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21 鬼の厄日

前話の詳細を、カイル視点一人称で回想します。


 カイルは、馴染みのバー<サーカス>のカウンター席でマリサと共に飲んでいた。



◇◇◇


 全く、今日という日は朝から晩まで、とんだ厄日だ。

 隣の酔っ払いを家まで連れて帰るかと思うと、気が滅入る。それもこれも俺のちょっとした気まぐれのせいだから文句も言えない。


 午前中予定していた配達は、高級住宅街ヒルズに納期の遅れた椅子を1脚だけ届けるという簡単なものだった。だからひとりで行くつもりだった。

 それなのにどういうわけか、俺の頭に新米の小娘リジーのことが浮かんできた。

 今まで会った女たちとは毛色の違う小動物のような娘。ちょこまか動くがコーヒーサーバーもうまく扱えないくらい不器用、階段で転んで瘤を作るうっかり者。仕事のミスはまだしていないようだが、自分のことには無頓着なのか。

 シルビアは癒されると言っていたが、俺は苛立つ。俺に怯えているかと思うと強い目線を返してくる。笑いかけてもくる。何も考えてないただの馬鹿か。

 何をやってるのか気になって、つい観察したくなる。

 

 娘は家並みを見るのが好きだと言っていた。いまだに早く出勤しては、店の周辺を散策している。ヒルズあたりを見せてやったら、娘が喜ぶんじゃないかという余計なことを、がらにもなく思いついてしまった。それが始まりだった。


『マリサ、あいつを配達の手伝いに連れて行っても良いか?』


 こちらに背を向けて何やらスーザンを話をしている娘を指差した。


『え? リジーを? そうね、まだ配達の同行はしたことなかったわね。今日は暇だし、いいわよ。リジー!』


 ヒルズに行けると聞いた娘は、飛び上がらんばかりに大喜びした。


『ありがとうございます!! カイルさん!』


 俺とふたりだけでもいいのか? ニコニコしながら小走りで俺について来る。

 これからピクニックにでも行くのかというほどの浮かれようだ。そんなに嬉しいのか。

 そんなに喜びを全身で表されると、俺が好かれてるのではないかと錯覚しそうになる。

 やめてくれ。

 

 トラックに乗るのは初めてだと言う。小柄な娘は座席まで上がるのに難儀している。


『手を貸せ!』


 先に乗った俺は座席の上から娘の小さな手を掴んで引っ張り上げた。


『うわ、高い。あっ!』

『どうした?』

『すみません、カイルさん……片方の靴が脱げちゃいましたっ!』

『なに!? …………わかった、俺が拾う』


 どこまでも世話の焼ける小娘だ。



 納品は滞りなく終了し、配達先の家を後にした。


『少しなら、家を見て歩いてもいいぞ』

『え? いいんですか? ありがとうごさいます! カイルさん!!』


 俺の言葉に、娘が丸い瞳をキラキラさせた。俺には縁遠い眩しさだ。

 それにしても、俺の名前をむやみに呼び過ぎだ。


 娘はヒルズの家並みを、目から光線ビームを出すんじゃないかと思うくらい熱心に見ていた。

 瞳を輝かせ、頬を程よい具合に紅潮させ……この俺がつい見惚れてしまうほどだった。

 この娘がうっかり者だということを、俺の方がうっかり忘れていた。のほほんと娘を観賞している場合ではなかった。

 豪邸を見るのに夢中になって、周りがすっかり見えなくなっていた娘は……。


『待て! 止まれ!!』


 遅かった。娘は街路樹の餌食となった。

 今どき、三流ドラマでさえ使われなくなった定番シーンを、やすやすとやってのけるこの娘はどこのコメディ女優だ!?


『!!!?』


 街路樹に頭からぶつかって、よろける娘を間一髪で受け止めた。

 ぐったりする柔らかい身体。

 揺れる栗色の髪から漂う甘い香り。

 情けないがもたれかかる娘の重みに耐えかね胸に抱きとめたまま、木の根元に座り込んだ。

 この体勢では、いくら小娘でも女だと意識してしまう。


 毎朝一番に出勤していた自分より早く出勤してきて、自分を待っている娘。

 そして、毎朝機嫌よく、不機嫌な俺にニコニコと挨拶をしてくる。

 

 ~おはようございます。カイルさん!~

 

