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Madness・Eden  作者: ラムネ
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エクリプス

目が覚めるとそこは見知らぬ場所だった。不自然な程何も無い部屋の中、薄く埃が積もった板張りの床、そして牢獄のように質素な部屋の中で存在感を主張する窓。少女は起き上ると、引き寄せられるようにふらふらとした足取りで窓の近くに行き淵に手をかけた。


―――空が赤い。


気味が悪かった。不安な気持ちは血液と共に駆け巡りあっという間に少女の中を満たして行く。そこで少女は気がついた。音がしない。必死で目を凝らしても周りには人もいないし家も無かった。満ちた不安は膨張する。そもそも、ここはどこで、自分は、自分は、


誰?


思い出せなかった。自分のことすら。気が狂いそうになる。何もかも分からないことが怖い。ここはどこなのか、自分は誰なのか、どうして空が赤いのか、何で誰もいないのか。

内臓が口の方へ押し出されそうな不安に歯をくいしばり、その隙間からなんとか呼吸を繰り返していた時であった。部屋の、扉が開いた。


「起きたんだね」


少女は振り返る。

優しい微笑み、優しく撫でるような声、自分の他にも人が存在していたという安心感。


 「ここっ、ここはどこなの!?私、私は誰っ……!」


 少女の緊張の糸は一気に切れ言葉と涙が溢れてきた。みっともなくぼろぼろと涙を流しながら縋ってくる少女に、少年は包み込むように抱きしめて囁いた。


 「安心して僕のアリス」


 縋ってはみたものの突然そういった行動に出られるとは思わず、少女は反射的に少年を突き飛ばしてしまった。少年の口ぶりからして、彼は少女のことを知っているようだが彼女の方は全くそういった記憶は無い。

 少年は眉を下げると、相変わらず優しい声色で少女に語りかけた。


 「可哀想に、混乱しているんだね」


 突然ごめんね、と少年は続ける。少女は慌てて首を横にぶんぶんと振った。

 ただ驚いてしまっただけなのだ。彼自身を否定するつもりは全く無かった。少女は金色の髪を揺らして少しだけ少年に近づくと、再び首を横に振った。晴れやかであるのにどこか危うさを秘めた二人のスカイブルーの瞳に、互いの姿が揺らめく。


 「君はアリス。僕はエクリプス。僕達は兄妹さ」

 「私は……アリス……貴方はエクリプス……私の……お兄ちゃん……」


 少女……アリスは、少年に告げられた言葉をぼんやりと反芻した。自身の名前や少年との関係を知っても、アリスの中で何かが変わる気配は全く無い。


 「ごめんなさい、あの……お兄ちゃん?私やっぱり思い出せない」


 お兄ちゃん、その呼び方も口の中でゴロゴロと違和感のある転がり方をする。アリスなんて他人の名前みたいだ。エクリプスと名乗った少年も、血縁者だと申告しているが他人にしか思えない。出口の無い思案に身体じゅうの毛穴がぶわっと開いて汗が吹き出す感覚がした。


 「焦らなくても大丈夫。きっと直ぐに記憶は戻るし、僕が傍にいるから」

 「うん……ありがとうお兄ちゃん」


 そんなアリスの様子を直ぐに察知して、エクリプスは落ち着けるようにアリスの頭を撫でる。この少年は本当にアリスのことをよく見て大切に想っているようだ。今の今まで他人としか思えなかったのに、アリスの心は容易く少年に対して綻び始める。

 もっとして欲しい。もっと安心させて、そして、信頼を捧げさせて。

 彼の金が、空が、赤に染まった。アリスもつられて窓の外へ目を向ける。


 「それにしてもここはどこなんだ……」

 「えっ?お兄ちゃんにも分からないの?」

 「ああ、気が付いたら僕とアリスはここにいたんだ」

 「そんな……」


 やはりこの世界は日常の世界とは違うようだ。日常が「こう」なってしまったわけではなく、世界ごと別のものに変わってしまった。当然といえば当然かもしれないが、エクリプスもこの状況全てを理解しているわけではないようで……。

 唯一の頼れる存在であるエクリプスにも分からないことがある。その事実がアリスの不安を掻き立て、足元がぐらついているかのような感覚に襲われた。アリスは吐き気を飲み込んでエクリプスの知っていそうな事を問うことにした。


 「ここに来る前は何をしていたの?」

 「ごめん……僕もそれだけは思い出せないんだ……」


 絶望。


 「僕たちは父さんと母さんの四人でごく普通の一軒家で暮らしていた。アリスは14歳で、僕は15歳。いつもみたいに学校に行って、いつもみたいに……う……」

 「お兄ちゃん!?」


 絶望。

 心にハタハタと落ち重なっていくどす黒い花弁と、目の前で頭を押さえてうずくまるエクリプスが重なって見えた。否、花弁と重なって、て?

 アリスは泣きそうになりながらしゃがみ込む。


 「頭が痛いの!?無理しないで……。ね、大丈夫だから二人で頑張りましょう」


 エクリプスを失うわけにはいかない。自分の為に。……自分の為に?

