23 マリサの恋心と好奇心
翌朝、ジョンは店に行く前にリジーの具合を確認することにした。
「リジー、おはよう。起きてる?」
リジーの部屋のドアをノックしながら声をかける。
少ししてから返事があった。
「……おはよう、ジョン」
いつもの弾んだ明るい声ではなかった。ドアも開かれない。
ジョンは心配になった。
「具合悪いの?」
ドアを挟んでの会話になった。
「大丈夫、具合は悪くないよ……」
少し明るい感じになったが、無理しているような気がした。
「朝は何か食べた?」
「うん、ジョンが昨日作ってくれたスープが残ってたからそれを温めて食べたよ。本当に昨日はありがとう」
「ああ。……リジー? 薬はうまく塗れた?」
「うん、貰った薬を塗って、絆創膏も張り替えたから大丈夫。心配しないで」
「そうか、じゃあ僕は店を開けるから、下に行くよ。何かあったら電話して」
「うん、ありがとう、ジョン」
ドアの向こうは静かになった。
ジョンはリジーの姿が見られず心配だったが、受け答えはしっかりしていたから大丈夫だろうと気持ちを切り替えた。
階下に降りて行くと、店の入口の前に黄色のツーピース姿の女性がいた。
◇
「お久しぶりね、ジョン。元気だった?」
「マリサ!?」
マリサがジョンと顔を合わせたのは、ほぼ2年ぶりだった。
ジョンが驚いた表情で自分を見ている。無理もない。
「安心して。あなたに会いに来たわけじゃないから。リジーに会いに来たのよ」
マリサは平静を装って、別の用件があることを強調する。
「リジー?」
ジョンが訝し気な顔をする。
「ええ、うちのショップの店員よ。部下の怪我の様子を見に来ただけ。弟のカイルからあなたと同じアパートメントだと聞いて、驚いたわ」
「弟? リジーがきみの所の……そうだったのか……。彼女は部屋にいる。ここの2階だよ。この階段を上がって左側」
説明しながらジョンが顔を曇らせたのを、マリサは見逃さない。
以前は、他人に気付かれるような表情を見せるような男ではなかった。
「リジーがここに住んでるなんて知らなかったわ」
「……」
「公私混同はしないから。まあ、実際ほとんど何もなかったんだし、そんな顔しないでよ。あなたは見事に一貫して態度を変えずに私に接してくれたじゃない。何も後ろめたいことないでしょう。私が彼女に何を言おうと……」
今度は明らかに不安そうな、そして困ったように眉を寄せている。
「何も変なことは言わないわよ。上司の沽券にもかかわるし」
2年前、別れるときにジョンの胸に縋ったことをマリサは思い出した。
『どうしても? もう会えないの?』
『ごめん、マリサ。僕は、きみとこの先、ずっと共にいることはできない』
『……わかった。時間の無駄ね、あなたのことは諦める。さよなら』
油断しているジョンに最後に一泡ふかせてやろうと、彼の唇にキスをした。
最初で最後のキス。
(あの時すら、今みたいに顔色を変えなかった)
「そんなに心配なら、あなたも一緒に来れば? 3人で話してもいいのよ」
(そんなにリジーは特別な存在?)
「その必要はないよ」
穏やかな笑顔が強ばっている。マリサは少しイラついた。
「そう? じゃあ、失礼するわ」
マリサは、踵を返すとカツカツと音をたてながら階段を上がる。
(なんなの? リジーの影響?)
