39・ファミーユコノエ
「ふう……これで何とか終わりか」
アパート前の庭先に出て、額の汗を腕で拭う。
辺りはすっかり暗くなっており、近くのマンションから明かりが漏れていた。
「やっと終わったね」
嬉しそうに僕の隣には万葉ちゃん。
僕と万葉ちゃんの目の前には、賑やかになったファミーユコノエの姿があった。
庭先に新しい住民が出て、やあやあと騒いでいる。
そんなみんなの姿を見て、何かを思いついたように手を叩き、
「そうだ! 今からパーティーをしましょう」
と万葉ちゃんが提案をする。
「パーティー?」
「そう。折角、ファミーユコノエが満室になったんだから、記念パーティーをね。よーし、今日は私の料理の腕が炸裂するよー!」
「それだけはダメだ!」
服をまくり、腕を露出させる万葉ちゃんの前に出て凶行を止める。
うん。万葉ちゃんの料理の腕が炸裂してしまえば、大惨事が生まれると思うんだ。
多分、ここの住民は全員死ぬか異能力に目覚める。
「……万葉ちゃんは疲れているからね。今、料理をしたら危険だよ」
「大丈夫だよー。私、料理しか取り柄がないんだから」
いや料理しか欠点がないんだ。
「パーティーなら、近くのスーパーでお菓子とか買ってやろうよ。僕、買ってくるからさ!」
「そんなことしたら高くつくし……」
治療費のことを考えれば安く済むだろ?
万葉ちゃんが止める間もなく、僕はみんなに背を向けてスーパーに向けて走り出す。
「雄斗君ー!」
背中に万葉ちゃんの声が当たる。
「一杯、買ってきてねー」
……オッケー。その頼みも聞いてあげようじゃないか。
僕は今、人生で一番幸せなパシりをしている。
◆
両手に買い物袋を吊り下げて。
疲れた体を引きずるようにして、ファミーユコノエの帰路を歩いていた。
「ふう……でも、これで一件落着だな」
思えばここまで大変だった。
密度の濃い一ヶ月のシーンを脳内で再生させながら、アスファルトを踏みしめるようにして歩く。
この時間でも大通りになると車の行き交いが多いはずだった。
だけど浮口駅が消滅することによって、確かに人口は減少してしまっている。
全盛期に比べ、活気のなくなった街中を歩いていく。
やがて住宅街へと入り、山のようにある賃貸物件の群れの中を歩き続ける。
未だに賃貸募集中の看板が貼られている賃貸物件が多い。
新築のようにキレイなマンション。
ハイツタイプで外壁も塗り立ての建物。
ファミーユコノエと同じように劣化が著しい文化住宅。
賃貸マンションは浮口市に限らず溢れかえっている。
賃貸のシーズンを終え、どの賃貸物件が勝ち組となれたのだろうか。
まだ売れ残っている賃貸物件は?
賃貸物件の一つ一つには表情がある。
幸せそうに微笑むマンションもあれば、失意のどん底のような顔のアパートも。
それら一つに一つに物語があった。
ファミーユコノエだって同じだ。
決して譲れない物語があったのだ。
「少なくても、今回はファミーユコノエが勝たせてもらった、ということかな」
ただの無機質な鉄骨造りのアパートである。
だけど一ヶ月間とはいえ、ファミーユコノエには愛着が芽生えていた。
戦友のように勇ましく。
恋人のような愛情。
無機質な建物とはいえ、まるで僕に語りかけてくるような。
そうだ。ファミーユコノエも僕達の一員だった。
住民を守る外壁でありながら、同時に一緒に暮らす住民でもあった。
そんな感じのことを考えながら、ファミーユコノエへと向かっていく。
この道を真っ直ぐ行けば、ファミーユコノエがある場所だ。
庭先はまだ騒がしく、パーティーの開幕を待ち侘びている人で――。
「……え?」
――両手に持った買い物袋を地面に落としてしまう。
そこにはファミーユコノエがなかったのだ。
「……いや、何で」
口から漏れてしまう言葉は、動揺……というより、理解不能の色によって暗闇に溶け込んだ。
もう一度言おう。
そこにはファミーユコノエがなかったのだ。
場所を間違える?
そんなわけがない。
愛着を持ち始めた建物の所在地なんて間違えるはずがない。
目を瞑ってでも、ファミーユコノエに辿り着く。
帰省本能を超えた、愛情によって体はそこに導かれるはずだった。
だから――はっきりと確信する。
そこにはがなくなっていたのだ。
ファミーユコノエがあったはずの四角の空間は、草が生い茂るただの空き地へと成り下がっていた。
他の風景は変わっていない。上空を走る電線も、見飽きたお隣の建物も、変わらずそこに存在していた。
ファミーユコノエだけがこの世から消滅してしまったかのように――ぽっかりと空白のスペースになってしまったのだ。
「どうして、どうして……!」
地面に両手両膝を付いて、虚空の一点を見つめる。
そう。
ファミーユコノエは浮口市から消滅してしまったのである。