 咄嗟に浮かんだ自分本位な考えに、アリスは自分自身でショックを受けた。アリスという人間は、こんな自分さえ良ければいい人間だったというのだろうか。いくら状況が状況とはいえ、最低だ。

 アリスは自己嫌悪に苛まれて気が付いていなかった。床が炭と化した何かに覆われていることに。先ほどまでとは違う部屋の様相に。

 エクリプスは少しだけ身体を預けるようにアリスを抱きしめた。今度はアリスもおずおずと彼の背に腕を回す。


 「そうだね……アリスには焦らないでって言ったのに僕は……。アリスはいつでも僕を救ってくれる」

 「お兄ちゃん……。家族だもの。それにこんな訳の分からない所に突然来て、お兄ちゃんだって混乱しているはずなのに、私に気を使ってくれたんだよね?ありがとう、お兄ちゃん」

 「お礼を言うのは僕の方だよアリス。さ、この建物から出てみよう。このままじゃ何も進まないからさ」

 「出るの?外に?」


 目を丸くするアリスの頭を一撫でして、エクリプスは立ち上がる。もう具合は悪くないようで、その視線には力強さがあった。


 「怖がらないで僕のアリス。僕がついている。何があっても僕が守るから。ね?」

 「うん……。うん、一緒に家に帰ろう、お兄ちゃん!」

 「……お兄ちゃん」


 突如エクリプスの声が無機質になる。アリスは驚いて彼を見上げた。


 「え?」

 「ううん、アリスがいると心強いなって」


 にこり、とエクリプスは嬉しそうに微笑む。その声にはもう一瞬感じた無機質さは無く、いつもの優しいエクリプスの声であった。


 「さ、手を繋いで行こう?」

 「う、うん。分かったわ。離さないでねお兄ちゃん」

 「勿論だよ。この身が引き裂かれようともアリスを放さない。絶対に、絶対に……」


 エクリプスに手を引かれて部屋を出ると、目の前に階下へ続く階段のみがあった。埃がキラキラと舞っている。トントンと音を立てて二人で階段を降りると、一階に部屋はなくこれまた目の前にドアのみが存在するだけであった。

 エクリプスがゆっくりとドアを開ける。

 アリスは不安な気持ちを和らげたくて、握る手に少しだけ力を込めた。エクリプスは振り向くと優しい笑みを浮かべる。

 心臓がトクンと音を立てた。


 「行こう、アリス」


 ―――そこは影の世界だった。

 道はアリス達を導く為なのか一本しか無く、周りに生い茂っている木々は全て影のように黒くありながらも透けているという奇妙なものだった。

 アリスとエクリプスは手を繋いだまま道の上を歩いていく。エクリプスから伝わってくる温もりだけがアリスの心を保つ精神安定剤だった。こんな所、一人で歩いたら気がおかしくなってしまいそうだ。

 暫くすると森のような風景は開け、代わりに町が広がった。茜色に染まるノスタルジックな町並み。高層のビル等一つもなく、町は露店で買い物をしたり道端で話をする人で盛り上がっていた。

 いや、盛り上がるというのは些か語弊があるかもしれない。

 建物も人も、先程の道の脇に生えていた木のように黒くて透けていた。そして歩く仕草、話す仕草、それに対するリアクション……人型の影は確かに人間そのものの行動をしているのに、物音が一切しないのだ。音といえばアリスとエクリプスの息遣い、服の擦れるソレのみ。


 「お……お兄ちゃん……」


 アリスは怯えてエクリプスの後ろに隠れた。エクリプスのゴクリと生唾を飲む音が大きく聞こえる。


 「これ……どうなってるの?この人達、ここは一体……」

 「気味が悪いね……でも……」


 エクリプスは言葉尻を切ると前を見据える。


 「ここを進むしか、道が無さそうだ」


 ヒッとアリスの喉から情けない音が鳴った。影は自分達のことなど目にも入っていないらしいが、気が付かれたら何をされるか分からない。いや、何もされなくても頭で処理し切れない目の前の現実が怖い。エクリプスは笑った。アリスを安心させようとする笑みを浮かべようとしたのだろうが、その笑みも少し引きつっていた。誰がどう見ても異常で恐怖の対象で、

 おかしくて。


 「アリス、僕達に与えられた道が一つなら、進むしかないんだ」


 エクリプスは自分にも言い聞かせるように拳を胸にあてて息を吐くと、眉間にシワを寄せて歩き始めた。アリスは引っ張られるようにその後を着いて行く。心なしか、先程までより歩みを進めるペースが速い気がした。

 影達は二人など存在していないかのように、今までと同じ行動をしている。尤もどこに顔のパーツがあるのかなんて分からないのだが、視線を感じるということは一切無かった。

 その時、走り回っている子供の影がアリスの横から突進してきた。突然の出来事に対処する術は無く、アリスは影が透けて自分を通り抜けて行くのを見ることしかできなかった。音も痛みも何もない。何もなかった。違和感さえも。


 「いやあ!」


 アリスはあまりの君の悪さに悲鳴を上げて座り込んだ。脚が震えてもう立てそうにない。


 「帰して、帰してよぉ……」


 帰る家のことすら覚えていないのに。

 座ったまま泣き出してしまったアリスを見て、エクリプスはしゃがみ込むとアリスを宥める言葉をかけた。それでもアリスは聞き分けの悪い子供みたいにイヤイヤと首を振るだけだ。その間も、影は二人の存在を認識せず通り抜けては彼等の生活を続ける。

 エクリプスは半ば無理矢理アリスの手を引っ張って合図をすると、しゃがんだまま背を向け両手を後ろに出す。アリスは本能的に助けを求め両手を伸ばすと、エクリプスにしがみついて体重を預けた。

 遠くで鐘の音が聞こえた気がする。それは多分、幻聴だったのだろうけれど。


 「アリス、お話をしてあげる」



 アリスを背負いながらエクリプスは夢幻を語り始める。静かな町で。横顔を赤に染めながら。二人も、影の町の住人になってしまったようであった。


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