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25 煙にむせぶ鬼


 マリサはリジーを見舞った後、店に戻ると所長室を訪れた。

 デスクにいたシルビアが、眼鏡をはずしてマリサと向き合った。


「で、リジーの怪我の具合はどうだったの?」

「はい、額の傷は絆創膏をしていたので、どの程度かはわかりませんでした。眉間と目のあたりが青くなってましたけど、思ったよりは元気そうでしたよ」

「そう、なら良いけど。本当に人騒がせな子ね。で?」

「で??」

「カイルとリジーはどうなの? うまく行かないかしら? 密かに応援してたんだけど」

「おそらくは無理です」


 マリサは小さくため息を吐く。


「え~!? どうして? ふたりは良い感じじゃないの?」


 シルビアは意外そうに目を丸くする。


「リジーには強力な盾となる男がいます。弟はあの盾にはかないません」

「まあ、子リスちゃんだと思ってたら……意外すぎるわ。男がいるの?」

「はい。まだ恋人同士では無いようですが、お互い意識はしているといった感じです。いずれはそういう関係に発展しそうな気配なので、カイルはすでに察して諦めています」

「あら、もう諦めてるの? 不甲斐ない、残念ね。そういうあなたも、なんだか沈んだ顔してるわね」

「え? いえ、私は、弟が不憫なだけで……」

「そう?」


 シルビアの観察眼は侮れないと、マリサは舌を巻いた。

 


◇◇◇



 リジーは3日後、いつもの時間に出勤した。

 目の辺りの青みはとれていないが、化粧で隠すのはやめた。

 これ以上、黒歴史の上塗りはごめんだ。

 もともと美人顔でもないし、気にしないで明るく元気にしていようとリジーは声を張り上げた。

 

「おはようございます!! カイルさん。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。今日からまたよろしくお願いします!」


 その日は、カイルの方が先に来ていた。

 

「おまえは自分に不注意なのを自覚しろ。人一倍気を付けろよ。二度と怪我はするな」


 カイルが腰に手をやり、不愛想にチラチラとリジーを見ながら言った。

 

「はい。気を付けます!」


(言い方はきついけど、心配してくれてるのがわかる)


「額の絆創膏はうまい具合に前髪で隠れてるから目立たないな」

「ははは……前髪があって良かったです」

「青いツラで笑うなバカ」

「はい。あの、私の血でカイルさんのシャツを汚してしまって、すみませんでした。シャツは、どうされました? 弁償させてください」

「……血は洗ったら落ちた。気にするな」

「良かったー。それならクリーニング代を……」

「いらん、手洗いしたから金はかかってない」

「でも……」


 リジーが何か言う前に、カイルはその場から離れて行った。


(カイルさん、私に気を遣わせないつもりだ。すみません、でも、ありがとうございます)




「リジー!!」

「おはよう、スーザン!」


 リジーは出勤してきたスーザンに、抱擁されたり、頭を撫でられたりした。


「忙しくてお見舞いに行けなかったけど、大丈夫だった? 痛みは?」

「心配かけてごめんね。大丈夫だよ」

「黒髪さんに、優しくしてもらった?」


 スーザンがリジーの耳元でこっそり囁いて来る。


「え?」


 リジーは耳まで赤くなった。


「そう、良かったね」


 スーザンはニヤニヤした。


「な、なにもないよ」

「顔に出てるから」

「……」

「ごちそうさま。仕事の方もよろしくね~」

「もう、スーザンてば……」


 リジーは赤らんだ頬と耳を手で冷やそうとしたが、手の方も熱かった。



「おはよう! リジー、来たのね」


 そこへ、マリサが出勤してきた。


「マリサさん、おはようございます! お見舞いに来ていただいてありがとうございました。また今日から頑張ります」

「そうね、頼むわよ。まあ、顔の青さも思ったより目立たなくなったわね。今日は少しは血色が良さげだし、店舗でもいけそうかしら。具合が悪くなったら言うのよ。今、所長もいらしたから、挨拶してきなさい」

「はい!」



 カイルは昼休み、いつものように喫煙室にいた。


 そこへ、今日はオレンジ色のワンピースのシルビアが現れた。


「ハ~イ、カイル」


 シルビアは煙草に火をつけ、椅子にゆっくりと腰かけた。


「やけに派手な服だな。目が痛い」


 カイルは二度見して、眉間に皺を寄せた。


「あら、褒めてくれてありがとう。……ところで、今回は色々お疲れさまだったわね。子リスちゃんにすっかり振り回されたようで。あの子も今日の様子では、まあまあ元気そうだし、一安心かしらね」