リジーは、あの氷の弟でさえ懐柔したのだった。
そういえばシルビアも……。
天然の癒しパワーは計り知れない。
2年ぶりのジョンは男の色気が増した気がする。自分には一切、手も触れず、仮面の微笑みを向け続けたこの男が……リジーを気にかけ、彼女には心から笑いかけ甘い言葉を囁いているというのだろうか。
ここのオーナーのデイビッドに後押しされ、何度かデートはしたが、ジョンの気持ちは自分には全く向かなかった。いつも穏やかな微笑みはくれたけど、それが作り物だということにすぐに気が付いた。いつか本当の笑顔を見せてくれると思っていたが、だめだった。
もう過去の事だと頭を振り、目の前の扉をノックした。
(彼の細めで筋肉質そうな身体も私好みだったのに。一度くらい抱かれたかったわ。いやだ、リジーのお見舞いに来ておいて、不謹慎だわね)
マリサは自嘲的な笑みを浮かべる。
「リジー!! いる? マリサよ」
「はい!! え? マリサさん? 今開けます」
バタバタと足音がする。
ドアが開いて、額に大きな絆創膏を張り付けたリジーが出て来た。
マリサは、さすがに気の毒に思った。
眉間と目のあたりが、青くなっていて痛々しい。
ジョンがこの娘を抱く姿など想像できなかった。
(あら、私ったら、またおかしなことを……)
「おはよう。怪我の具合がどうかと思って様子を見に来たの。大丈夫? 痛みは?」
「ご心配をおかけしてすみません。痛みはまだありますが、昨日よりはだいぶ良いです」
「そう。これ、食料よ。買い物にまだ行けないでしょ?」
「嬉しいです。ありがとうございます。どうぞ、入ってください」
「じゃあ、少しだけ」
大きな方の紙袋をリジーに渡す。
「どうぞ、掛けてください。今、コーヒー淹れますね」
「必要ないわ、買ってきたから。一緒に飲みましょう」
小さな方の紙袋からテイクアウトしてきたコーヒーを取り出して、案内されたテーブルの上に置いた。
「すみません。昨日は、カイルさんにご迷惑をかけてしまって。私の不注意でみなさんにもご心配とご迷惑をおかけして、反省してます」
「そうよ、気を付けてよ。顔は大事。女の子なんだから。接客業だしね」
「はい」
マリサは、項垂れる仕草がまだ可愛いと思える年齢のリジーが羨ましく感じた。
「ところで、ジョンとはどういう関係なの?」
(はっきりさせておかないとね)
「へ?」
あまりに唐突な怪我とは関係ない質問に、リジーが固まっている。
「あ、ジョンは、母の知り合いです。それで、母に頼まれて、何かと私の面倒を見てくれてるんです。下の<スカラムーシュ>のオーナーが、実は私の母の従弟なので、なおさらジョンは私に優しいんだと思います」
説明しながら、リジーが頬を染めた。
「そうだったの。あなた、シンドバッドさんとは親戚だったのね」
そういう関係だったのか。でも、それだけではないとマリサは感じていた。
「ジョンが好き?」
「そ、そ、そんな……好きですけど、だからってあの、何も、ないですし……」
(なるほど、まだ、恋人同士ではないのね。慌て方が、わかりやすい)
「マリサさんはジョンと知り合いだったんですか」
「そうよ。2年ほど前、男たちに絡まれていた所を助けてもらったの。それ以来少しね」
「そうだったんですか。偶然ですね。ジョンは強いんですね」
「そう、強いわよ。高校まで空手教室に通っていたんですって。あなた、守ってもらえて安心ね。お母さまがあなたのことを彼に頼むわけよね」
「はい……」
「額に痛みがあるなら、2~3日休みなさい。それと、顔が青いうちは店頭は無理ね。化粧でも隠せないかも。裏方で頑張ってもらうしかないわね」
「はい、なんでもします」
「じゃあ、帰るわ。お大事にね」
「わざわざいらしていただいてありがとうございました」
「怪我人は、仕事のことなんて心配しないで、休んでいていいのよ」
マリサは、コーヒーを瞬く間に飲み切った。
「はい。すみません」
マリサは階段を下りながら、自分の心の中を整理していた。
ジョンとリジーは何となく惹かれ合ってるようだが、まだ恋人同士ではない。ジョンはリジーの母親に頼まれて、何かしら彼女の面倒を見ている。確かにジョンは責任感が強いし、義理堅いタイプだ。でも、明らかに彼女に対して特別な感情も持っている様子だった。
(ジョンのことは忘れたはずだったのに。年甲斐もなく何をしているんだろう)
まだ、けりをつけられていなかったジョンへの恋心。
自分の目で見て終わらせたかった。
それと、ジョンが好きな相手の前ではどんな顔をするのか見てみたいという好奇心。
<スカラムーシュ>には客がいた。
店の中からこちらを見るジョンに、澄ました笑顔で手を振る。
辛くなどない、余裕、まだ物足りない。
決定的な瞬間を見せてもらうまでは、納得できない。
まだ見届けさせてもらうと、マリサは心に決めた。
マリサが<フォレスト>に戻ると、カイルが寄って来た。
「マリサ! あいつのところへ行ったんだってな。あいつは大丈夫だったか?」
「リジーは、まあまあ元気そうだったわよ」
「そうか。……もしかして、クロウの方にも……ちょっかい出して来たのか? もうよせよ、未練がましい」
「未練を残さないためよ。あなたにもいずれ協力してもらうわよ。あなたも同類じゃない」
「一緒にするな!」
「同じ職場のあなたのほうが辛いわね」
「そう思うなら俺を巻き込むな。頼むから」
「そうね、でも同じ職場だから、未練を残さないほうが良いでしょう?」
「鬼か……」
姉マリサの氷の微笑に、弟カイルは恐れをなした。




