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19 親切の表と裏


 リジーは仕事帰り、駅の混雑しているバスターミナルを抜けたところで、杖を持った年配の女性がつまづいて転倒し、手をついた所に出くわした。

 自力でゆっくり立ち上がったので大丈夫だとは思ったが、祖母ケイトの面影と重なり、リジーは近づいて声をかけた。


「あの、大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」

「大丈夫よ。転んじゃったわ。嫌ね」


 女性はそう言いながらも左膝をおさえている。


「足、痛いですか? ちょっと失礼しますね」


 リジーはしゃがんで、女性の薄手のズボンを捲って膝を見た。

 擦り剥けて血が少し出ていた。


「血が出ていますね。ちょっと、あそこのベンチに腰を下ろしましょうか」

「ご親切にどうもね」


 近くのベンチまで女性を支えながら歩いて、ひとまず座ってもらう。


「今、ハンカチを濡らしてきますから、待っていて下さいね」


 リジーは駅のお手洗いまで走って行ってハンカチを濡らし、女性の元に急いで戻った。

 女性の膝の傷を擦らないように優しく拭いた。思ったより擦った傷口は大きかった。

 それから、いつも自分の怪我用に持っている絆創膏をバッグから出すと3枚ずらして貼った。

 応急処置でしかない。


「ありがとう、お嬢さん。ハンカチを汚しちゃったわね」

「いいえ、お気になさらずに。駅の救護室に行きましょうか?」

「これくらいなら大丈夫よ。家で薬を塗るわ」

「そうですか。ばい菌が入ったら大変ですから家に着いたらすぐ消毒して下さいね」

「ありがとう。今日はここの市民病院に入院している孫のお見舞いに来た帰りなのよ。お嬢さんの家はこのお近く?」

「あ、私はこの通りの先に住んでいます」

「そうなの。お礼をしなくちゃ。私はローズよ。あなたのバッグの模様と同じ。お嬢さん、お名前は?」


 女性は、リジーの持っていた薄ピンクの薔薇模様のショルダーバッグを見ながら言った。


「私はリジーです。お礼なんて必要ありません。これで失礼します。お大事になさってください」


 慌ててその場を離れた。一気に走ったので、息が切れた。切れたところで立ち止まった。


(お礼なんて、大したことしてないのに恥ずかしいよ……。あれ?)


 そこで、手にしていたはずのハンカチが無いことに気が付いた。探しに戻ろうかとも思ったが、またローズと出会うのも気まずい。


(そういえば、あれはジョンの所で失敗した時の、例のいわくつきのハンカチ。人のお役に立てたなら、失くしても本望かも)



♢♢♢♢♢♢



 その数日後の夕方のことだった。


 ジョンは店の看板をしまうため、通りに出た。

 最近この時間によく見かける、杖をついた品の良い年配の女性と目があった。


「こんばんは」


 何気に挨拶した。銀色の白髪がきれいに整えられている。

 優しそうな青い瞳が微笑んだ。女性はいつも何かを探しているようだった。


「どこかお店をお探しなのですか?」

「いえ、人を探しているの」

「人、ですか……」

「ええ。駅前で転んで擦りむいた私の膝に絆創膏を貼ってくれた、優しいお嬢さんをね……。この道の先に住んでいると言っていたので、歩いて来てみたの。お仕事帰りの時間ならまたお会いできるんじゃないかと思って。ハンカチを忘れて行かれたからお返ししたかったのよ」


