40・絶望
消滅したファミーユコノエがあったはずの空き地の前。
しばらく呆然としていたけど、脳内ではこれからあるはずだった未来を描き出す。
これからファミーユコノエ満室記念パーティー、と題して入ったばかりの入居者と一緒にどんちゃん騒ぎをするつもりだったのだ。
アパートの庭先は一時の戦場となり、八重樫さんが怒り十香さんが自然とみんなを罵倒する。
そんな光景を微笑ましく眺めているのは万葉ちゃんだった。
だけど黄金色した未来が一瞬にして消去された。
このままではいけない……僕の未来はこんな簡単に破壊されてはいけないものなのだ。
ポケットからスマホを取り出し、真っ先に電話したのは、
「ん? 何だ。今、大人の人と大事な会議をしているんだから電話してくんな」
――叔母さんのところだった。
電話の向こうではジョッキがぶつかり合い、白煙となる熱気がここまで伝わってきそうだった。どうせ飲んでいるんだろう。
いつもならここでツッコミの一つや二つ入れていたのかもしれない。
だけど未来を失われた僕にそんな余裕はなくて、
「叔母さん! 大変なんだ! ファミーユコノエが……ファミーユコノエがなくなっているんだ」
「ちょ、お前。いきなり電話してきて何を言っている」
「万葉ちゃんのファミーユコノエが……この世から消滅しているんだ! 叔母さん、何か知らない?」
スマホに唾を吐きかけ、必死に叔母さんに訴えかける。
無論、叔母さんにファミーユコノエ消滅の理由なんて分かるはずもない。
僕は現実から目を逸らしていたのかもしれない。
解答を先延ばしにすることによって、百点満点の期待を残留させておいた哀れな保留思考。
叔母さんは戸惑っているようにしばしの沈黙。
そして――「何を言っているんだ?」と前置きをして、
「ファミーユコノエって――何だそりゃ」
世界の自己修復能力。
浮口市から何かが消滅しても、それを全世界の誰もが認知することが出来ない。
これを分かることが出来るのは、守り神に救世主として任命された観測者の僕だけで。
浮口高校の時だってそうだ。
浮口高校なんていう、浮口市にとって大事なものがなくなっても、万葉ちゃんは「そんな高校ないよ?」と返してきた。
そんなことは分かっていた。
だけど認めたくなかったんだ。
ファミーユコノエの消滅は――
浮口市の消滅の一部であり――
もう修復不可能なことを――。
だけど認めたくない僕は叔母さんの意見を否定する。
「ど、どうして! 叔母さん。ファミーユコノエだよ。僕が住んでいるファミーユコノエ! 万葉ちゃんが大家さんをしているファミーユコノエ!」
「お前は何を言ってんだ。お前は私の家に居候しているんだろうが」
「そんなことないでしょ! 思い出してよ! 酔っぱらっているから分からないんだよね?」
「むむ、居酒屋から電話しているのがよく分かったな。だが、残念だな。今日は私はここまで車で来ている。流石に飲酒運転をする程、私はバカじゃないよ」
「そんなこと……あるわけが……じゃあ、万葉ちゃん」
握力がなくなり、今にもスマホを落下させてしまいそうになる。
震える僕の声に反比例するように、叔母さんはいつもの声で。
「――そもそも万葉ちゃん、っていうのは誰だ? そんなヤツ、聞いたことがないぞ」
浮口市の消滅は。
残念ながら近衛万葉の消滅を意味していたのであります。
世界の自己修復能力によって、ただ虚構の辻褄を合わせるためだけに。
ファミーユコノエの大家、近衛万葉は生まれてなかったことにされたのだ。
「……! ん、もう! ババアのバカ!」
怒りに身を任せて電話を切る。
そんなわけあるものか! 認めたくない……目を瞑っておきたい。
だけど確かに、目の前に空き地となっている暗闇の空白を見ていると、そんな現実の輪郭が現れ出すのだ。
まるで自分の手じゃないように、スマホを持つ手が震えている。
血液に温度がないかのように、冷たくなった指でスマホを操作する。
――そう。叔母さんに電話をする、なんて回りくどい真似をしなくても。
ファミーユコノエの消滅にあたって、電話をするべき人物はいたはずなんだ。
……いたっ!
恐る恐るスマホの画面を見ると――電話帳に『近衛万葉』の四文字が。
ほら、やっぱり! 万葉ちゃんは存在しているじゃないか。
叔母さんがただ酔っぱらっていただけだったんだ。
希望の糸はあまりにもか細かった。ピアノ線よりも細く、硝子よりも脆く。
『近衛万葉』の文字をタップし、彼女を呼び出す。
彼女の声を聞きたかった。
そして「今日の晩ご飯はカレーだよ」と一言言って欲しかった。
急速に加熱される心臓の温かみを感じながら、プルルルルと呼び出し音の続きを待っている。
『――この電話はただいま使われておりません――』
耳に当てたスマホから聞こえてくる無慈悲な機械音。
そう、観測者たる僕の所持品のスマホには近衛万葉の電話番号が残っていた。
だけど世界の自己修復能力によって、辻褄を合わせるため本当に万葉ちゃんはこの世から消滅していたのだ。
反転、急な冷却によって心臓が停止したように感じた。
握力をなくし、地面へと落下したスマホはミリ単位でバウンドしやがて動かなくなる。
「そ、そんな! そんなバカな!」
いてもたってもいられなくなって走り出す。
――万葉ちゃん。君の笑顔をもう一度見たい。
混乱しきって、使いにくくなった思考回路はそのことばかりを思っていた。