 いつも無駄に元気で明るい娘。

 心を動かされないわけがない。

 娘が望むなら、これからもずっと守ってやってもいいか。


『う、い、痛い』


 娘の肩を抱いて支えていた。意識はあるようだ。

 娘の額が赤く腫れあがり、切れた皮膚から少量だが血が垂れている。木の粗い皮で擦ったか。

 娘は自分の手で額を触ると、血の付いた自分の掌を見て手を震わせた。


『たいした傷じゃない。落ち着け』


 手を押さえてやるが、娘の歪んだ顔から見る見る血の気が引いていく。


『い、いや……うっ……』


 甲高い声を上げそうになったので、とっさに娘の口を手で塞いだ。


『!……』

『落ち着け! 黙れ! 静かな高級住宅街で騒ぐ奴があるか! 俺が捕まる!!』


 押し殺した声で必死に告げると、血の付いた顔の娘が目を潤ませてこくこくと頷いた。

 ホッとして娘の口を塞いでいた手を離す。

 娘の頬と唇は柔らかく、なぜか自分がいたいけな少女をいたぶる罪深い犯罪者のような気持ちにさせられた。


 今日は厄日だ……。


 娘に手を貸してやり、なんとかトラックに戻る。

 座席から娘をまた引っ張りあげる。

 すがるような目で手を伸ばしてくる娘の仕草に動揺した。

 足を見ると、今度は靴は脱げなかったようだ。全く……。


 トラックは怪我人を乗せるには最悪の乗り物だ。揺れが半端ない。

 助手席で娘がタオルで額を押さえ、痛みに顔をしかめている。

 具合が悪そうだが、意識があるなら大丈夫か……。


『まずは病院へ行くぞ。知ってるドクターはいるか?』

『カイルさんの知っている病院でいいです』


 娘に声をかけると、返事があったので安心する。


『わかった』


 途中マーケットの駐車場に寄り、水道でタオルを濡らしてきてやった。


 ハイランド医院に着いた。建物は古いが医者の腕は良いとの評判で、俺も何度かかかったことがある。

 俺に劣らず目つきの悪い初老の医者だ。

 予診に出て来た看護師が、娘を見るなり微かに反応した。


『あらまあ、あなたは……クロウさんとこの。また派手にぶつけたわね。今度はどうしたの?』


 娘は額の痛みとおそらく乗り物酔いで、よろよろとしていた。

 馴染みか? 今度は、って? クロウだと!?


 処置室に来た医者がギョロリとした目で娘を見た。


『あれ? 嬢ちゃん、またきみかね』

『コ、コリンズ先生!? なぜここに~?』


 娘が今さら驚いたように声を上げる。


『何を寝ぼけたことを……ここはわしの病院だからな』


 看護師が娘の頭を押さえ、医者が手早く額に薬を貼り付ける。

 押し黙った娘に代わって、俺が怪我した状況を説明してやった。


『おや、クロウじゃない……』

『はあ?』


 どう見ても俺は別人だろう。もうろくしてるのか?


『こいつ、大丈夫ですか? 頭の検査とかしなくても……』

『まあ、今日一日くらいは様子を見てやんなさい。だが、この前の階段の時に比べたらこのくらい大丈夫だ。青あざになりそうだがな。額に傷ありでは、クロウも仰天しそうだな。嬢ちゃんどうする? クロウに迎えに来てもらうか?』


 階段の時もここに来たのか。だから、看護師も医者も……。

 だが、待ってくれ、事情が呑み込めないのは、さっきからクロウ、クロウって、何なんだ。


『いいえ、心配をかけたくないので、呼ばないでください』

『これで帰って見つかったら、どちらにしても心配するだろうがな。感の良いあの男を出し抜くなんざあ、嬢ちゃんには無理だ』


 医者が意地悪く笑う。娘が包帯を巻かれながらひきつった顔をしている。

 俺がここにいるのに、クロウを迎えにって、なんだよ!


『俺が家まで送る!』


 医者と看護師がぽかんとこっちを見た。

 クロウと対面してやる。

 どんな男か見定めてやる。ろくでもない男なら俺が娘をもらう。


 おそらく、同じ人物だろう。

 以前マリサがチンピラに絡まれているところをカラスを連れた男に助けられたと言って、一時期熱をあげていた。カラスの羽のような黒髪の冷めた男で、マリサが見向きもされない、悔しいと散々ぼやいていた。そんな男がこんな小娘の心配を?

 いや、まあ、俺も人のことは言えないが。



 血相を変えて物凄い勢いで外に出てきた男は、ろくでもない男ではなさそうだった。

 しかも、心底娘を心配しているようだった。胸くそ悪い。

 娘も明らかに男を意識しているのがわかる。

 俺の心は急速に冷えて行った。



◇◇◇


 胸くそ悪い、と呟きながら、カイルはウイスキーをあおった。


「今日は飲むピッチが早いんじゃな~い? 弟くん?」


 マリサの目はすでに虚ろだった。


「おまえこそ、飲むのはもう止めろ!」


(こいつにクロウの話をするんじゃなかった……)


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― 新着の感想 ―
[良い点] カイルさん、いい先輩ですね(*´ω`*) 冷たい態度からツンデレくんかなぁと想像しましたが、想像通りでキュンキュンします。 姉弟も仲良しでほっこりします。
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