いようのない恥ずかしさに、リジーは身体が震えた。
でも悟られるのはもっと恥ずかしい。
別の事を考えようとするが、無理だった。
意識のすべては背中に集中されている。
「終わったよ。ケープを貸して。掛けてあげよう」
リジーがケープを渡すと、ジョンが丁寧に肩に掛けてくれた。
「寒い?」
「うん、少し。でも大丈夫。ありがとう」
緊張でぎこちない笑顔になってしまう。うまく笑えない。
「じゃあ、僕はこの鍵をハンマーで元に戻してから部屋へ戻るから。おやすみ、リジー」
「おやすみなさい。ジョン」
リジーはぼんやりと考え事をしながら店から出て、階段を上がろうとする。
(もやもやする。ジョンの気持ちが知りたい。でも、どうしたら……。私のことどう思ってる? とか 私のこと好き? とか……とても聞けない)
「あっ!」
リジーはぼーっとしていて階段の一歩目を踏み外し、階段に両手をついてしまった。
何をやっているんだろう……何度も。まぬけな自分に呆れる。
階段の床の冷たさが両手から身体に伝わって来る。
「リジー、大丈夫?」
四つん這い状態で見上げると、いつの間にかジョンがそばにいた。
(わざわざ出てきてくれたの?)
「ジョン」
ジョンはリジーの横に屈み、手を出している。
リジーが躊躇いがちに伸ばした手と腕を引っ張ると、腰に腕を回して立たせてくれる。
(ジョン!)
リジーは、思い余ってジョンに抱きついた。
その勢いに、ジョンはリジーを抱き止めたまま壁にぶつかった。
「リジー?」
戸惑った声がしたが、リジーは抱きついたままでいた。
(どうしたらジョンの気持ちが見極められるの?)
ドキドキしながらジョンを見上げる。
ジョンは、自分を見ていない。やっぱりただの思い違い?
リジーの動きに気が付いて、ジョンが視線を下げた。
「ジョン……」
名前を呼ぶと、返事の代わりに視線が合った。
穏やかな濃い茶色の瞳が、自分を映し、揺れた。
「キスして」
リジーは目をそらさず言った。ジョンの上着を掴むリジーの両手が緊張で震えている。
「…………」
ジョンは目を大きく見開いて、驚いた顔でリジーを凝視している。
そして苦い表情。明らかに狼狽えて固まっている。
リジーは、かまわず目を閉じた。
そのままリジーがいくら待っても、温かい唇はどこにも触れては来なかった。
「な、なんてね。……冗談だよ。ごめんね、悪ふざけしちゃって。かぼちゃのランタンに入りきらないくらいお菓子をたくさんくれたから、ジョンにはいたずらしちゃだめなのにね。でも、さすがに多すぎだよ。食べきれないし。私を太らせるつもり? だから、仕返しにジョンを困らせたくなったの。おやすみ!」
ジョンがどんな顔をしてるか、リジーは見れなかった。
リジーはすぐにジョンに背を向けた。
そのまま急いで階段を用心しながら上がる。身体は震えが止まらない。
リジーは階段を上がり切り、部屋のドアの前に来て胸が張り裂けそうになった。
部屋の前のランタンにはカラフルなお菓子が溢れていて、入りきらずに椅子にもこぼれ落ちていた。
(これはただの一時のお遊び。お菓子は愛情じゃない)
リジーは、肩にかけていたバッグから部屋の鍵を取り出し、ドアを開けた。
(毎日増えて来るお菓子を見ると楽しくて、気持ちが弾んだのに……。今は……。ジョンのばか。私、こんなに食いしん坊じゃないし、子供でもない。……お菓子が山のようにあったって心は満たされない)
リジーは涙を溜めながら、ランタンを手にした。こぼれたお菓子も拾うと、部屋に入ってランタンをテーブルの上に無造作に置いた。
そしてテーブルに伏して、声を殺して泣いた。
ジョンの困惑した表情が思い出される。
(あんな困った顔しなくたって……)
彼はきっと自分を恋愛対象として見ていない。




