13 目がくらむ
ジョン視点、◆の部分は少し時間が遡ります。
◆◆◆◆◆◆
ジョンがアクセサリーを購入してくれた女性客を見送って、店に戻って来た時だった。
作業机の上の電話が鳴った。受話器を取るや否や耳障りな声がした。
――やあ、クロウ! リジーが今、うちの店に来てるよ!
『サム? 急に話し出すな。リジーはタコスが好きだと言っていたし……そうか、寄ってるのか』
――リジーは子リスみたいでかわいいよね。客の男がさっきから口説いててさ~
『え!?』
――早くしないとお持ち帰りされちゃうかも。俺は忙しくて対応できないから~
『すぐに行く! 悪いが見張っててくれ』
◆◆◆◆◆◆
ジョンとリジーはアパートメントに戻るため、ふたりでいつもの通りを歩いていた。
ジョンはサムからお詫びにと渡されたタコスとハッシュドポテトを手にしていた。
リジーが店の外にポツンといたのを見た時、サムに担がれたのだとわかってジョンは腹が立った。でも、そのおかげでリジーをパラソルから守れたのだ。
「ジョン、さっきはありがとう。腕は痛くない? 本当に大丈夫なの?」
「ああ」
ジョンがあまりに普通にしているので、リジーは疑わしく思ったようだ。
「気になる。やっぱり腕、見せて!」
リジーが心配そうな顔をしたので、ジョンは左腕のシャツの袖を自分で捲り上げた。腕に怪我の跡が無いか、しげしげと手首を持ち上げて眺めている。真剣なリジーの表情が妙におかしくて、ジョンの口角が自然と上がった。
「右腕の方は?」
「当たっていない」
「本当に? じゃあ、見せて!」
「右はだめだ」
そう言うと、リジーがむきになって右手首を掴んでくる。
「どうして見せてくれないの? 怪我してるからじゃないの?」
「疑り深いな。怪我はしてないから大丈夫だよ」
「私に嘘はつかないで。絶対受け止めるから! 私の不運のせいでジョンが怪我したら、私……」
強い表情から急にせつない顔を向けるリジーを見て、ジョンは焦った。
「嘘じゃない」
ジョンは観念して右腕のシャツの袖も捲った。
「!!」
リジーが息を呑んだのがわかった。
ジョンの右腕には、肘にかけて少しひきつったような跡と浅黒い痣がある。パラソルが当たったのではなく、古いものだ。
「嘘じゃなかったろ? これだから見せたくなかったんだ」
「ごめんなさい、疑って……。もしかしてこれ火傷の跡?」
「そう、子供の頃のね」
「どうしたの?」
「……嘘はだめか。小学5年生の時、友達に、友達だと思ってたやつに、お湯をかけられた」
「……」
リジーは声を上げずに、手で口元を抑えて耐えている。
涙目になっていたので、ジョンは慰めるようにリジーの頭を撫でた。
「僕が子供の頃住んでいたあたりは、アジア系の子どもは少なかった。だから、所謂差別的ないじめだった。よくあることだ」
「そんな……詮索して、ごめんね」
「いや、この経験のおかげで強くなった。心身ともに。悪魔から<魔王>と呼ばれるまでにね」
ジョンの目に力強い光が宿る。
午後から在庫の家具のから拭きを手伝うと言われ、了承するとタコスの袋を渡し、リジーと別れた。
ジョンは店に戻り、ランプの光に包まれた。
その途端、懐かしい記憶が溢れ出て、目を閉じた。
自分にとってたったひとりの父の姿が目に浮かぶ。
『ジョン、話してくれてありがとう。火傷の跡は君の勲章だ。母親に心配かけたくなくて真実を黙っていたとは。強いな。私の誇りだ。だが、もうひとりで耐えることはない。私になんでも話して欲しい。一緒に悩むことしかできないがね』
この火傷の話をした時、父が自分の行いを肯定してくれたことが嬉しかった。
『私に嘘はつかないで。絶対受け止めるから!』
子供のような素直な顔を見せるかと思うと、大人のように強い意志をのぞかせる……。
ジョンはランプの光を凝視しすぎて目がくらんだ。
♢♢♢♢♢♢
リジーは部屋に戻ると、食べたかったタコスを十分に堪能し、活力を補った。
そして、約束通り<スカラムーシュ>の家具のから拭きを手伝っていた。
木のぬくもりが好きだった。つい、のめり込んでしまう。蜜蝋が塗ってあるそうで、磨くとつやつやするのがうれしい。気が付くと一心不乱に磨いている。
「リジー、一休みしよう」
奥から聞こえたジョンの声に、リジーは振り向いて立ち上がった。急に目の前がちかちかして、目を開けているのに視界が消えた。
たまになる立ちくらみだった。
「リジー!?」
ジョンの慌てた声がやけに遠くに、近付いてくる足音の方ははっきり聞こえた。
「大丈夫、目を閉じてじっとしていれば、すぐ直るから」
リジーは膝を着くと、椅子の座面に腕を置いて伏した。
落ち着いて、目を閉じてゆっくり深呼吸した。
静かな世界。いつも聞こえない遠くの音だけが聞こえる。
頭を上げ、ゆっくり目を開けてみた。
視界は戻っているが、今日はなぜか気持ち悪い。
「大丈夫? あっちのソファで休もう」
ジョンが自然に手を差し出してくる。
「うん……」
リジーは、その大きな手に頼るか一瞬考えたが、差し出されたのに無下にもできないと思い、自分の手を預けた。
軽々と立たせられ、腕を支えられながら、来客用のソファの方まで移動した。
さっきまでなんともなかったのが、今はふらつきがひどい。
昨夜遅くまでミステリー小説を読んでいたから寝不足が今頃たたっている?
地味に具合が悪い。
「顔色が悪いな」
リジーはソファに座らされたが、ジョンもリジーの肩を抱くようにして一緒に座った。
頭を優しく抑えられ、自然にもたれかかる形になった。
目を閉じると、ジョンのぬくもりだけを感じる。
心地よい、寝てしまいそう……ではない。と、目を無理やりこじ開ける。
ふと目線だけ上にずらすと、ジョンの顔が頭に近くてギョッとなる。
「……!」
意識が完全に覚醒した。この体勢はまずい、と脳の片隅で警告音がする。
「も、もうよくなったけど、一度部屋に戻るね。から拭きはまた後でするから」
そう言って、ジョンの腕から離れて立ち上がろうとしたが……離されなかった。
逆になぜか押さえ込まれている。
「まだ顔色がよくない。もう少し目をつぶっていたほうが良い」
「でも……」
思わずジョンを見上げたが、顔が近すぎたのですぐ俯いた。
「から拭きは終わりでいいから。もう少ししたら部屋まで送ろう」
「ううん、平気だから! 心配しないで」
そう断って、リジーはソファとジョンから元気に勢いよく立ち上がった。
ところが、気持ちとは裏腹に身体はふらついた。
「!」
「リジー、慌てないで」
またジョンの腕に逆戻りだった。腕の中にすっぽり納まってしまった。
「ご、ごめんなさい」
どうしてこうなるのか、リジーは心が落ち着かなかった。
この過剰ともいえるスキンシップは、大人→優しさ→子共 的な?
ジョンはあまりにも普通に接してくる。
何も気に止めていない様子だし、自分も気にしなければいいのに……。
絶対勘違いしてはいけない。
ジョンは自分のことを、きっと妹くらいにしか思っていない。
「ひとりで大丈夫だから」
リジーは支えられていたジョンの腕から慎重に離れ、悶々と考えながら部屋に戻った。