 ニヤリとされ、カイルは顔をしかめた。


「……」

「その顔だと、ご褒美は無し? 可哀想な役回り?」

「余計なこと言うな」

「さっきリジーが言ってたわよ、カイルさんに親切にしてもらったって、感謝してるって」

「……」


(感謝されたって、その場かぎりだろう。それとも、俺のものになるのか? 娘……)


 ふん、とカイルがあざ笑う。


「カイル、良い男なんだから、これからきっと良い事もあるわよ。絶対……」

「マリサから何か聞いたのか? 気休め言うな。何かしたって、良いことなんてありやしない。慣れてる」

「カイルったら、悲観的なんだから」

「悪いか?」


 腕に抱いた温もりは一瞬で、……すぐになくなった。


 カイルは煙草の火を消し、休憩室のまずいコーヒーを飲む。

 脳裏に過去の苦い記憶がまた甦る。



◆◆◆


 カイルが最初に勤めた会社にいたロニィは、柔らかい物腰の女で、目つきが悪く人付き合いが苦手な自分にも優しかった。


『これ、誕生日のプレゼント。カイル、いつも同じネクタイしてるから。たまには違うのもどうかなって思って……。話を聞いてくれるのカイルだけだから、お礼の意味もあるの』

『お礼なんて……あ、ありがとう。ロニィ』


 いつの頃からか、カイルはロニィの悩みを頻繁に聞くようになっていた。


『また伝票の数字を間違えちゃって、物凄く怒られた……』

『またやったのか? 会社規模だと数字の桁も違うからな。責任重大だろう。神経すり減らして大変だな。ちゃんと身体も休ませろよ』


 自分は、ロニィの特別な男になれないかと、思うようになった。

 誰よりも、彼女の事を気にかけているつもりだった。


『……最近、何を食べても美味しく感じないの』

『ストレスか? 溜めこむなよ。その……一緒にどこか、気晴らしに飲みに行くか?』

『うん。良かったら……私の部屋で飲まない?』

『え? いいのか?』

『来て』


 初めて彼女の家に呼ばれた。薄暗く狭いアパートメントの一室。


『カイルは見た目は怖い顔だけど、優しいよね』

『……』

『私のこと、嫌い?』

『……嫌いなわけないだろう。こうやって部屋でふたりで一緒に飲んでる』

『それなら……泊まっていって。ひとりは寂しいから』

『いや……それは……』

『お願い、そばにいて欲しいの』


 ロニィが瞳を潤ませ、手を伸ばして来たので、その柔らかな手を強く握った。


『……ロニィ、俺でいいなら……そばにいてやるよ。ずっと』

『うれしい。ありがとう』


 自分はようやく誰かの特別な存在になれたのかと思った。

 心は羽が生えたように軽く、そして弾んでいた。

 

 翌朝出勤すると、なぜか会社の中が騒然としていた。


『え? 今なんて言った?』


 同僚の話、聞き違いかと思った。何かの間違いであって欲しかった。


『ロニィが、自分の部屋の風呂場で手首を切ったそうだ! 命に別状は無いらしいがな。今、ボスが病院へ行ってる』

『ま、さか……そんな!?』


 昨夜、自分たちは、愛を交わしたはずだった。

 その後に手首を?


『おまえ、ロニィと仲が良さそうだったけど、知ってたのか? あの女、ボスとできてて、しかも妊娠してるらしい。ボス、どうすんだろな。昨年の会社のクリスマスパーティで奥さん見たけど、すげえ気の強そうな女だったぜ。これから色々修羅場だろうな』

『…………』


 もう、どうでもいい。

 他人のうわさに晒される前に、会社を辞めた。



『カイル! 会社辞めて籠ってるって、どうしたの? あんな良い会社に入っておいて』


 どこからか聞きつけたのか、口うるさい姉マリサが、部屋にやって来た。


『うるさい、マリサ。俺のことは、放っとけ!』

『ねえ、行くとこないなら、うちの店に来ない? 人手が足りないの』

『……』



◆◆◆



 カイルはまた煙草を取り出し、火を点ける。


(本気で抱いた女は不倫相手を想って自殺未遂、その前だって紹介されて付き合った女は婚約破棄された相手をやっぱり忘れられないとかほざいて逃げて行った。そして、本気で守ってやると思った娘は売約済み……。まあ、どうでもいいか……俺の人生はこんなもんなんだろう。なるようにしかならない)


「ゲホッ、ゲホ、ゲホ、……」


 煙が肺を侵食し、カイルはむせた。



 シルビアは黙ったまま、その様子を見ていたが、


「今日はやたらと、煙が胸に痛いようね。カイル……」と、


 独り言のように呟いた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] なんとっ! カイルさんにも色々あったのですね……!!! カイルさんも幸せになったらいいなと思いました。
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