 年配の女性は、ピンクの花柄のハンカチを手にしている。

 ジョンは、そのハンカチに見覚えがあった。

 先日のやりとりとリジーの慌てた顔が思い出され、つい笑みがこぼれる。

 この女性はリジーを探していたのか。


「栗色の髪の可愛らしいお嬢さんなの。お礼もしたいのよ。孫もぜひお会いしてお礼を言いたいって……孫は今バイクで転んで骨折して市民病院に入院してるのよ」


 女性の言葉に、ジョンの笑みは固まった。

 バイクで骨折……。孫は男の確率が高い。

 そう思うと、妙に落ち着かない気持ちになった。知らないふりをしたくなった。

 声をかけなければよかったと後悔した。


 やはりタイミング悪く、リジーが帰って来たのが見えた。


「おかえり」


 平静を装い、いつも通り笑顔でリジーを迎える。


♢♢♢



「ジョン、ただいま!」


「リジーさん! 良かった。ようやく会えたわ」


 ジョンと向き合っていた女性が振り返り、嬉しそうに声をあげる。


「あ、あの時の。ローズさん、こんばんは……。膝はあの後なんともなかったですか?」


 リジーは戸惑った。ここでまた会うなんて。


「全然痛みもなくて、おかげさまで傷も治ってきているわ。リジーさん、ハンカチを落としていかれたでしょう。お返ししたくて、この辺りを探していたの。お会いできてよかったわ」


 ローズはリジーにハンカチを手渡しながら、ぎゅっと手を握った。


「わざわざすみません。よろしかったのに」


(黒歴史のハンカチは、どうしても私の手に戻る運命なのね。ジョンも笑ってるかも……。あれ? 女性の前なのに珍しく硬い表情。どうしたのかな)


「リジーさん、やっぱりお礼をしたいんだけど、いつかお時間あるかしら? 孫もあなたにお会いしてお礼を言いたいそうなの」


 ローズはにこにこしながら、リジーに詰め寄る。


「本当に、お礼なんて困ります。ハンカチを洗って私のことを探してまで届けて下さっただけで、もう十分です。ありがとうございます。あの、駅までお送りしますから」


 きっぱりと言い切るリジーに、ローズは目を細め、柔らかな微笑みを浮かべた。


「……じゃあ、おあいこということで良いかしら。送っていただかなくても大丈夫よ。ありがとう、リジーさん。さようなら」

「さようなら」


 リジーは、杖をつきながらゆっくり遠ざかるローズを見送った。




「戻ろう」


 背中に軽く手が添えられたので、リジーは少しドキリとしながらジョンを見上げて頷いた。


(穏やかな表情、いつものジョンに戻った?)


「あのご婦人、この所何度か見かけていたんだ。まさかリジーのことを探していたとは思わなかった」

「そうだったんだ。最近仕事が忙しくて帰りが遅かったから会わなかったんだね。そんなに私のこと探してくれてたなんて。大したことしてないのに……このハンカチのために……」

「リジーに優しくされて嬉しかったんだろうね。……それにしてもずいぶんときみを孫に会わせたがってたね」

「そんな、ふたりがかりでお礼なんて言われたら、かえって緊張しちゃう」


 リジーは大きくため息を吐いた。


「そういえば、頭の瘤はどう?」


 ジョンに後頭部をサラリと撫でられ、リジーはピクリとなってしまった。

 あれから2週間ほど過ぎたので、瘤はだいぶ小さくなっている。


「大丈夫。痛みも無いよ」


 リジーは慌てたようにジョンに背を向けた。


「じゃあ、ジョン、またね」


(なんだか、スーザンから色々言われてから、ジョンの事を意識しちゃってだめだ。瘤の確認されただけなのに、どきどきするし)


♢♢♢


 

 階段を上がっていく華奢な背中を見ながら、ジョンは複雑な表情を浮かべた。

 リジーがお礼を拒んだ事にほっとしている自分に嫌気がさした。


 ここ2週間はいつも通りの日々で、リジーの様子に変わりはなく、特に頭を打った後遺症もないようなので、ジョンの心配は落ち着いていた。だが、心の安息のため、仕事から帰って来たら必ず店にいる自分に声を掛けるようにリジーに約束させた。

 この平穏な日々が続いて欲しいと、ジョンはただそれだけを願っていた。


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